1000年分の口実

「だから角に性感帯なんてありませんって言ってるでしょうが! 神経すらまともに通ってないんですよ、ここは! 何が『そこは伴侶にしか許さない場所だ』ですか! 何も知らない短命種を相手に好き放題でたらめ吹き込んで、恥ずかしくないんですか!? というか恥ずかしくないからこんなことしてるんでしょうけど、こっちは同族として死ぬほど恥ずかしいんですよ!」
 
 エリオット・ケインは、知らない男にこれでもかと怒鳴りつけられている自分の伴侶を、少し離れた長椅子からぼんやり眺めていた。
 伴侶、と呼ぶようになって三年、その前に相棒として五年。合わせて八年も隣にいる男なのに、ヴァシュル・ネイゼルがここまで一方的に詰められているところは初めて見る。
 
 酒場で酔っ払い六人に囲まれても平然としていたし、賞金首を取り逃がした件でギルド長から一時間説教された時には、途中から椅子を後ろへ傾けて寝ていた。国境警備隊に剣を向けられた時ですら挑発用の半笑いで「うるせーなこいつ」と言いながら、こめかみの横で指をくるくる回していた男が、今はひたすら斜め下の床を見ている。
 それもただ俯いているのではない。二本の角をするすると引っ込め、代わりに背中から半透明の羽を四枚出して、顔の横へ妙な角度で立てていた。
 
 トンボに似た細長い翅は肩甲骨のあたりから伸びているくせに、背もたれにも壁にもぶつからず、薄い硝子板みたいな表面越しに向こう側がそのまま見える。
 本人いわく、こちらとは少し違う層に存在しているものらしい。以前は「感情が強く動くと勝手に出る」と聞かされていたが、今日の流れを考えるとそれすら怪しくなってきた。
 
「それから尻尾! 『伴侶以外に握られると死ぬことがある』って何ですかそれ! 握られたって嫌なだけですよ! 引っ張ったら痛いのはまあそうですけど、それ人間さんだって髪を引っ張られたら痛いでしょう! なんですか死ぬって! どこから出てきたんですかその重めの設定!」
 
「…………」
 
「羽まで出して聞こえないふりしないでください! それ聴覚となんの関係もありませんからね! というか羽は精神状態と連動してません! 意識しないと出ません! あなた今、意識的に『聞いてません』をやってますよね!?」
 
 ヴァシュルの羽が、ぶるる、と一度だけ震えた。図星なのだろう。エリオットは長椅子へ肘をつき、朝から何度目になるか分からない小さなため息を吐いた。
 
 今日は仕事で立ち寄った港湾都市で、たまたまヴァシュルと同族らしい男に出会ったのが始まりだった。
 
 同族、といってもエリオットには一目では分からなかった。黒に近い青灰色の髪に、人間よりほんの少し長い犬歯が覗く程度で、角も尻尾も普段はしまえるらしく、街中を歩いていれば少し目を引く美男というくらいである。
 
 ところが向こうは宿の食堂へ入ってくるなりヴァシュルを見つけ、持っていた皿を落とした。そのあとエリオットを見て、ヴァシュルの首筋にある紋様を見て、もう一度エリオットを見て、ひどく嫌なものでも踏んだような顔をした。
 
 それから二時間が経つ。セヴァジュ・レイゼンと名乗った男はまだ元気で、ヴァシュルのほうはそろそろ精神だけ壁の向こうへ逃亡しようとしていた。そういうこともできる。嫌なものを見ないようにする技術は種族的にも得意らしい。これもヴァシュルに聞いた事なので、少しばかり信頼性は揺らいでいるが。
 
「そもそも伴侶印ってなんですか、これ、ただの私有標でしょうが! 家畜とか荷物とか、自分の持ち物に使うやつ! 人につけるものじゃないですよ! まして人間さんの目が届かない背中に勝手につけて、何を『我々は伴侶になると互いの身体に紋様が浮かぶ』ですか! 浮かびませんよそんなもの、術式で焼きつけない限り!」
 
