その否定は暴力に等しい

 最近の燈矢くんは、帰宅と同時に部屋の安全確認に余念がなくなった。ドアを開けた瞬間に視線を走らせ、まず俺の姿があることを確認。そのあと、ぐるりと周囲を見回し、人が隠れられそうな場所​───カーテンの裏、押し入れの戸、机の下まで順番に覗き込んでから、ようやく「よし」と小さく呟いて確認作業を終える。

 妙に几帳面なそのルーティンの原因は、きっとアレとおばけくんだ。あの二人のことを、燈矢くんは「陽火くんの友達」として認識しているらしい。一方で二人にとっての燈矢くんは、おそらく「友達んちのヤンキーな兄さん」くらいの距離感だと思う。
 遊びに来ていると、たまに気まぐれでピザポテトやじゃがりこを部屋に投げ入れてくれることがある。その優しさを目撃しているので、彼が身内に対しては思ったよりも甘いタイプだというのは伝わっている。だがそれと「自分たちにも優しいかどうか」は別の話で、突然キレられて燃やされるリスクが拭えないため、二人ともあまり積極的に関わりたがらない。ちょうど、猫がよく分からない人間には一定の距離を取るように。

 おばけくんは、ママを荼毘に付した直後から家の記憶も、自分の名前すらもすっぽりと抜け落ちてしまい、今では「俺わかんない、おばけ。ずっとおばけしてる……」としか言わなくなっていた。ショックからくる解離性健忘だろう。一瞬で燃えたのだといえども、剥き出しの“ママ”が目の前で焼却される光景はさすがにキツすぎる。可哀想にとは思うが、原作通りにいくための必要な犠牲だ。悪いことはしてないしな。これ幸いと俺はおばけくんもゲットしたのであった。

 もっとも、さすがに燈矢くんとアレとおばけくんを同じ拠点で共同生活させるのは無理がある。燈矢くんがストレスで病む未来しか見えない。俺の兄は案外繊細な上に、俺にだけめちゃくちゃ甘いので「陽火くんの友達」はできる限り殺さないように配慮してくれるが、殺さないように我慢することは彼にとって大きなストレスなのだ。可哀想に。己の力の使い方を暴力方面で覚えてしまったばかりにストレス耐性が赤ちゃんになってる。
 なので不要な衝突を避けるため、近くにある使われていない放置物件を勝手に“借りて”二人を寝泊まりさせている。今のところ二人からも外部からも文句は来ていない。

 ありがたいことに、おばけくんの個性【ゴースト】は周囲の温度を下げる効果があるため、真夏でもエアコンいらずの快適空間が実現できている。アレは毛むくじゃらだから夏に弱いらしいが、その冷気のおかげでなんとか命を保てているようだ。冬のことは今は考えない、未来の俺に任せる。今を生きることで精一杯なので……。そのうちなんか……大きめの集合住宅とか欲しいよな……。

 拠点に新しい仲間がいないと分かってほっとしたらしい燈矢くんが、ノロノロと俺に近づいてきて、ゆっくりと肩に頭を乗せる。重みと同時に、熱い体温が伝わってくる。

「ただいま……」

 かすれた声でそう呟く彼の頭を、俺はわしゃわしゃと撫でながら「おかえり」と応えた。

 今日も燈矢くんは、ホカホカと火傷しそうなほど熱い体温を抱えて帰ってきた。やっぱり汗をかかないのが問題なんだろうな……アレの体液、保湿成分もあるっていうから毎日全身に塗ったくってやろうかな……。

「お風呂入るよ」
「お湯がいい……」
「ダメだよ、水と氷だよ」
「なんでいつもいじわるすんの」
「好きな子には意地悪しちゃうタイプだからね」
「じゃあいいよ、俺ずっと氷風呂でいい」

 意地悪の許可も得たことだし、甘えてのしかかってくる身体を抱き上げて移動を始める。火照った肌が押しつけられて少し息苦しい。
 半年くらいこの逃亡生活を続けているが、気づけば俺も随分背が伸びた。体力もついたし、骨格の感じからして、身体はどうやら父方似なのかもしれない。

 けれど鏡を見るたびに思う。顔の方は少しずつ前世の自分に寄っている気する。そこが少し、いや、正直に言えばかなり怖い。俺、原作時間軸だと轟家の子供の要素ゼロにならないか? 身体だけゴリゴリの父親似になったとしても、このヒーロー社会ではゴリマッチョなんて無限にいるんだ。あと俺の前世の面、ゴリマッチョは似合わない。未来が怖い。

 最近は燈矢くんも多少は体力を残して帰ってきてくれるようになったので、一人でも風呂に入れるようになってきた。
 けれど以前、「この氷が全部溶けたら出てね」と言い残して風呂場を離れたらわざと湯船に沈んで俺を呼び戻し、「陽火くんが俺を置いてったせいだ」とニタニタと笑っていたので、このメンヘラ彼女(実兄)は俺に構ってもらうためならギリ死なない程度のやらかしは平気でしてくるらしいと発覚。甘え方が凄惨すぎる。

 仮に俺が間に合わなかったとしても全ての水を蒸発させて助かるから、ただただ「陽火くんが来てくれなかった」と自分が傷付いて悲しくなるだけなのにな……。可哀想に……。

 水風呂に水シャワーぶち当てつつ、バケツの氷をガンガンいれて強制的に全身を冷やしてると俺の方が風邪をひきそうになる。これが意地悪の代償ってことだ。俺に世話を焼かれることに慣れてる燈矢くんはいつもの水風呂で「お湯がいいけど我慢する……」と、叶わない願いを口に出して死なない程度に沈んでいる。髪を洗うのも身体を洗うのも全部浴槽の中で済ませてしまうが、最後に流せば問題ない。出して入れての工程が大変すぎる。

