学校は、すぐ話題が“個性”に吸い寄せられる。休み時間でも給食の列でも、最初は昨日のテレビとか今日の宿題とか、そんな薄い話をしているはずなのに、気づけば「どんな個性?」「すごいね」「見せてよ」に落ちていく。
俺は母さんから貰った半冷だけでいいし、正直それ以外は要らない。使う気もない。
けど、髪の色で半燃まで分かりやすいから、こっちの都合なんて関係なく勝手に他人に説明されてしまう。親父のせいで、俺の知らない大人や上級生が俺の個性を知ってることも多い。
すれ違いざまに「さすがエンデヴァーの息子だ」「将来有望」とか、たぶん褒め言葉なんだろう言葉が飛んでくる。
つよい。さすが。お父さんみたいなヒーローになれるよ。
最悪だ。褒めてるつもりの声の軽さが、いちいち胃の奥を撫でて逆撫でする。
言われるたびに気が滅入って、ムカムカして、喉の奥が熱くなる。
嫌なことを言われても、怒鳴ったり乱暴にする気はない。そういうのは親父みたいだからだ。俺は、ああはならない。ならないと決めてる。……ただ、睨んでしまうくらいは許してほしい。
勝手に投げつけられた言葉に対して、俺が出来る反撃なんてそれくらいしかないのに、それすら許されない。
授業が終わったあとの学級会で、「轟くんが怖い顔をしてました」「あやまってください」ってよく槍玉にあげられた。理不尽だ。目つきが悪いからって泣かれて、それで俺が悪いって、わけが分からない。
この頃には俺は喋れば喋るだけ余計な誤解を招くとわかってしまっていたので、何も言わない方を選んでいた。黙っておけばいずれ通り過ぎる嵐みたいなものだと思っていたのかもしれない。相手は俺が謝るまで納得しないから、結局これはまちがった判断だった。
でも、俺がだんまりを決め込むと必ず兎丸が、椅子をガタンと鳴らす勢いで手を挙げてくれる。
「異議あり! 焦凍は『個性の話はしたくない』って事前に言ってます! 人が嫌がることはやめよう!」って、俺が言うと角が立つことを、兎丸が言うと丸くなる。
「あと焦凍が睨んだって、こいつのつり目は生まれつき!」って言い切って、クラスの視線の矛先をずらす。そうすると空気が緩んで『そうだよなあ』って感じに、みんなの肩が落ちる。
誰かが「たしかに」と笑って、誰かが「しつこくしすぎたかも」と呟く。先生も「そうね、相手が嫌がることはやめましょう」とまとめやすくなる。俺にはできない解決法だ。教室の空気が変わって、兎丸は座ってる俺をみて、ニカッと笑って「勝訴!」と言った。意味がわかってるかどうかはわからない。
こういう日は、兎丸が俺を優先してくれる。
放課後のチャイムぎりぎりまで別のやつらと走り回ってるくせに、今日は当然みたいに俺の横に来て「焦凍と遊ぶ」と言う。遊ぶって、ただ一緒に帰るだけなのに。
帰り道を同じにするだけで、わざわざ“遊ぶ”にしてくれるのが、ほんとは少しだけ嬉しい。嬉しいのに、嬉しいって顔をするとまた変に見られそうで、結局俺はいつもの顔のまま「うん」しか返せない。
校門を抜けると、教室のざわつきが背中で遠くなる。夕方の空気はまだ冷たくて、喉の奥がすうっと楽になる。俺が肩の力を抜いたのに合わせるみたいに、兎丸も歩調を落とした。
「焦凍はひえひえの方だけ使いたくて、あったかいほうは好きじゃないんだろ」
「冷たい方……半冷以外、いらない」
「選択肢があると、好きな方えらべていいなあ。俺は一個しかないから」
そういえば、兎丸の個性ってなんだろう。クラスのやつらは勝手に俺の個性を知ってるのに、俺は兎丸のことを何も知らない。
聞こうとした。でも、喉のところで言葉が引っかかった。
俺はずっと「個性の話はしたくない」って言ってる。なのに兎丸には聞くのか。自分は嫌がってるのに、相手には聞くのか。
矛盾だ。ずるい。そう思った瞬間、足だけが動いて、口だけが動かなくなった。黙ってる俺のことを兎丸がどう思うか、って心配より先に、“自分が嫌いなことを自分がする”のが怖かった。
そんな俺に気づいたのか、たぶん気づいてない。兎丸はいつも通り、思いついたことをそのまま形にするみたいに、急に俺の前に回り込んだ。
「俺のはね、こういうの」
言い終わるより早く、兎丸の手のひらが俺の顎の下に当たった。指じゃない、手のひらの面。まるで犬の喉を撫でるみたいに、すっと上から下へ撫でる。突然すぎて「なに、」と言いかけた。
