お茶会おかわり

 入学してすぐの頃だったかな、今よりは頻度が低いけど白の薔薇を塗り替えなきゃいけない日ってあるだろ。
 あの時、頬にペンキ付けながら一生懸命腕を伸ばして花弁を塗っている横顔がほんと綺麗で。夏の日差しの下で、白い花弁と髪の色が混ざって見えて、目が離せなかった。俺が見てるのに気付いて、まだ魔法が上手く調整出来ないからって照れて笑った顔が可愛くて、ビビッと来たね。「あ!!好き!!!」でいっぱいになったのが俺の遅めの初恋。

 と、しきりに恋バナをねだってきたケイトに言うと「……ハーツラビュル?」と首を傾げた。

 同じ寮同じ学年ではあれど、普段はつるんでいる相手も違うので行動を共にすることは少ない。ハーツラビュルにも陰キャはいるので、俺はそっち側の人間だ。クラスが一緒なので優しいケイトは俺という存在を忘れずに、親しく話しかけてくれてありがたい。たまに今日のように「ナマエくんの部屋でお茶会をしよう! 」と誘ってくれるので、この優しい友人のお気遣いに応えるべく、俺はせっせと形ばかりの甘いものとそれより多めの軽食を用意しておもてなしをする。

 ケイトは映える角度を真剣に探して写真を撮り、ハッシュタグいっぱいの投稿でマジカメにアップしていた視線を外した。
 ケイトの為にと用意した砂糖なしの紅茶を落ち着かない様子で何杯も飲みながら、「ナマエくんって好きな子いるんでしょ。教えてよ」と落ち着きなく聞いてきたので素直にこたえただけだ。
 俺の“好きな人”、という情報はどこから漏れたんだろうな。笑い話として何回か他人に話した気はするが、笑い話ではなくホラーとして受け入れられて変な広まり方でもしたんだろうか。ホラーといえばホラーだし。

 ケイトに聞かれたなら言ってしまおうか。我ながらバカバカしすぎて涙も出ないが、ケイト相手なら笑い話になるだろう。そう、ハーツラビュルと答えながら人差し指を正面―――ケイトに向ける。

「ケイトの『オレくん』が初恋。だから数時間後には失恋したよ。だって存在しねえんだもんな」

 気持ち悪い、バカみたい、そんな罵倒を期待して目を閉じる。実はまだ初恋引き摺ってるんだよな。感情ってほんと自分の思うとおりになってくれない。ここで俺の初恋の大元に振られたら、楽になれそうな気がする。ここらで初恋にトドメをさしたい。いっちょ景気よく首を落としてくれ。

 バリッとクッキーを齧り折る音が響いた。

 音を立てるのも珍しいし、ケイトが自分からクッキーを食べることも珍しい。チーズクッキーだから甘さ控えめだけど、好みにあったのかな。目を開けて見ると、さっきまで俺を見ていたケイトの視線は手元のマジカメに戻っている。無表情に戻った顔が、少しだけこわいほど整っていた。

 こいつ顔がいいし、こういう風に気持ち悪いことを言う奴なんて慣れてるのかもな。もしかして余計な事言ってただただ恥をかいた上に友人を失っただけでは?

「ふうん」

 再びバリッという、どこかわざとらしい音。最後の一枚のクッキーがなくなった。俺の取り分……。
 ​───────なんか、怒ってないか? ケイトは無造作に指先についた粉を舐めて、つまらなそうに目を伏せた。スマホの電源は落ちて、暗い画面にケイトの顔が反射する。

「俺の失恋はね」

 低く落ちた声に、胸がざわつく。どうしてだろう、まるで断罪を宣告されるような気持ちで落ち着かない。案外あっさりしているケイトが、俺のキモすぎる告白で絶縁するにしてもこのパターンは想定していなかった。
 人から恨みを買わないように器用に距離をとってあっさりと他人の距離感になることで絶縁とするタイプだと思っていたのに、どうしたんだろう。ケイトはもう一度、口の中で噛み締めるように低い声で繰り返した。

「俺の、失恋はね」

「お、おう……」

「今」

 それだけ言って、ケイトは立ち上がり、扉へ向かって歩き出した。静かな足音が、廊下を抜けた瞬間に駆け足へと変わる。

 しばらく呆然としていたが、だんだん意味が飲み込めてくる。

 ​───────もしかして。いや、でも。
 俺の勘違いじゃなければ、ケイトの“今”って、もしかして俺のこと……?