 エリオットは自分の左肩を触った。背中の上のほう、肩甲骨の横あたりには薄い紋様がある。三年前、ヴァシュルとあれこれあった翌朝に現れていたもので、鏡越しに見つけて驚いたエリオットへ、ヴァシュルはキリッとした真面目な顔で「番になった証拠だ」と説明した。
 そういうものなのかと思ったし、その後は特に痛みも痒みもないので気にもしていなかったが、どうやらそういうものではなかったらしい。
 
「ヴァシュル、お前あれ自分でつけたの」
 
 ヴァシュルは答えなかった。代わりに上着の裾から細く長い黒い尻尾が出てきて、本人の足首へ一周、さらにもう一周と巻きついていく。
 エリオットはこの仕草を知っている。都合が悪い時にやるやつである。
 もっとも本人からは以前、「伴侶の前でのみ見せる極度の安心状態」と説明されていたので、そこまで含めて今日ひっくり返った。たぶん今、こいつの長い一生のうちで最も安心できてないと思う。
 
「これ、都合悪い時にやるやつか」
 
「少なくとも種族共通の愛情表現なんかじゃありません。あと人間さん、何でもこいつの言うことを種族習性だと思わないでください! 我々だって性格がありますからね!」
 
「じゃあ、俺の膝に尻尾を乗せてくるのは」
 
「それは甘えてるんじゃないですか。そこまで知りませんよ、こいつ個人の癖でしょう。人間さんだって同じ人間だからって知らない男の寝相まで説明できないでしょう!?」
 
 それはそうだ、とエリオットも思った。ただ、これまでヴァシュルの同族とまともに話したことがなかったので、本人が「俺たちはこうだ」と言えば信じるしかなかった。
 なにしろ希少種である。五年前に出会った時、ヴァシュルは「俺たちは世界に百人いるかどうかだ」と言っていた。念のためそれも確認したところ、セヴァジュから「それはだいたい本当です」と答えが来たので、十個に一個くらいは本当のことを言うらしい。昔、詐欺師の知人に教わった人の騙し方と同じだった。奴はあのあとすぐに捕まったが、こいつは危うく完全犯罪を成し遂げかけていた。
 
「あと人間さん、この男から『角は性的な部位なので伴侶以外が触れてはいけない』と言われたんですよね。念のため確認しますけど、それで触るのをやめたんですか」
 
「ああ。初めて触ろうとした時にものすごい勢いで手を掴まれてな。あの頃はまだ普通に相棒だったし、悪いことしたと思って謝った」
 
「そんな禁忌ありません。そもそも角の外側はほぼ死んだ組織です。根元なら強く殴られれば痛みますけど、それ頭を殴られたから痛いだけです。ああもう、なんでよりによって性感帯にしたんですか! 変態!」
 
 最後だけ完全に同族への罵倒だった。ヴァシュルは斜め下を見たまま、ついに羽を少し前へ回して顔を隠し始めた。透けているので何の意味もない。セヴァジュの姿もエリオットの姿も見えているはずなのに、本人としては遮蔽物を作ったつもりなのかもしれない。その透明な羽越しに顔を眺めながら、エリオットは三年前のことを思い出した。
 
 宿の部屋で、長く組んでいた相棒にいきなり押し倒され、訳の分からないまま散々振り回された挙げ句、腰の上へ跨ったヴァシュルから「俺で勃ったな、俺で感じたな、俺の中に出したな! これでお前は俺のものだ!」と宣言された。
 
 そのあたりまでは、言っている意味だけなら分かる。問題はそのあとだった。呆然としているエリオットへ、「俺たちの種族ではここまでした相手は生涯の番になる」「拒絶すると双方に死の危険がある」「もう他の相手とは結ばれない」「相棒だった五年間も求愛期間に含まれる」と、聞いたこともない婚姻習俗を次々説明してきたのである。
 