くすぐったいはずなのに、最初はくすぐったさが来ない。くすぐったいの手前、押されてる感覚だけがある。撫でられてるのに、感覚が薄い。変だと思う間もなく、兎丸は同じ動きを何回も繰り返す。
撫で、撫で、撫で。俺は反射で首をすくめようとするのに、なんだか身体が上手く動かない。あれ? あれ? って思っていた次の瞬間、兎丸の手が離れた。
離れた途端、さっきまで無かったはずのくすぐったさが、遅れてまとめて襲ってきた。ぞわぞわが一気に湧き上がって、喉がひゅっと鳴る。
「ひっ、」
自分でも情けない声が喉から漏れて、足に力が入らなくなる。がくがくって変に震えて、膝が抜けて、その場にしゃがみ込んだ。
お腹の奥から変なものがせり上がってきて、笑いみたいな、泣きたいみたいな音を必死で噛み殺す。でも噛み殺しても追いつかない。
くすぐったさが遅れて一気に広がって、皮膚の裏側を誰かが間違った配線で引っ張ってるみたいに、ぞわぞわが増えていく。ぜんぜん止まらない。呼吸の仕方を忘れる。吸ってるのに足りなくて、吐いてるのに苦しい。「ひぇ、あ、」って、意味のない音しか出ない。何が起きてるのか考える前に、体のほうが先に降参する。おかしい、変になってる、こんなところ見られたくない───そう思うのに、横で兎丸が腹を抱えてケラケラ笑ってるのが見えて、これ、兎丸がやったんだってやっとわかった。兎丸がやったなら、いいか、って気持ちが混ざる。
ずっと足が震える。触られたのは、ぴりぴりするのは喉の下なのに、腹の真ん中がくすぐったい。恥ずかしいのに、嫌なのに、くすぐったいのが気持ちいいのか、気持ちいいのがいやなのか、どっちか分からなくなって、頭と体がちぐはぐに動く。
息がしにくい。胸がどきどきして、熱くなって、目を閉じてもぞわぞわが止まらない。どうしていいか分からなくて、ただしゃがんだまま、「ふぅ、ふーっ」って何度も強く息を吐いて、変な声を飲み込んで、早く終われって思いながら、終わってほしくない気持ちも一緒になる。この感じに名前をつけなきゃいけない気がして、でも名前が分からないままのほうがいい気もする。分かってしまったら、今みたいに立っていられなくなる気がした。悲しくないのにすこし涙が出て、歪んだ視界で見上げた兎丸は、俺を指さして笑ってるから、俺の顔もたぶん笑ってる。へらへらって、バカみたいな顔してる気がする。
「手のひらで触ってる間だけ、感覚が止まるんだって。そんで、はなしたら止まってた分がドッとくるかんじ。『痛い』でやると危ないから、本当は誰にもやっちゃだめって言われてんの。でもくすぐったいなら痛くないから、いいよな」
軽く言うなよ、と思った。痛いでやると危ない。そのひとことだけで、ゾッとする。ちょっとくすぐったいのが、重なって重なって、こんなことになるなら、“痛い”だったら死んじまうかも。
さっきまでのぞわぞわが、今度は別の種類のぞわぞわに変わる。こいつはこういう危ないものを、危ないって分かってるのに、俺には見せてくる。俺ならいいやって思ってるんだ。俺のこと、特別にしてくれてんだ。俺はようやく息を整えながら、しゃがんだまま兎丸の顔をじっと見続けた。
個性のこと、聞いちゃいけないと思ってたのに、聞かなくても教えてくれた。俺が知りたいって、でも言えないって、わかってくれたんだとおもう。わかっても言わないんだ、兎丸ってそういうやつだから。やさしいから。
「……ばか」
やっと出た言葉はそれだけだった。兎丸は「なんだよー」と笑って、まだ立てない俺の頭をぐしゃぐしゃ撫でた。今度はちゃんと、普通にくすぐったかった。普通のくすぐったさで、なんでかわかんねえけど物足りなかった。なんかちょっと、悪いことな気がして言えなかったけど、兎丸に手を借りてふらふらした足で立ち上がって、真っ直ぐ歩けなくてしばらく兎丸に寄りかかった。「おもーい」って笑うから、「責任取れよ」とわがままを言う。俺のわがままを、兎丸は笑ってくれるから、毎日どんどんおかしくなる。兎丸と一緒の時だけ、俺の身体が俺の言うことを聞かないことがある。
さっきの感覚が、もう終わったはずなのに、まだ身体の奥に残っている気がする。歩いているだけなのに、呼吸のリズムがうまく戻らない。ここでお別れという曲がり角で、「またな」の時に内緒話した。ずっと心臓がどきどきする。
また、二人きりの時やって。もう一回。……きもち、よかったから。
