いきてきたるif(それから)④

 お絵描きコーナーと化したホワイトボードに、弔くんが迷いなく長方形を描いた。
 定規を使わないのに妙に角がまっすぐで、根が几帳面なんだなとホンワカする。俺はペンのキャップを指で触りながら、次は「べ」から始まるお題で何が描かれるのかを眺めていた。

「ベッドでさ、こうやって寝かせられんの」

 弔くんは長方形の中に棒人間を置いて、両腕を上に持っていく。ベッドを模した長方形の横にも、塗りつぶされた黒い箱や寝ている人より大きな棒人間が付け足されていく。

「そんで、手錠みたいなやつでバンザイさせられてさ」
「待って。もう辛い。もう聞きたくない」
「はぁ? 何がだよ、雑魚過ぎんだろ」

 あ、これ何か思い出しながら描いてるやつだ! 気づいた時にはもう遅く、弔くんは俺の情けない反応を見ても止まらない。
 止まるという発想がない。事実を言ってるだけ、みたいな顔がとても辛い。

「足もこう……足用の手錠?」
「足枷かな……」
「アシカセで閉じないようにガバって開かされて、ちんこに変なのつけられて」

 ダメだついに直接的な語句が出てきた!
 俺は廊下に倒れ込み「八木さーん! 八木……オールマイト!」と叫んだ。おい!!! 戸籍上の保護者!! ジャパニーズナンバーワンヒーロー!! お前の養子の話だちょっと来てくれ!!

「どうした陽火少年! ヒーローとしての私をご所望かな!?」

 ドン、と音がしそうな勢いで現れたオールマイトは、八木さんの時よりもパンプアップして元気いっぱい全力の笑顔で、いつもの全力のテンションだ。
 素早く部屋に滑り込んできたその巨体に「大変な情報聞き取り損ねてる可能性出てきましたよ!!」と言いながら、ホワイトボードを指さす。
 弔くんは突然現れたオールマイトに嫌そうな顔をしながらも、俺に説明をするという方が優先と思ったのだろう。舌打ち一つして睨みつけたあと、視線をホワイトボードに戻してペンを動かした。

「そんで、バカになる薬飲んで、せーえき? でなくなるまで出されて、でなくなったらケツに棒突っ込まれて押されると、あと二回くらい出る」

 自分が“何をやられたか”理解していない。理解できないように情報規制されていたか、情緒的成長を敢えて阻まれてきたのかは分からないが、弔くんの言葉は妙にたどたどしくてそれがより言葉の異様さをきわだたせる。

 オールマイトはパヒュンと音を立てて一回り小さく八木さんの姿になり、ホワイトボードと俺を交互に見て「何の話!!?」 と叫んだ。突然幼い養子の口から“精液”とか“ケツに棒”とか言われて、オールマイトの声がひっくり返る。そりゃそうだ。平和な午後のまったりタイムに出ていい話じゃない。
 こんなのもう「怖い話だよ!!」と答えるしかない。怖い話がはじまったんだよ、助けてくれよ。その為に呼んだんだから。

 うちで半同居状態の弔くんと、暇つぶしにお絵描きしりとりをしていただけの、本当に平和な時間だったんですよ。これ。

 療養中で情緒が揺れやすい燈矢と、監視下で情緒が不安定な弔くんが同じ屋根の下にいる状態。なので俺も週の半分は授業を通信講座にしてもらって、仕事も家から指示を出して、なるべく外に出ないようにしていた。

 まるで献身的な兄に見えるだろう。
 これは出不精が丁度いい理由を得て喜んで引きこもっている図です。
 学校も嫌いじゃないし友達もいるんだけど、家庭環境と立場が目立つせいで変に人に群がれる事があって、毎日通うのはダルいんだよな。
 勝手に午後休にして怠惰を貪ってると、昨日から泊まってた弔くんがあそべあそべとのしかかってきたのでお絵描きしりとりをしていました。

 いつもはネトゲとかをやるんだけど、弔くんがあらゆるネトゲで永BANされたので気軽に出来るものが無くなってしまったからです。どんな悪いことをしてたんだろうな……。

 話を聞いていた俺たちがあまりにも分かりやすくオロオロしていたからだろう、さすがに異変に気付いたらしく、弔くんは一度ペンを止めた。

 ホワイトボードに描かれた物騒な図と、固まったままの俺たちを交互に見比べて、首をかしげる。その仕草だけ切り取れば、宿題の説明が伝わってない子どもみたいなのに、口から出る言葉は容赦がない。