 なんだその迷惑な生態と思ったものの、相手がヴァシュルなら、まあいいかとも思った。勃ったし感じたし出るくらいには、『そういう目』でみていたし、五年も背中を預けてきた相手で、嫌いどころかかなり好きだったし、本人がそこまでして選んだというのなら付き合ってやってもいい。そうして三年経った。全部嘘だった。
 
「なあ、セヴァジュ。つがいっていうのも、ないの」
 
 セヴァジュはしばらく黙り、エリオットではなく透明な羽の向こうへ逃げ込んでいる同族を見た。見る見るうちに眉間の皺が深くなっていく。そのうち割れるんじゃないかってくらい谷は深くなっていた。
 
「……人間さん。ひょっとしてこの馬鹿から、『我々は生涯ひとりの相手だけをつがいとして選び、一度結ばれれば死ぬまで離れない』とか、その手の話を聞いていますか」
 
「だいたいそんな感じだったな。つがいを失ったやつは二度と誰も愛せなくなるとも言ってた」
 
「おとぎ話ですよこんなもの。ありますよ、そういう伝承は! でも現実の習性じゃありません。人間さんのところにも、愛し合った二人が死後に星になって永遠に寄り添いました、みたいな話くらいあるでしょう。それ読んで人間は死んだら全員星になりますなんて説明する馬鹿がどこにいるんですか? 」
 
 二人とも同じ方向を見た。ここにいる。透明な羽の向こうでヴァシュルが目を閉じた。とうとう視覚まで放棄したらしい。
 
 エリオットは口の端を掻きながら、怒ったほうがいいのだろうな、とぼんやり考えた。
 
 かなりの嘘であることくらいは分かるし、三年前の自分が今ここにいたらもっと怒っている。ただ、怒りというものは三年も経って生活の一部になってしまったものを突然ひっくり返されても、すぐ都合よく出てきてくれない。
 明日の朝飯を何にするか考えているところへ、三年前から使っている食器は実は全部盗品でした、と聞かされたような妙な今さら感が先に来る。あ、そう? じゃあ定価で買い直そうか? くらいの気持ちになっている。もう愛着とか、わいちゃってるし……。
 
「他には何を言われました?」
 
「いろいろあるぞ。伴侶になったら同じ寝床を使うとか、一日に一回は肌を触れ合わせないと体調を崩すとか、二週間以上離れると精神が不安定になるとか」
 
「全部ありません。最後のは単にこいつが人間さんと離れたくないだけですし、二番目に至っては何なんですか。毎日触りたいなら素直にそう言えばいいでしょう! なんで種族全体を巻き込むんだお前は!?」
 
「あと、俺以外の男と酒飲みに行った時、帰ってきてから丸一日口利いてくれなかったのは」
 
「知りませんよそんなの! ただの嫉妬でしょう! もう何でも聞かないでください、こいつの個人的な面倒くささまで我々の生態みたいにされると困るんです!」
 
 なるほど、とエリオットは妙に納得した。八年間抱えていた細かな謎がすごい勢いで解けていく。
 あまり気分のいい解け方ではないのに、少しすっきりするのが腹立たしい。ヴァシュルの羽はいつの間にかだんだん小さくなっており、このまま存在感まで薄くなれば話題から外れると思っているらしいが、身長百九十を超える男が部屋の真ん中でどれだけ縮こまっても消えることは難しい。セヴァジュは長く息を吐いて額を押さえ、それから今度は真面目な顔でエリオットへ向き直った。
 
「……もうひとつ、嫌な予感がするので確認します。人間さん、この男と魔法陣の中で寝たことはありますか。床へ円を描いて、内側に文字のようなものをたくさん書いて、二人で真ん中へ横になるような」
 
