「大変だ、問題が起きた、集合集合起きて、作戦α起動する? もうしてるよ、心拍上がるね、ドキドキするけど気を抜くな、全員耳貸して、社長からSOSだよ、仕事をしよう! 承認承認承認! わおーーん! ポチうるさいよ、ログ拾うね、了解、ハッキング完了、カメラ網接続したよ、暗号古いな役所仕事してないんじゃない? 管轄は警察だろ、あーあーピンポンパンポンこちら防災無線緊急の安全案内をお伝えします、待て待て駄目だろちゃんと自動音声使えよ癖出てる、今の声だれ? 僕だけど? だと思ったよ、アルファってなんだっけ、忘れたのかよいやがらせだよ、つまり社長の性格が悪いってこと? おい今社長の悪口言ったか? 喧嘩しない集中して、範囲絞ったからツムギくんと連携して、三十秒待って、三十秒も要らないよ五秒でいい、口出ししない、静かに心拍落とせ、作戦α継続、避難誘導開始、 だから自動音声使えって言っただろ私に振るなよ、あたしは合成得意じゃないの、代わる、了解、自動音声差し替え完了、住民反応良好、CHAT:GHOST範囲特定完了、いい仕事、ツムギくん準備できたって、行ってらっしゃい、背中預けた、無事に帰れ、ぜんぶ終わったら甘いの奢って、社長にも? 社長は自腹で、あの人なら奢ってくれるんじゃない?」
「こっち全部用意できあしたあ、リラしゃんたちよろしくおねあいしあす。いやあ、引っ越したばかりで大変えすねえ」
その言葉どおり、彼らはつい最近まで、団地の一室を仮拠点として使っていた。
表向きの「会社」としての立場を整えるため、名目上のオフィスを構え、住所を移し、必要な看板を揃えたばかりだ。実態は何も変わっていないが、肩書きだけはきれいに並び、二人の立場もいつの間にか幹部扱いになっている。
現場で手を動かす役目から外れたわけではない。ただ、責任の所在だけが、少し遠くなった。
「大丈夫、これも仕事さ、余裕、どんなもんよ」
こたえるリラの声は一つではなかった。というより、ひとつの喉から出ているはずなのに、音程も速度も癖もばらばらで、まるで会話の途中で人格そのものが次々とすり替わっているようだった。
甘ったるい舌足らずな調子が途切れたかと思えば、次の瞬間には事務的で乾いた声色に切り替わり、さらにその裏から、誰かが茶化すような笑い混じりの声が重なってくる。無限に喋り続ける、という表現がこれほど正確に当てはまる光景もない。
その喧騒の中、壁一面を覆うモニター群が静かに仕事を始める。最上段の画面が淡く点灯し、次いでその下、そのまた下へと、まるで上から順番に呼吸をするように表示が切り替わっていった。黒地に浮かび上がる文字列が、緑、黄、赤と色を変えながら流れていく。それは個人名でもコードでもない、CHAT:GHOST────AIパートナーを使用するアプリの利用者情報だった。
画面が切り替わるたび、点と線が増えていく。廃倉庫を中心に、利用者の現在地、移動方向、滞在時間がリアルタイムで可視化され、まるで見えない群れがゆっくりと呼吸しながら動いているかのように映し出される。誰かが一歩動くたび、どこかの文字列が色を変え、細いラインが伸び、別のラインと交差する。
ハッキングされた防災無線は、異様なほどに平凡だった。声は抑揚のない自動音声、語彙は役所が何年も磨り減らしてきた無難なものだけで構成されている。危険、混乱、恐怖……そういった単語は慎重に排除され、耳に馴染みすぎた言葉で構成された、誰にでも通じる放送。
それでも、広範囲に一斉に流されたその案内は、空気の層を一枚ずつずらすように街に染み込んでいく。倉庫街周辺を避けるように、自然と示される動線。封鎖ではない、命令でもない。ただ「こちらの方が安全です」と、誰にでも分かる形で提示される選択肢。これが“可笑しい”のは、放送の異様な早さだった。その違和感を理解する者が出る前に、街中ではねずみが混乱を運んでくる。
同時に、無数の端末がわずかに震えた。通知音は人それぞれだが、内容はよく似ていた。
向こうで事件が起きているみたい、今日は遠回りしよう。
騒がしくなる前に帰ろう、家族が待ってる。
この先は混みそう、別ルートが空いてるよ。
それは警告ではなく、囁きだった。利用者が長い時間をかけて育ててきた“GHOST”が、いつもの調子で、いつもの距離感のまま語りかけてくる。命令口調でも、緊急を煽る声でもない。あくまで「あなたのために考えた結果」という顔をして、そっと選択を差し出す。
