「おい、ツラ貸せ」
「い、嫌だ!」
「はァ?」
「去勢は断ったはずです! 実兄の許可を取り折り返しお電話ください!!」
いや! いや! 去勢いやです! 2日前に無慈悲に予約を入れられた俺の去勢日に、まさか本当に連行される流れになるとは思わなかった。
俺が全力で黒霧の腰に抱き着いて“動きませんよ”のアピールをしていると、弔くんは口答えに気分を害してゲシゲシと俺の足を蹴りつける。
「違ぇよバカ、それはもうドクターに断り入れたから別件」
「ええ……なに、ならば話は変わるか。どちらにお顔をお貸ししましょうか?」
「先生と会議だからツラ貸せ」
「それはそれとして重大事項じゃん! 何時から!?」
「10分後」
「黒霧1回俺のこと自宅まで飛ばして! そして8分後に戻して!!」
弔くんが「はァ?」の顔をしてるのを置いて、俺は自宅拠点へのワープに飛び込んだ。
シャツのボタンを外す手がもどかしい。汗で布が肌に張りつき、指先が滑る中で乱暴に裾を引き剥がしながら、床に散らばる服を踏んでクローゼットまで駆けた。
「もっと早く言ってくれ~~!」
情けない悲鳴を上げながらハンガーからスーツを引き抜く。ジャケットの肩を崩さないよう、一瞬だけ息を整えてシャツを滑り込ませる。ボタンを一つずつ留める手つきは早く、それでも乱れは許されない。ネクタイを首に通し、結び目を引き上げながら備え付けの鏡を見る。歪みがないか、指で微調整。
パンツを履き替え、ベルトを締める。バックルが鳴る金属音を聞きながら洗面所へダッシュ。これで体感4分。
ワックスを掌に取り、髪を後ろへ撫で上げる。束感を作りながら、前髪を整える。鏡越しに自分の表情が締まっていくのを見て、ようやく呼吸を整えた。クローゼットに革靴も収納していたのが功を奏した。黒霧ワープで移動することが多くなった今では、玄関なんて有って無いようなものだからと1セットまとめておいて本当に良かった……。
俺が安堵に息を漏らしているタイミングで、お迎えのワープが開き、戻る。“先生”との会議まであと2分だ。弔くんがのんびりしているので、十中八九、Web会議だろう。そうじゃなきゃ困る。ボスの時間感覚について意識し直さなきゃいけない案件が増えるので……。
俺が飛び出た時と同じ位置でスマホをいじっていた弔くんは、俺を2度見したあと指をさして「なんだそのエラソーな格好」と爆笑した。
なんだと言われましても、オーダースーツでございます。
採寸から生地の選定、ステッチの幅に至るまで、すべて職人の手で仕立てられた一着。歴史あるメーカーの専属テーラーが、俺の体に合わせて型紙を起こした。肩の丸みも、腰の絞りも、腕を上げたときの可動域まで計算されている。
表地は英国製のウールにシルクを混ぜ、光の角度で深く艶めく。ボタンは本水牛、裏地は滑りの良いキュプラ。職人のこだわりとプライドが詰まった逸品で、そこらの既製品を何十着重ねても届かない価格と完成度だ。
ちなみに荼毘くんも俺と同じタイミングでスーツを仕立てて貰ったので、クローゼットの中には俺と同じように荼毘くんおめかしワンセットが揃っている。
会社を立ち上げたおかげで、安定した金銭確保のルートが出来てある程度まとまった金が手に入ったので、真っ先にこれを仕立てた。もちろん、社員2名分も同じテーラーで仕立てている。
みんな必要ない、要らないと言うが、スーツは現代における戦闘服だから……。
荼毘くんは『すぐ燃えて壊すから要らない』と言ったけど『要らなくない』と雑論破して作らせた。俺が絶対に言うことを聞かない時の勢いだったので、荼毘くんは早々に諦めて粛々と全身の採寸をされて職人の言うことを聞いていた。実に良い客だと思う。
「弔くん、これはね……。重課金限定配布UR装備、攻撃力%増加、状態異常無視、無敵貫通、特殊エフェクトで俺だけ特別に攻撃時炎が舞い散る……って感じ」
「チートだろそれ」
オーダースーツを着る理由は、単なる「見た目の良さ」ではなく、社会という戦場での武装に等しい。これは俺の前世からの主張だ、実際にこの考えのおかげで、何度か物理的に命拾いしたシーンもある。
礼服というのは、相手に「自分をどう扱うべきか」を無言で伝えるための装備であり、安物を着ていると「この程度で十分だろう」と思われてしまう。それが、仕立ての良いスーツを着た瞬間に一転。周囲の視線が変わる、姿勢も、声の通りも、扱いも何もかもだ。スーツの価格差は見た目だけでなく「舐められないための保証料」ってこと。
高級スーツほど、布の落ち方、縫製、ボタンひとつの質感までが雄弁に語る。見る人が見ればわかる。
これは対面する相手に対して、最初の瞬間に「あなたを軽んじていない」という明確な敬意を示すことになる。言葉にしない敬意は相手の自尊心を刺激するものだ。
つまり『俺様を舐めるなよ』という威圧と、『貴方に会うために最上の用意をしています』という敬意の表明が一度で出来る重課金専用便利装備、それがオーダースーツ!