「あるなあ。伴侶になる最後の儀式だとか言われて、ひと月くらい経った頃にやった。少し眠くなるだけだから大丈夫だって」
 
「最近、自分がほとんど老けなくなったように感じたことは」
 
「ある。傷の治りも昔より早い気がするし、徹夜した翌日も前ほどきつくないな。三十過ぎてから丈夫になったから、伴侶になると身体まで丈夫になるのかと思ってた」
 
 セヴァジュは何も言わず天井を見た。しばらく戻ってこなかったので、エリオットもなんとなく天井を見上げたが、古い宿らしい黒ずんだ木目があるだけだった。先に現実へ戻ったセヴァジュが、ひどく疲れた声で口を開く。
 
「魂分けしてます、この馬鹿」
 
「なにそれ」
 
「互いの魂を接続して、生命力と寿命を融通する古い術です。今は禁止術なのでまともな術者ならまず使いません。単純に半分ずつになるわけじゃありませんけど、長命側から短命側へかなり引っ張られるので、人間さんの場合は寿命が相当延びているはずです。
というか本人の同意なしでやるものじゃありません! なんでこんな大事なところまで嘘ついてるんだこいつ!」
 
 エリオットがヴァシュルを見ると、ヴァシュルは羽をしまい、角も尻尾も消して、何もない床の一点を凝視していた。とうとう普通の人間のふりを始めたらしい。無理がある。
 
「どのくらい寿命が伸びたんだ、俺」
 
「個体差があるので調べないと分かりません。ただ我々は人間さんよりずっと長く生きますから、術式が完全なら数百年単位になる可能性もあります」
 
「へえ」
 
「へえ、じゃありませんよ。なんで知らない魔法陣の真ん中で寝るんですか?」
 
「伴侶の儀式だって言われたからな。ヴァシュルが痛くないって言ったし」
 
「この件に関しては人間さんサイドにも問題がありますよ」
 
 そこはエリオットもさっきから薄々思っていた。ただ、八年前からずっとそうだった。
 
 ヴァシュルが「大丈夫だ」と言えば大丈夫なのだろうと思ってきたし、「こっちだ」と言われればついていった。洞窟に入れと言われれば入ったし、崖から飛べと言われた時も一応飛んだ。あの時は下に湖があったので問題なかった。信頼というか、こいつの言うことを聞いてあんまり嫌なことになったことは無いな、という成功体験の積み重ねから、魔法陣くらいならまあいいかに至った。ここまで考えると、自分側の問題も大きいような気がしてくる。思考停止の末にこのザマだ。
 
 長椅子から立ち上がると、それまで三歩ほど離れた場所で置物になっていたヴァシュルがようやく動き、ひどくゆっくりとこちらへ歩いてきた。
 
 いつもは大股でさっさと歩く男が弱々しく背中を丸め、何も言わずエリオットの後ろへ回る。大柄なのでまるで隠れていない。肩越しに黒い髪が見えているし、左側からはいつの間にか出した尻尾の先まで覗いていた。
 
「隠れても無駄ですからね。あとで術式を全部確認します。無断で魂分けなんて、どういう理屈でこんなことをしたのか説明してもらいますし、場合によっては解除も​────」
 
「解除はしない。今さら真実を知ったとしても、お前はもう俺のものだからな。魂分けも戻さないし、逃がす気もねえぞ」
 
 ここへ来て二時間近く黙っていたヴァシュルがようやく口を開いた。声だけはいつも通りで、しかもエリオットの肩へ顎まで乗せてくる。エリオットは少し待った。何か続くと思ったからである。しかし続かなかった。
 
「そこは謝れよおまえ」
 
「ごめんね」
 
「いいよ」
 
 セヴァジュが、こいつら……! という顔をした。言葉が出てこないらしく、口を半分開けたまま二人を見比べている。
 
 エリオットとしても何もかも本当にいいわけではない。
 勝手に寿命を伸ばされた件なんかは後でちゃんと聞く必要があるし、これまで説明されてきた習俗のどこからどこまでが嘘なのか、一度紙にでも書き出してもらったほうがいいだろう。
 
