最初にこの遊びをしてから、これは二人だけの秘密だって言って、何回も繰り返した。帰り道にふざけてやると、いつも俺は途中で立てなくなってしまうから、放課後に、ちゃんと二人きりで遊べる時だけって決めた。約束みたいなものだ。
兎丸は俺の予定に合わせてくれる。それだけで、まだなにも触れられてないのに、身体の奥がそわそわしてくる。今日だって、前もって決めてたわけじゃない。ただ俺が「今日は一緒に遊べる……」って、突然言っただけなのに、兎丸はすぐ俺を優先してくれた。
「他のやつとはいつでも遊べるけど、焦凍が空いてる日は貴重だから焦凍優先するって決めてんの」って、いつもみたいに笑う。優先してくれてるって思うだけで、うれしくてしょうがない。
放課後、兎丸と遊ぶのが当たり前になってるやつらは、案の定「なんでだよー」って文句を言うけど、兎丸が「ごめん」って笑って謝ると、「しかたないなあ」ってすぐ許す。やっぱり兎丸はすごい。空気も、人も、全部うまく動かす。俺はすぐ人を怒らせるから、見習いたい。上手に真似なんて出来ねえけど、兎丸みたいに喋れたら無駄に人を嫌な気持ちにさせなくて済みそうだ。
兎丸の部屋に入って、扉が閉まる音がして、外の気配が遠くなる。「やるかー」って言われて、俺は「……ん」とだけ頷いた。
喉が少し乾いて、無意識に息を整える。顔を上げて、触りやすいように、シャツのボタンをひとつ外す。いつもやってること、それだけの動作なのに、胸の奥がざわっとして、もう始まる前から、身体のほうが落ち着かなくなっている。
兎丸の手のひらが、俺の喉にぺたっと当たる。指じゃなくて、手のひら全部。やわらかく押されてるだけなのに、次に何が来るか知ってるから、心臓がどきどきし始める。まだなにも起こってないのに、これから何があるのかわかっているから、予告みたいで、息のしかたを忘れそうになる。
「よーしよしよし」
「……犬じゃねえ」
「ぽんたと同じかんじじゃん」
ぽんたってのは、兎丸が飼ってる犬だ。兎丸が個性を使ってなでなですると、うれしくてはしゃぐらしい。いっぱいなでなでされてるから嬉しいんだろうって言ってて、でも俺はぽんたの“それ”と俺の“これ”は違うような気がする。
今は平気。何も感じない。そう思ってるのに、背中が小さくぶるっとして、口の中が変な感じになる。なんでだよって思うけど、もう体のほうが先に分かってる。
撫で、撫で、撫で。ゆっくり、同じ動きがくり返されて、まだ来ないのに、もう待ちきれないみたいになる。
自分で触った時は、こんなふうにはならない。ただ触ってるだけで、意味なんてない。布団の中で、感触を思い出しながらいくら撫でても同じようにはならなかった。
兎丸の手でだけ、始まる前からおかしくなる。いけないことをしてる気がして、きっとそうなんだと思う。
兎丸は分かってないだけで、たぶん、俺がよくない。理由はうまく言えないけど、そんな気がする。それでも、止めなきゃって思っても止められない。
やめようって言えばいい。分かってる。俺がやろうって言うから、兎丸はこたえてくれるだけだ。でも、兎丸が“これ”をやるのは俺だけだって思うと、ぜんぜん止められない。もっと、もっと、ずっと、やりたいって思っちまう。止めたいのと、撫でてほしいのがごちゃごちゃになって、どっちが本当か分からなくなる。
ただ、これが長く続くほど、そのあとがすごくなるってことだけは、ちゃんとわかってる。頭の中が真っ白になって、一瞬だけ気絶みたいな、なにも考えられない気持ちになる。何回も同じことをしたから、知ってる。
知ってしまった“きもちいい”をくれるのは、兎丸だけだ。だから、悪いって分かってるのに、待ってしまう。まだ何も起きてないのに、心臓も息も勝手に速くなって、体が言うことをきかない。俺はただ、兎丸の手が離れる、その一瞬を、こわいのに楽しみにして待ってしまっている。
兎丸が「いくぞー」って笑って、俺の前に片手を広げる。その手のひらが視界に入っただけで、身体が先に構える。
ごー、よん、さん、に、いち。折られていく指に合わせて、胸の奥がきゅっと縮んで、息がうまく回らなくなる。「ふ、ふ、」と、抑えたつもりの声が漏れるたび、喉の奥が熱くなって、背中を細かい震えが走る。
「ぜろ!」
兎丸の声が合図みたいに落ちてきた瞬間、溜め込まれていたものが一気に弾ける。身体の中身がぜんぶひっくり返るみたいに、くすぐったいの輪郭が崩れて、きもちいいだけが押し寄せてくる。「ひぅ、ん”~~~ッ♡♡」って、思ってもみなかった声が勝手に出て、腰と背中がばらばらに力を失う。
いつもこの遊びをすると立ってられなくなるから、兎丸のベッドに座ってたはずなのに、そのまま前に倒れ込んで、頭から落っこちそうになった。
視界が一瞬ぐらっと揺れて、「あぶな!」って声がするけど、近いはずの兎丸が遠くにいるみたいに感じる。支えられた拍子に、触れられたところがじわっと広がって、反射みたいに「あ、あっ」って悲鳴みたいな音が出た。
「え、痛い?」って心配されてるのが分かる。違う、って言わなきゃいけないのに、身体のほうが忙しすぎて、言葉が追いつかない。