「やんねえの?」

 自分がなにかおかしなことでも言ったのか、という不思議そうな口調だ。きょとんとしている。可愛いね、一体誰がきみに酷いことしたんですか? 許されねえよ、巨悪……。

「こうやってガキ作るんだろ。お前らいっぱいいるから、エンデヴァーもこうやってガキ増やしたんだろ」
「と、弔くんは“母”という者を、なんだと考えていらっしゃる……?」

 男と女がいて結婚して子供! という、彼の年齢からみても幼い理解の仕方すらしていない。構造と結果だけを最適化したものしか分かっていないように思える。

 弔くんは俺の問に、なにこいつ当たり前のこと言ってんだとでも言いそうな顔をして「腹の中にシキュウがあるやつ」とこたえた。そのあと、こたえを付け足すように「……ガキを育てる?」も付け足す。子供が女の腹で育つ、という過程をすっぱりと削除されているみたいだ。

「悪いSNSの思想が尖った人しか言わなそうなことを……」
「ちげえの」
「ちょっと……違う、かな……」
「ふぅん」

 弔くんはあまり興味の無さそうな返事をしているが、彼がどこまで何を理解しているかはわからない。

「せーえき? 抜いて、ドクターが良い個性の女から出した“シキュウ”の中に入れて、ガキ作って、アタリの個性が出たらのーむの素材にするんだろ。
俺は強いから、俺のガキも強くなって、すっげえ強いのーむが出来るんだって。オールマイトへの嫌がらせになるって先生が言ってたから、リョーサンするって言ってた。
陽火はザコだからのーむにされなくて済んだんだろ、ザコでよかったな」

「い、一応うちの父さんもそこまでの思想はないから……」

「なんで? 個性掛け合わせて強いの作りたかったなら同じじゃん」

「ぐうの音も出ない」

 多分倒されたと思わしき巨悪と、やってること同じなんですか!? 実父。
 俺が意図せぬ論破に打ちひしがれていると、気がつけば同じ部屋にいたNo.1ヒーローが嗚咽を漏らしながら四つん這いで泣いている。うわ、怖い……。

 弔くんが「なにこれ」と無遠慮に指さすのを、「なんだろうね、大人だからいろいろあるんじゃない」と適当に流す。ちょっと吐いてない? 人んちの畳に吐瀉するのやめて欲しい。
 今この時間、どうみても役に立たない状態の八木さんをスルーして弔くんの興味を別の遊びにずらしながら部屋を後にした。

 まさかというタイミングでわかってしまったけど、弔くんの口から何度も名前だけ出てきた“先生”と呼ばれる人物は、弔くんを一人の人間として扱っていなかったんだろう。

 もっと言えば、親でも教師でも指導者でもなく、材料として見ていた。
 個性婚なんて生ぬるい言葉では片付かない、もっと露骨で、もっと雑で、もっと救いのない配合実験。相性、効率、結果。それだけを見て、人の身体と心を並べ替える。考えの外側を一周するくらいの邪悪だ。
 そんな思想を植え付けられたせいで、弔くんはそうやって“増える”ものだと思っている。
 家族も、親も、命も、全部。過程はどうでもよくて、結果だけが積み上がる。
 腹の中に何かがあって、それを取り出して、そこに入れて、数が増える。それ以上でも以下でもない。“のーむ”というのがなんなのか分からないが、言葉だけを取り出して見たら“個性”を“素材”にする……。ゾンビみたいなものだろうか、そんなものが出来る技術はあったか? とも思うが、この個性社会だと訳の分からない奇跡じみた悲劇が有り得そうで困る。

 俺が弔くんの気を引いてる隙に、八木さんは関係各所に連絡をしていたのだろう「私には為すべきことが出来た! では行ってくるよ!」と飛んで行った。
 「二度と帰ってくんな」と、弔くんは辛辣に見送ったが、最近は以前よりオールマイトに対する攻撃性が薄れているようにみえる。これでも会話の形をしているだけだいぶマシなんだよな。前は意思疎通完全拒否だったから。