 ただ、五年相棒をやって三年伴侶をやった。朝起きれば隣にいて、仕事へ行けば背中を預け、金がなければ安宿で一つのパンを半分にし、エリオットが熱を出した時には三日ほとんど眠らず看病してくれたし、ヴァシュルが酔って道端で寝た時には宿まで引きずって帰った。
 
 その三年間を「婚姻ルールが嘘だったので今日からなし」にするほうがよほど面倒くさい。それに、ヴァシュルが自分を好きなのはたぶん本当なのだろう。ここまで全部嘘だったあとでは、たぶん、と付けるくらいは許されたい。
 
「人間さん、念のため聞きますけど、本当にそれでいいんですか。怒る権利ありますよ。貴方は被害者ですよ、弁護士を呼びましょうか?」
 
「怒ってはいるぞ。こいつ、三年前に俺が女と飯食っただけで『つがい以外と二人で食事するのは離縁の意思表示になる』とか言ってきたんだ。あれも嘘だったんだろ」
 
「もちろん嘘です。そんな決まりがあったら我々、友達と食事もできないじゃないですか!よく今まで疑いませんでしたね!?」
 
「じゃあ今日は晩飯抜きにする」
 
「ゆるして……」
 
 背後から即座に悲しい声が飛んできたので、エリオットは少しだけ気分がよくなった。罰としては軽すぎる気もするが、今日はこれくらいでいい。
 しかし話はそこで終わらず、セヴァジュが腰の鞄から細長い金属板を取り出した。表面には細かな光の文字が流れており、ヴァシュルはそれを見た途端、エリオットの肩に乗せていた顎をわずかに上げた。この二時間で初めて明確に嫌そうな顔をした。
 
「そちらの話はまとまったようですが、こちらの話はまったくまとまってませんからね。
虚偽の種族習俗を説明して短命種と婚姻に類する関係を成立させた件、身体への無断標識、禁止術式による寿命干渉、そのあたり全部調べます。短命種保護法だけでも犯罪ですからね。
はーんーざーいー! 何が『俺たちの種族ではこうなんだ』ですか! あなたみたいなのが一人いるせいで我々全体への偏見が増えるんですよ! ただでさえ人数が少ないせいで人間社会には変な伝承ばっかり広まってるのに、実在する個体が率先して嘘を補強してどうするんですか!?」
 
「犯罪なのか、これ」
 
「犯罪ですよ! 国際問題になりますね。人間さんの国との協定にも短命種への寿命干渉は明記されていますからね。あなたは今から当事者として事情聴取ですし、そっちの馬鹿は容疑者です」
 
 その日の夕方、ヴァシュル・ネイゼルは短命種保護法違反その他の疑いで一時拘束された。
 
 エリオットも同行した。被害者なので帰っていいと言われたのだが、連れていかれる直前にヴァシュルが売られる子牛の瞳でこちらを振り返ったため、そのままついていったのである。
 
 事情聴取は思ったより長く、虚偽説明による関係形成、身体への無断標識、禁止術による寿命干渉など、聞けば聞くほどよく今まで野放しになっていたなという話が出てきた。うそ、俺の伴侶、極悪人……? 極悪人なんだよな。しっかり裁かれてるタイプの。
 
 幸い魂分けそのものはエリオットの生命を害しておらず、「まあ、くれるものは貰っとく」と解除を希望しなかったため緊急性のある案件としては扱われなかったが、途中で係官が「最初の性交渉について強制性は」と尋ねた時だけ、ヴァシュルがものすごい顔をした。
 エリオットは少し考えて、初回はまあかなり強引だったと正直に答えた。罪状が一個増えた。ヴァシュルは必死に「合意だ! あれは絶対合意の元だった!」と騒いだが、たぶん記憶の改竄をしている。とはいえこっちが乗っかられた方なので、エリオットのやる気がなければ成し遂げられないことではあった。痛み分け、くらいでちょうどいいのかもしれない。
 