俺が今出せるいちばん強い装備がこれです! と説明したら、爆笑していた弔くんも「へぇ」と納得したような声を上げてジロジロの俺を眺めた。
「まあ、見栄えが良くて悪いことはないよな。お前の私服、オニイチャンチェック入らないとイカレピエロの小粋な普段着みたいになってる時あるし」
「そんな酷いこと思ってたんですか?」
「異常者が異常者の格好してるのキツいから、一生これ着ておけよ」
「普段着にするのは高すぎるかな……」
俺のファッションそんなダメか? 確かに着心地で選んでるけど……。予想していない角度から殴られて普通にショックを受けていると、黒霧が「3分過ぎましたよ」と声をかけてくれた。3分前に言って欲しかったなあ!?
「弔くん会議! 会議!!」
「うるせえな会議は逃げねえよ」
「逃げるから追いかけたいわけじゃないんです、遅刻は失礼だから避けたかったんです」
案の定Web会議だったらしく「1時間くらいは誤差だろ」と、とんでもないことを言っている悪の組織のボスの背を押して狭い部屋まで移動した。
荒れ尽くしていた弔くんの自室は、俺の定期的なお掃除介入により足元の紙類を踏まずに移動出来るようになり、2人くらいなら入っても支障ない程度に空間を確保できた。それはそうとして、普通に狭いから拠点変えない? 変えようよ。でかいキッチンがついてる所とか、仲間の仮宿がデフォルトで併設されているところとかにさ……。
俺が毎日ねだってるお引越しを「うるせえうるせえ」と雑に無視して、弔くんがパソコンのスリープを解除する。すぐに起動したディスプレイの向こうで、“先生”が待っていた。
漆黒のスーツと暗い金属の光沢を持つフルフェイスの仮面。呼吸器なのか、音声変換機なのか判別がつかないコードが繋がっている。くぐもった低音だが、やけに軽薄な響きを持つ声が画面越しに響いた。
『……やあ、あかりくん』
「初めまして、あかりと申します。このたびは弔さんからの推薦により、貴重な機会をいただきまして、誠にありがとうございます。まだまだ未熟ではございますが、少しでもお力になれますよう努めてまいります。今後ともどうぞよろしくお願いいたします」
「先生、あかりが壊れた」
『ふふ、仲良くやっているみたいだね……』
許さんぞ、心を。弔くんの様子からみて、この“先生”は人心掌握術に長けている。話しているうちに俺が“先生”を好きになったら、利用されるだけ利用されて乾涸びるまで搾取されて捨てられるんだろ。
俺の心は水族館の水槽くらい分厚く設定しているが、あまりにも普段と様子が違うせいで弔くんは俺のことを3度見したあと、“先生”に「バグった」と伝えていた。バグってないよ。通常動作だよこれが。
最初の挨拶以降、俺は弔くんの後ろに下がって待機することに徹した。通常の作戦会議のついでに“先生”へ俺を見せるためのものだったらしく、俺が何かを言うことはほとんどない。
弔くんは俺がいかに仕事をしているか、どれだけ連合に役立っているかを自慢げに“先生”へ話している。
そ、それって俺に直に言ってくれたりはしないんですか? もしかしていままでも俺のいないとこで俺のこと褒めてくれてたの? 好きになっちゃう……俺は俺のこと好きな人のこと、好きだから……。職場内恋愛NGの旗を掲げているからギリ助かったが、危ないところだった。
「な? 言った通りだったろ。こいつは良い犬なんだ」
弔くんは八割くらいペット自慢のような言葉で、満足気に“先生”へ同意を求めた。犬扱いされているけど褒められるのは嬉しいので、内心ニコニコの俺に、“先生”の返答が聞こえる。
『素晴らしいことだ。しかし惜しいな、どちらかが女だったらペットじゃなくて番として選べたのにね』
「はあ?」
めちゃくちゃ甘い焼き芋を真っ二つにした時みたいに、ねっっとりとした声でなんかやべえ事言ってる……。
弔くんの飼い犬自慢を微笑ましい気持ちで聞いていただけなのに、不意打ちで妙な言葉が聞こえた。言われた本人の弔くんが何も気付いてないから余計、余計ヤバカプ厨おじさん感が強い……。
『灯火と崩壊を掛け合わせたら、何が産まれるんだろう。どちらでもいいんだが、子宮があれば可能性も増えたのに。惜しいことだ』
「前に俺の遺伝子? で作っただろ、『子宮』。あれ使えば?」
お待ちください! その案が採用されたら俺も搾精義務発生させられませんか!?
『ああ、あれは不完全でね。造ったものが人の形にならなかったから廃棄したんだ。まだ医学の発展が必要らしい』
「へえ」
セーフ、セーフ! 俺は二人の会話を無表情で聞きながら、脳内で大きく両手を横に広げた。『本当に、惜しいことだ』画面越しなのに、“先生”が俺を見ていることがわかる。
このショタ洗脳調教カプ厨おじ、やべえ~~~! 絶対好きになれない人で良かった~~~!!