「あのさあ」
「なに?」
「……まあ、いいや」
「気になり過ぎる……」

 そのあとは、押し入れの奥から半ば発掘作業みたいに引っ張り出してきたオセロをして、テレビをつけてはアニメに「くだらねえ」と悪態をつきながら結局いちばん真剣に見ている弔くんを横目に、俺は会社からの連絡を片っ端から返した。

 どんなにヤバいことが起こっても現実は勝手に進みますのでね。こういう日に限って「確認お願いします」とか「至急」みたいな単語が増えるものなんですよ。

 そして俺は一応“学生”でもあるので、出された課題も開く。ノートを広げた瞬間、弔くんがちら、と覗き込んできて興味を持った。自分から興味を持つのはチャンスだ。こんなことがあろうかとと用意をしていた、彼の“今の成長段階”に合わせたドリルを一緒にやった。
 今はまだ難しいけど、そのうち学校にも通って貰いたいからな。フリースクールとか、年齢的にズレがあっても誰も気にしないような環境を用意すればそのうち通えるようになるだろう。頭の回転自体は早いし、負けず嫌いだからきっと上手くいく。
 数字を追う目がやけに真剣で、分かった瞬間だけほんの少し眉がゆるむ。
 その表情を見るたび、さっきまでのホワイトボードが同じ日の出来事だったことが信じられない。先程の地獄絵図をいったん棚に上げて、現実逃避をするしかなかった。
 これ、俺に何ができる? 何もしない方がいいやつか? 弔くんは俺の葛藤なんて知らない顔をして「楽勝」と書き終わったドリルを俺の前にペイっと投げ渡してきた。はい、丸つけですね。今すぐやりますので……。

 百点を褒められては次のドリルを解くという“遊び”にハマっているうちに、通院から帰ってきた燈矢が部屋に入りながら「うわ、今日もいる」と、タンスの裏で死んでる虫でも見るような声で言った。

「うるせえなベンキョーしてんだよ邪魔すんな」
「うるせえよ陽火くんだって課題してんだろ邪魔すんな」
「俺を挟んで争うのはやめてくださ~~い……」

 案の定ひと悶着あって空気が一瞬で尖ったが、俺の命乞いによりなんとか沈静化した。
 お互いに舌打ちのセッションをしてるという最悪な図ではあるが、殴り合いにはなってないので平和としてカウントしておきます。

 夕食の後、弔くんは今日は泊まらずに帰っていった。玄関で靴を履く動きが、完全に“今から病院に連れていかれる犬”の拒否だった。体ごと重心を後ろに引いて、嫌だって全身で言っている。拒否柴。
 それでも、最初の頃と比べればだいぶマシだ。今日は帰るけど、また来れる。そう理解したからかもしれない。帰る=終わりじゃないと学んでくれたらしい。

 「またね」と手を振っても、弔くんはこたえてくれない。
 こっちをギッと睨んだあと、「ふん」と鼻を鳴らして、今度は自分からさっさと歩き出した。八木さんは俺にだけ分かるくらい小さく片手で『ごめんね』のポーズをしてから、弔くんと一緒に車に乗り込む。ドアが閉まって、エンジン音が遠ざかっていく。

 あの人はたぶん、弔くんの話を聞いたあとすぐにオールマイトとして“やるべき事”をやってきたのだろう。養父としてはまず弔くんのケアが優先されるべきことだと思うが、養父の前に彼はNo.1ヒーローなのでこれが正しいのだろう。
 No.1でも分裂は出来ないし、正直“正解”であるケアの方を優先したって弔くんには何も届かないからな。
 逆に同情を哀れみに変換して「バカにされた」と大激怒して、二度と対話が出来なくなる可能性の方が高い。なんだかんだいって、オールマイトの弔くんへの理解度は案外高いのかもしれないな。

 夜のニュースでは、今日のNo.1の活躍が華々しく流れている。ヴィランの研究施設に囚われていた子どもが保護されたらしい、と。画面の中のアナウンサーは明るい声で「救出」と言う。救出。よかったね、と世界が言う。俺も言いたい。詳細を知らなければ素直にそう思えていたと思うのに、知ってることが重すぎて何も言えない。
 その施設の中にいた子どもたちのうち、何人が弔くんの……そんな考えが勝手に浮かんで、気が滅入る。