「このままだと、どれくらいの罪になるんだ」
 
「最低でも懲役百五十年程度でしょうね。ただし被害を受けた人間さんが現在も関係継続を希望していること、重大な身体的後遺症が確認されていないこと、魂分けについて結果として生命力の増強が生じていることは情状として考慮されます。ただ、百五十年から始まると思ってください」
 
「長いな」
 
「人間さんの感覚ではそうでしょう。我々にとってはそこまで人生全部が終わる長さでもありませんが」
 
 なるほど、だからヴァシュルは思ったほど絶望していないのか、とエリオットは留置用の椅子へ座っている伴侶を見た。
 本人は壁にもたれたまま黙っており、尻尾だけが床をぺちぺち叩いている。あれは不機嫌な時にやる。以前は「伴侶と離される恐怖を感じると無意識に出る」と聞いた。もう何も信じないことにした。
 
 
 
 結局、被害者であるエリオットが弁護側に回ることになった。ギルドから過去八年間の活動記録を取り寄せ、生活実態や現在の関係継続意思を説明し、関係は良好であることを証言した。
 ヴァシュル自身もさすがに観念したのか、途中からは質問へきちんと答え、嘘をついた箇所をひとつずつ申告していったが、途中で「どこまで嘘をついたか覚えていない」と言い出したため、追加でセヴァジュに胸ぐらを掴まれて上下に揺らされていた。
 
 最終的には罰金と執行猶予五十年になった。五十年。人間なら人生の大部分が終わる時間だが、ヴァシュルにとっては多少長い謹慎程度なのだろう。
 
 その日の夜には二人とも宿へ戻り、晩飯抜きの刑も結局エリオットまで腹が減ったため撤回され、向かいの食堂で肉と豆の煮込みを食べ、帰りには焼き菓子まで買った。
 犯罪者が食うにはずいぶんご機嫌な夕食になったが、代金はヴァシュルが払ったので何も言わなかった。
 
「なあ。なんでこんな面倒くさいことしたんだ。普通に好きだ付き合ってくれ最終的には結婚してくれって言えばよかっただろ。五年も一緒にいたんだから、少なくとも話くらいは聞いたぞ」
 
 部屋へ戻って外套を脱ぎかけていたヴァシュルは、その姿勢のまま止まった。
 今日一日、どんな罪状を読み上げられた時より露骨に目を逸らし、ほどなく尻尾が出てきて自分の足へ巻きついた。今ならもう意味が分かる。種族習性でも伴侶への愛情表現でもなく、こいつが個人的にものすごく気まずい時にやる癖である。
 
「……好きだから結婚してくれって言うの、恥ずかしかった」
 
 エリオットはしばらく黙った。三年前の夜を思い出した。押し倒され、脱がされ、乗っかられ、散々好き勝手された挙げ句、腰の上から「俺で勃ったな、俺で感じたな、俺の中に出したな! お前は俺のもんだ!」と勝ち誇られ、その後一時間近く架空の婚姻制度を説明された。
 
「絶対そっちのほうが恥ずかしいだろ」
 
「うるさい。今考えたら俺もそう思うけど、あの時はあれしか思いつかなかったんだよ」
 
 ヴァシュルはそのまま寝台へ潜り込み、頭まで毛布を被った。そこから尻尾だけが出ている。エリオットも外套を脱ぎ、いつものように隣へ入ると、ほどなく尻尾が毛布の中を這ってきて腹の上へ一周巻きついた。
 