モニター上では、人の流れがゆっくりと形を変えていく。赤く点滅していた線が薄まり、別の通路が太く強調される。誰かが足を止め、誰かが引き返し、誰かが連絡を入れ合う。その一つ一つは小さな判断だが、重なり合うことで大きなうねりになる。倉庫街を中心に、見えない膜のような空白が広がり、そこだけが静かに切り取られていく。
混乱は起きない。不安も最小限だ。人々はただ、「今日はそういう日だ」と納得しながら、安全だと思える方向へ歩いていく。
別のモニターでは、車両の流れが詰まりはじめていた。完全な渋滞ではないが、明らかに速度が落ちている。信号の変わり目で躊躇するブレーキ、合流を避けるための不自然な減速、カーナビの再検索を示すアイコンが次々と点灯する。
定点カメラの映像が切り替わるたび、交差点ごとに違う種類の混乱が映し出された。人は苛立っているが、怒ってはいない。ただ「思ったより進まないな」と顔をしかめ、理由を探すより先に別の選択肢へ流れていく。歩行者も同じだ。立ち止まり、スマートフォンを見て、ため息をつき、そして自然に別の道へ向かう。
現場からの連絡が重なる。
想定より人の引きが早い。
救急車両、進入に時間がかかっている。
ヒーロー側、到着予測がずれ始めた。
それらを並べたように受信しながら、壁一面の情報を眺めていたツムギが、ぽつりと呟く。
「社長の嫌がらせ、こえって前から考えてたんえすかねえ」
リラは答えず、ただ首を傾げた。もし彼女が口を開けば、先ほどと同じように、複数の声が重なり合う怒涛の一人会話が始まってしまう。その予感だけで、この場の誰もが沈黙を選ぶ。
無線電波の乗っ取り、人々の流れの誘導と封鎖、意図的に作られた軽度の混乱。
この嫌がらせは破壊のためではない。恐怖を撒くためでもない。すべてが、ひとつの結果へ向かって精密に組み上げられている。
『間に合わないヒーロー』を生み出すこと。
あと数分早ければ救えたはずの人。
視界には入ったのに、手が届かなかった命。
能力も意志も足りていたのに、状況だけがそれを許さなかった瞬間。
それこそが、社長─────あかりが考える、ヒーローにとって最も残酷な嫌がらせなのだろう。敵に敗れることでも、世論に叩かれることでもない。
助けられるはずだった人を、助けられなかったという事実だけを、静かに、確実に突きつける。
モニターの中で、ヒーローの到着予測時刻が、また一分だけ後ろへずれた。
そして、積み上げられてきた嫌がらせは、ついに最大効率で噛み合った。
モニターが暗転する。電源が落ちたわけでも、システムが死んだわけでもない。地域全体が揺れたのだ。画面越しにも伝わる、鈍く重い衝撃。口を開けた悪意が、街そのものに喰らいついた感触。
生き残っていたドローンが自動復帰し、映像が再接続された瞬間、そこに映っていたのは、もはや事故や災害という言葉では足りない光景だった。
抉り取られた地面。大穴を抱えたまま、内側から崩れ落ちていくビル。粉塵の向こうで重なり合う悲鳴。逃げ惑う人々の流れは、先ほどまで整然と誘導されていた動線の名残を、無残な形でなぞっている。倒れた街路樹が人を押し潰し、動かなくなった車の隙間から、力なく伸びた手が揺れていた。
板一枚隔てた向こう側が地獄に変わっているという事実を前にして、ツムギとリラは、まるで状況を理解する処理が一拍遅れたかのような顔で立ち尽くしていた。
「……社長の嫌がらせ、効果抜群えすねえ」
ツムギの声は妙に平坦で、現実感を持たない。
それに応えるように、リラが口を開いた瞬間、再びいつもの調子が溢れ出す。
「大事件だ、これ被害者凄いよ、完全に間に合わない、致命的だね、社長ってヤバくない? ワオン……、でも優しい人ほど怒らせると怖いって言うし、まあそれも一理あるよね」
誰も否定しない。否定する意味がないからだ。
できることは、もう終わっている。誘導も、封鎖も、遅延も、すべて想定通りに機能した。あとはもう、人の手ではどうにもならない領域だ。
「じゃ、管理保守に戻りますか」
ツムギが言うと、モニターの一部が自動的に切り替わり、通常運用のログ監視画面が表示される。異常値は並んでいるが、それは“仕事の範疇”だ。利用者の0.02パーセントほど消えたが、それも誤差だろう。
神さまにお任せする、という言葉が冗談に聞こえない程度には、ここから先は誰の管轄でもなかった。