「最近冷えるの早くなってる気がする、強くなってるってことかな」
 中身を冷やしつつ火力をあげる半冷半燃が実父の望みだったんだよな……。思い出しながら呟くと、燈矢くんのまわりの氷が一気に溶けた。予備の氷をぶち込むことによって沸騰は回避されたが、溢れた水で俺がびしょ濡れだ。なにしてくれるんだ。

 何が地雷だったのかは、地雷が多すぎるせいでわからない。俺が大事にされてるだけで全て許されているが、燈矢くんの地雷配置はマインスイーパのマニアックモードみたいなものだ。初手アウトが多すぎる。
 なんだろうなあ、可哀想になあ。俺はシャワーを顔面にぶち当てても今のところか弱く「やめてよ」とモガモガ言われるくらいだが、なんか嫌なことでも思い出したのかな。

「アレが言ってたけど、とやくんは深部が冷やされてるから脳が煮え立って死ぬことはないんだよな。つまり、お母さんの方の血が上手く作用してるってこと。最高傑作はとやくんだったね」

 とりあえず怒りを沈めてもらおうと励ますことにする。成功してたんだよなあ、子ガチャで最初にSSR引いてたのに鍵も付けないで育成素材に混ぜてロストさせたんだぞエンデヴァー、許せんよ。お前が運営のくせになにやってんだ。
 やっぱり言葉に出してまとめると、めちゃくちゃムカつくなコレ。酷すぎないか? お父さんみたいなヒーローになる! って自分を目指してまっすぐついてきた子供を見限って、能力があるからってもっと幼い末っ子を無理やり鍛錬させてぶっ飛ばしてるんだぞ。2m100kg超えの巨漢がやっていいことじゃないだろ。昔は「母さんも消極的虐待してるよな」って思ってたけど、謝るわ。ごめん母さん、普通に怖すぎるよな。2m100kg超えのゴリマッチョにあそこまで立ち向かってくれたの一般女性として異常なくらいの勇気だった。No.1という光に燃やされた狂オッサンが全部悪い……必ず曇らせてやるからな……。

「とやくんが最高傑作だったら、俺たち生まれなくて良かったってことじゃない? やっぱエンデヴァーの判断許せねえよ」

「なんでそんなひどいこというの」

 俺がぷりぷり怒りながら呟くと、少しの沈黙の後で燈矢くんの泣く直前のような悲壮な声がした。だってしょうがなくないか? エンデヴァーの判断間違えてたんだもんよ。そりゃ、燈矢くんはお父さん大好きだから正面から俺が否定するとなんとも言えなくなるのかもしれないけどさ。いつもは俺が実父への好感度を下げる様子を見たらどのタイミングでもハッピーにキャハーと大喜びする燈矢くんが、何故か信じられないものを見る目で俺を見ている。

「だってさぁ、とやくんの特訓の方向性変えたら安全に半冷の力も育てられたってことじゃない? 元から母さんの個性もではじめてたんだから! そしたらとやくんが最高傑作で、少なくともなつくんと焦凍と俺はいらなかったよね。ふゆちゃんは個性目当てで生まれた訳じゃないって言ってたし。……あ、でもなつくんと焦凍いないのは嫌かもな……」

「なんで? なんでそんな酷いこと言うの、俺やだよ、陽火くんが生まれなくてよかったなんて言うの聞きたくなかった。陽火くんだけなのになんで? 陽火くんいなかったら俺のことみんな諦めて誰もいなくなるのに、陽火くんがいるからがんばれてるのに、なんで、やめてよ、俺の事好きでもこういう意地悪はいやだ、やめて。酷いこと言わないで、ね、陽火くんいないの、やだ」

「しかし事実では?」

 うっかり雑論破してしまったせいで、燈矢くんは顔面を水風呂に押し付けて動かなくなった。ぶくぶくと泡が上がっているのですかさず水を抜く。まだ溶けきってない氷が肌を滑っては落ちていく中、浴槽の中で限界まで体を小さく体育座りに畳んだ燈矢くんは「ひどいこといわないで」とか細い声で繰り返していた。涙腺が焼けてるせいで泣けてないが、たぶん大号泣してるんだろうな……。声だけがしゃくりあげている。可哀想に……。しかし、事実では? 俺ここ譲らないよ。だって本来なら少なくとも『轟陽火』は存在しなかったんだから。

 いなくても問題ないポジションなんだよ、俺。ね、泣くことないって。

「布団行くから立ってくださーい」
「…………」
「だっこされたい人はつかまってくださーい」

 首にしがみついてくる燈矢くんは、俺が立つのと一緒に立ち上がった。自分で浴槽を跨いで出るならこのまま歩いて欲しいが、だっこを所望してるのでしかたない。
 俺は自分とほぼ身長の変わらない(俺は成長がはやくて、燈矢くんは成長が遅いのだ)全裸の実兄を抱き上げて廊下を歩いた。滑って転んだら二人とも終わるなあと思っていると、耳元で声だけくちゃくちゃに泣いてる燈矢くんが「陽火くんは酷い、いじわるだ」と無限に訴えていた。懐かしいな。こういう感じで夜な夜な無限に愚痴っていた頃を思い出す。泣く理由なんていくらでもある時期だったから、慰め方も日に日に雑になっていった。構ってもらえるだけで充分だったのか、なつくんが音を上げたあとは俺がずっと慰め係をしていた。なつくんは真面目なのでちゃんと話を聞くので疲れてしまう。俺くらい適当じゃなきゃやってられない仕事だった。

 俺が思い出し笑いをすると、燈矢くんはもう一度「ほんとうにひどい」と声だけで泣いた。ごめんて。