 これについても過去三年間でいくつか説明を聞いた気がする。種族特有の愛情表現だったり、生命力を共有するための行動だったり、伴侶への所有本能だったり、その時々で少しずつ違っていた。
 今となってはたぶん全部嘘で、単にくっついて寝たいだけなのだろう。それなら最初からそう言えばいいのにと思うが、言えないせいで懲役百五十年を食らいかけた男なので、そこへ期待するのも酷かもしれない。
 
 
 翌朝、セヴァジュから長い書面が届いた。題名は『ネイゼル氏から説明された種族習俗についての事実確認一覧』。
 
 四十二項目ある。朝飯を食べながら読んでみると、角の性感帯は嘘、尻尾を伴侶以外に触られると衰弱するのも嘘、羽を見せるのは求愛の証という話も嘘、同じ皿から食事を取れば婚約成立というのも嘘、衣服を交換すると婚姻が成立するのも嘘、同じ風呂へ入るのは家族だけというのも嘘、二週間以上離れると死ぬのは当然嘘、一日に最低一度口づけしなければ魂が弱るというのは「完全な虚偽です。医学的根拠も魔術的根拠も一切ありません」とわざわざ赤字で書かれていた。途中から読むのが馬鹿らしくなってくる。
 
「お前さあ。俺にキスしたいだけで『魂が弱る』まで言ったの」
 
 向かいでパンを食べていたヴァシュルがこちらを見た。少し考えたあと、悪びれもせずパンを皿へ置く。
 
「弱る気はする。二、三日されなかったら凄い嫌だし、だったら完全な嘘でもねえだろ」
 
「お前の気分の話じゃねえか。今後『俺たちの種族では』って言い始めたら、その場でセヴァジュに確認するからな」
 
「分かった。じゃあ今後は誤魔化さないで言う。今したいからしてくれ」
 
 エリオットは書面を机へ置いた。こういうところだけ素直だ。
 仕方なく一度口づけてから続きを読み、四十二項目中、事実だったものが六個しかないことを知った。希少種であること、寿命が長いこと、羽が別の次元に存在していること、角を折っても時間をかければ生え直すこと、尻尾は本当に引っ張られるとかなり痛いこと、それから一度魂分けをした相手とは死ぬまで生命が繋がること。
 
 最後の一つだけは嘘ではなかった。ただし、そこへ至る手順が全部犯罪だったのであまり感心できない。
 
 異種族、とりわけ希少種との付き合いには、相手が「うちの種族ではそうなんだ」と言い出した時にこちらから確かめる手段がほとんどないという落とし穴がある。
 
 角が性感帯だと言われればそうなのかと思うし、毎晩同じ寝床で抱き合わなければ具合が悪くなると言われれば、そういう生き物なのかと思う。
 
 対策はたぶんない。運よく別の同族に会えることを祈るか、相手の良心に期待するしかない。ヴァシュルの場合、その良心がたまたまかなりぶっ壊れていた。
 
 とはいえヴァシュルは今日も変わらず隣にいる。罰金のせいでしばらく高い酒は飲めなくなり、五十年間は同族の行政機関から定期的な監督を受けるらしい。
 セヴァジュからは「人間さん、こいつが今後『我々の種族では』という言い出しをしたら全部こちらへ確認してください」と連絡先まで渡された。ありがたい。使う機会はたぶん多い。
 
 なお、その日の午後、ヴァシュルが何食わぬ顔で「俺たちの種族では伴侶の誕生日に​───」と言い始めたため、エリオットは最後まで聞かずにセヴァジュへ連絡した。返事はすぐ来た。
 
『ありません。今こいつが考えました』
 
 横を見ると、ヴァシュルはもう斜め下を向いている。角がするすると引っ込み、代わりに半透明の羽が四枚出て顔の横へ立つ。
 昨日あれだけ怒られたのにまだやるらしい。もはや癖になっている。呼吸するように嘘をつきやがって。
 エリオットはしばらくそれを眺めてから、とりあえず頭を一発叩いておいた。素直に言え、素直に。叶えられることなら叶えてやるから。
 
 

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