熱が胸の奥で渦を巻いて、息を吸うたびに甘い痛みみたいなのが混じる。支えてくれた兎丸に、そのまま抱きついてしまうと、距離がなくなる分、感じるものが増えて、身体が勝手にすがりつく。がくがくって、腰が揺れる。兎丸が近い。あったかい。触れているだけなのに、さっきの余韻がまた呼び起こされて、きもちいいぞわぞわが止まらない。喉だけだったはずなのに、身体中がくすぐったい“きもちいい”でいっぱいになって、足が勝手に内股になる。
「ふ……♡ ん、ん……♡」
声が喉の奥で引っかかって、息と一緒にこぼれる。自分で抑えてるつもりなのに、口の端がゆるんで、熱が下に落ちていく感じが止まらない。
「焦凍ー? よだれでてる。赤ちゃんじゃん」
「やら、あかちゃんじゃねえから♡ ぁ、……っっ♡」
赤ちゃんはやだ。赤ちゃんだと、俺が俺じゃなくなる気がする。考えなくていいものにされるみたいで、怖い。そう思うのに、うまく言葉にならなくて、舌が重たい。
兎丸は「じゃあなに?」って、首をかしげて、それから、慣れた手つきでタオルを当ててくれた。口の端を、顎を、やさしく拭われるたびに、さっきの余韻がじわっと戻ってきて、肩が小さく跳ねる。いつもこうなるから、ちゃんと用意してくれてる。その事実だけで、胸の奥がむずむずする。俺のこと、みててくれる。わかってくれてる。こんなになっても、いいんだって、兎丸はゆるしてくれるって、うれしい。
赤ちゃんはやだ。じゃあ、なにがいいんだろう。考えようとするほど、頭がふわっとして、代わりに身体が勝手に答えを探す。考える前に、口のほうが勝手に動いた。
「わ、わんっ……♡ わん、わん……♡」
喉の奥から、変な声が出た。言ってから、恥ずかしくて顔が熱くなるのに、止められない。
「焦凍、犬なの?」
犬って言われると、否定したいはずなのに、身体のほうが先に反応してしまう。視線を落として、無意識に首をすくめる。
「……わ、わふ……♡」
小さく鳴いてみたら、胸の奥がきゅっとして、また息が乱れる。
「……くぅん……♡ くぅ、くぅん……♡」
鳴き真似のはずなのに、吐息が混じって、言葉の輪郭が崩れる。
「……わん、わん……♡ ぁ……♡」
喉の下がぞわっとして、足の力が抜ける。一生懸命犬の前をして、兎丸の手に自分の手をのせる。俺、お手できるから。おすわりもできる。言うことちゃんと、聞ける。
「わん……♡」
言いながら、自分で何を言ってるのか分からなくなる。ただ、兎丸の前でそうしていると、変に安心して、変に落ち着かなくて、熱だけが増えていく。
赤ちゃんはやだ。でも、犬って言われるのも、なんだか変で、でも嫌じゃない。正解が分からないまま、必死に兎丸にしがみつく。
離れたら戻れなくなるのが分かってるから、兎丸に体重を預ける。身体のきもちよさは、もう終わったと思ったのに、こうやってくっついてるとそれだけでまだ終わってないみたいな気になる。身体だけが続きを探して、静まらない鼓動が耳の奥でうるさく鳴り続けている。
兎丸は俺を巻き込んだまま一緒にベッドに倒れ込んで「焦凍、犬の真似うまい」って笑った。褒められて、うれしい。
「きゅう、ん♡ わふ……♡」
「あはは、犬だ。よーしよしよし」
兎丸に縋り付くようにして目を閉じていたら気付いた、息はだんだん落ち着いてきたのに、腰のあたりだけ変に重い。さっきまでぐちゃぐちゃだった気持ちが静かになって、やっと終わったって思ったのに、今度は別の違和感がじわじわ来る。
……冷たい。
下のほうだけ、ひやっとする。なんでだ? って思って、身体をすこしだけ動かした瞬間、布が皮膚にくっつく感じがして、頭の中が一気に真っ白になる。
漏らしたわけじゃない……と思う。たぶん。けど、はっきりしない。トイレだって我慢していたわけじゃなかった。なのに、下着の中が、濡れてる。
怖くて見たくないのに、見ないともっと怖い。そっと視線を落としたら、布の色が、ちょっとだけ変わってる。量は多くない。だけど、間違いようがない。さっきまでの熱と、今の冷たさが一緒に来て、恥ずかしさで喉の奥がつまる。
本当に犬になった? ぽんたと同じことやった? 嬉ションってやつ。兎丸が家に帰る度に、ぽんたがやってるから、知ってる。いつも兎丸が「うわああ!」って言いながら片付けてるやつ。俺も、同じ?
ただ、くすぐったくて、きもちよくて、息が変になって、しがみついてただけなのに。気付いたら、こうなってる。
「うそだろ」って言いそうになって、言えない。兎丸はまだ気付いてない。バレないように腰を引いて、足で挟んで隠すしかない。兎丸の腕が近い。あったかい。そこに顔を押しつけたら、よけいにばれそうで、でも離れたら、もっとだめになる気がして、結局そのまま固まる。
ばれたらどうしよう。ばれたくない。
でも、ばれなかったらばれなかったで、なんかそれはそれで、ひとりで抱えてるみたいで、嫌だ。わけわかんない。
呼吸を整えようとしても、胸がまだ速い。耳の奥でどきどきがうるさい。下着の中の冷たい感じが、これは現実だっていってる。
俺は、どうしていいか分からなくて、もう一回だけ目をぎゅっと閉じた。バカみたいに。なかったことになんかならないのに。兎丸の腕に額をこすりつけて、声を飲み込んで、ただ時間が過ぎるのを待ってた。