 様子が明らかにおかしい。これは友情の範囲内、そう、ただ心配だから追うだけ。誰に対する言い訳なのか分からないまま、俺は遅れて部屋を飛び出した。

 廊下の奥、ケイトの部屋の前に辿り着いたとき、扉の向こうから激しい音が響いていた。拳で何かを打ちつけるような、鈍い衝突音。クッションか、それとも壁か。
 この寮の扉は重厚だが、生徒が各自で消音魔法をかけて防音している。それくらい三年なら出来るだろうという理屈で、実際に俺たちは自分の部屋に入る時は癖になってるレベルでこの魔法を使う。それをうっかり忘れるくらい、ケイトの感情が荒れているということだ。

「オレくんは、俺なのに!!! なんで!!!!」

 泣き声混じりの大声に足が竦んで立ち止まる。ケイトの性格を表したような明るくて小綺麗な部屋は、ほんの一瞬でひっくり返ったおもちゃ箱みたいにクッションが散らばっていた。ぶん投げたか、踏み荒らしたかしたのだろう。今も泣きながら大きめのクッションに狙いを付けて拳で殴りつけている後ろ姿を見て、どうしたら良いか分からず声をかけようとしては失敗して黙り込むを繰り返す。

「俺なのに、オレくんは、俺なのに」

 殴り飽きたのかクッションに顔を押し付けて、くぐもった声が歪んで濡れている。ひーん、という情けない声まで聞こえてきた。

「なんで、ナマエくん、俺の事は好きじゃないの」

 子供のようにうぇぇんと声を上げて、あとはしゃくりあげる音しか聞こえない。呼吸に合わせて上下に揺れる背中をオロオロと眺めながら、俺は何度目かの覚悟を決めて声を絞り出した。

「あの~~~……」

 意を決して声をかけると、ケイトは音を立ててクッションから顔を上げてきつく睨みつけてきた。ああ、目元が真っ赤になっちゃって。

「鍵閉めたのになんで入ってくんの!」
「あけた」
「犯罪!!」

 俺がマスターキーと呼んでいるヘアピンを見せると、怒ったケイトがクッションを投げつけくる。手元の全てを投げると荒い呼吸が静かな部屋に響く。

「……なに、面白い? 趣味悪いんじゃない? 自分が振った男が泣きわめいてるの見るの、楽しい?」

「えーっと、ケイト」

「出てって欲しいんだけど。そもそも勝手に入るのって犯罪だし、見逃してやるから出てけよ」

「ケイト」

「うるさいな、向こうにいけよ」

「ケイト・ダイヤモンド!」

「、っ」

 強く名前を呼ぶと肩がびくりと震え、迷子の子供のように途方に暮れた表情をして俺を見上げた。悔しいな、こいつ、こんな顔でもきらきらしてるんだ。

 なにひとつ悪いことをしていないケイトは、それでも親に強く叱られた子供のような目をして「だって」と小さく呟き続けている。俺は親でもないし、ケイトは悪いことをした訳では無いし、俺だって怒っている訳でもない。手の甲で零れた涙を何度も拭いながら「だって」と「なんで」をポソポソと繰り返して、ケイトはもう一度子供っぽい泣き声をあげた。
 子供の頃以来泣いてないから、そこからアップデート出来なかったみたいで可愛いな。可愛いって、思っちゃうんだよなあ……。

「俺はまだお前に告白してないだろうが、勝手に振られるな」
「だって、俺じゃなくて、オレくんのこと好きってゆったぁ……!」
「それは初恋の話だろが!! 俺はまだ『今』好きな人の話をしてない! 泣くな!」

「いま」

 もしかして、それ聞いたら泣かなくてもよくなる? 目元だけじゃなくて顔まで真っ赤にしてケイトが言う。
 ああもう、俺は初恋をずっと引き摺ってるんだ、もっとゆっくり、話をさせてくれ。