漁村の人間は皆働き者だ、俺だってそうだ。行くぜ、スピアフィッシング! と宣言したら親父もお袋もみーんな喜んでくれた。
朝の潮風が、胸の奥までしみる。この匂いを吸い込むと、身体の中の血が海と混じる気がする。
海の中で死にかけたら、海が怖くなるという奴もいるらしい。その発想はなかった。生まれた時は陸で、死ぬ時は海の中で。そう生きてきたからそれが普通だと思ってたよ。曾祖父さんだって寝たきりだったのに、いつの間にか這いずって海に行って死んだしな。
俺の左腕に傷は残ったが、どうせここもミドルスクールになったら刺青を入れる場所なので隠れるだろうし問題は無い。
海で死ぬと膨れてしまうから、この村のやつはみんな身体中に刺青をいれている。
海の中でバラバラにちぎれても、どれかひとつでも見つけられたら分かるようにと、全身にだ。俺は今足から腰まで入ってて、もう少し体が大きくなったら背中と肩、腕にもいれる。
やっぱり男として生まれたからには、親父みたいに顔まで入れたいけど、お袋には「これはやりすぎ。都会で怖がられるからやめときな」と言われたので無理だ。お袋がこの家で一番つよい。えらい。逆らえない。
腕は問題なく動かせるし、新しいモリも貰った。二週間ぶりの漁だ。天気もいい。潮は穏やかで、水も少しあたたかい。魚が肥えて、銀の腹をひらめかせている。
サメと戦って刃こぼれしたナイフは丁寧に研ぎ直して、最初よりも鋭い。次があっても絶対に負けない。
ゆっくりと潜って、身体を海に慣らす。水の重みが背中を押すたび、心臓がゆっくりと脈打つ。
あの時は必死で見えていなかったが、サメが暴れた跡がそこかしこに残っていた。岩が崩れて、砂が溜まり、潮の流れも変わっている。
岩が入り組んでいる場所、あそこにはよく大型の魚がいて良い狩場だったのに……。ほとんど崩れかけてしまっている。かなしい。俺のお気に入りの狩場……。
「…………」
ごぷぁっ
無意味に息を吐いてしまい、慌てて口を閉じる。
岩場の隙間を覗いた瞬間、そこに“顔”がふたつあったのだ。人の顔。けれど、刺青がない。若い。誰か行方不明になったやつはいたか? 一瞬でそこまで考えて、息を止めた。
狭い隙間から出てきた“それ”は、長かった。
青白く光る肌、長い尾。───────人魚だ。
酸素が足りない。海面へ浮上しながら、さっきの岩場を振り返る。 『きろろろ』『きゅるるる』と、どちらともつかない音が、泡の合間を抜けて聞こえた
たぶんそれが彼らの言葉なのだろう。子供の人魚はイルカとかクジラと似た言葉で会話するらしい。人間に関わらなければそのまま大人になり、人間と関わることを覚えたら共通語を使うようになる。
身体は長かったが、顔つきは俺と同じくらいの年齢に見えた。どうしようか、ここら辺で人魚が出るなんて珍しい。たまに大人の人魚が貿易でやって来るくらいしか関わりがないからわからない。
子供の人魚は遊んでるつもりで人間を殺してしまうことがあるから、出来るだけ関わるな。そう言われていたが、俺まだ今日スピアフィッシングやってない……。大見得切って海に来たから、獲物を担いで帰りたい……。
気にしない。見なかったことにしよう。
そう決めて海に潜り直した。岩場を横切り、違う狩場を目指す。視界の端で青い尾がちらちら揺れていた。
ついてきている。にこにこ笑って。
攻撃してくるつもりはないらしい。安堵した瞬間、ぬっと前に回り込まれた。
『きろろろ』
「…………」
垂れ目の人魚が俺にモリを差し出していた。よく見るとそれは、サメに襲われた時に落としたやつ。拾ってくれていた?
イルカのような声で何かを言っているが、言語が違うし水の中でぼやけた音ではわからない。とりあえず、新しいモリを貰ったからそれはもう良い。あげる。差し出してきた手を軽く押して、モリを指さし、次に垂れ目の人魚の方を指さす。
「(あげる)」
伝わったかはわからないが、モリを抱えた人魚が海中でくるくる回り始めたので、喜んではいるようだ。吊り目の方の人魚も嬉しそうに『きゅるる!』と弾むように何か言っている。もちろん、こっちの言葉も分からない。
それから、人魚達は何故か俺の漁についてきて自分で捕まえた魚を半分だけ渡してきたりした。
なんで。意図がわからなくて怖い。とりあえず向こうも食べてるから俺も一口齧った。生臭い……。
ボディランゲージは伝わるようなので、手を振るとか頭を下げるとかでコミュニケーションをとりながら漁をおえたが、子供の人魚って好奇心が強いらしいから人間が珍しかったんだろうな。
ここら辺は密漁者もほとんどいないし、人魚にとっては安全な方だろう。他所の海では人魚狙いの密漁とかあるらしいから……。ちなみにうちでやったら縄張りを荒らしたとして殺される。報復の祭りがはじまる。村に人魚も住んでるくらい、仲良くやっている関係だ。人魚攫いは人魚の敵ではなく、“俺たち”の敵になる。海の者を怒らせると怖いのは、どこの国でも同じだろう。
陽が傾く前に、釣果を持って帰る。ギリギリまで追いかけてきま人魚たちの声が、寂しそうに『くるる……』『きゅるる……』と聞こえたが、振り返って手を振るとパッと顔を明るくして全身で手を振り替えしてくれた。
『また』という気持ちは、この動きで伝わっただろうか。また、会えたら一緒に泳ぐのも良い。誰かと一緒に泳いで漁をするのは初めてだったから、ほんの少し、いつもより楽しかったから。
