理性のあとに残るもの

 上鳴は個性を使いすぎてアホになると、基本的に「ウェイ」しか言えなくなる。

 呼びかけてもウェイ、飲み物を渡してもウェイ、廊下の真ん中で立ち止まっているので端へ寄せようとしてもウェイ。
  肯定、否定、感謝、抗議、生命活動に必要な意思表示のほぼすべてを一音で済ませるため、周囲も特に意味を読み取ろうとはしない。黙って水を飲ませ、座らせ、賢くなるまで待つ。ヒーロー科では珍しくもない光景らしかった。

 ただし、俺がいる時だけは少し違う。

「電気」

「ウェ……理人

 人間の言葉を取り戻す。

 完全ではない。舌も頭も正常に動いていないので、俺の名前を言えただけで本人は偉業を成し遂げた顔をするし、続く言葉はだいたい崩れている。それでもウェイしか出ない状態から二文字以上の単語を捻り出すのだから、上鳴の中で俺が占めている領域はかなり広いらしい。付き合う前なら、少し嬉しかった。

 

 付き合い始めてからは事情が変わった。

 アホの上鳴は、俺を見ると人間の言葉を取り戻すだけでなく、頭に浮かんだことを全部口に出すようになった。

理人、きょ、ちゅーした」

「上鳴くんお静かに」

理人のへや、いった」

「し、ず、か、に」

「べっど、いっしょ」

「電気」

「ひひひ」

 呼び捨てにすると怒られたと思う程度の判断力は残っているらしいが、反省する知能までは戻っていない。
 叱られたことさえ嬉しそうに笑うので、情報の流出を止める方法として役に立たなかった。

 俺達の交際自体は隠していない。手を繋いだことも、キスをしたことも、別に知られて困るほどではない。
 ただ、知られて困ることと、わざわざ全校生徒へ無作為に言いふらす事は違う。恋人同士には恋人同士だけで共有していればいいものがあり、上鳴は正常な時ならその区別がつく。アホになると、俺との間にあるものを全部見せびらかしたくなるらしい。所有欲なのか自慢なのか分からない。おそらく両方である。

「電気のプライバシーのために、アホの電気とは学校内で会えないね……」

 そう結論を出したのは、上鳴がA組全員の前で爆豪に絡んだ日のことだった。

 サポート科へ戻る途中、演習場の前を通った時に、ちょうど訓練を終えたA組がまとまって出てきた。全員汗と埃にまみれており、誰が見ても疲れていた。上鳴は瀬呂と切島に両脇から支えられ、足を引きずっている。顔はへらへらしていた。

 見なかったことにして通り過ぎようとしたが、向こうが先に俺を見つけてしまった。

理人らぁ!」

 両脇を振りほどき、上鳴が走ってきた。
 走れてはいなかった。上半身だけが先へ進み、足が遅れてついてくる危険な移動だった。これで速いんだから夜に見たら怪異にしかみえなかっただろう。受け止めなければ顔から地面へ突っ込みそうだったので仕方なく腕を広げると、そのまま胸へ飛び込んでくる。

「お前、今日もアホ引きずってんのか」

「ひひ、理人、おりぇの」

「知ってるから水飲め」

 上鳴は俺の腰へ腕を回し、A組を振り返った。そこで終わればよかったが、なぜか爆豪を指さして挑発を開始した。

「こえ理人、おりぇの! ひひ、みてばくごー、お、れ、の!」

 上鳴は俺を抱えたまま、勝ち誇った顔で爆豪へ所有権を主張。相手が悪すぎる。

 爆豪とはほとんど話したことがない。同じ学校に通っており、上鳴の友人で、近くにいると大声と爆発音がする男という認識しかなかった。向こうも俺を上鳴の恋人だと知っている程度だろう。つまり、互いに情がない。

 野生の爆豪は、ほぼ野生のワニと同じ存在だと思っている。縄張りへ近づかなければ向こうから追ってくることは少ないが、目の前で不用意に手を振れば噛まれる。上鳴はそのワニへ向かって、獲物を見せびらかすように俺を揺すった。死にたいのか? 俺が死ぬんだが。

「あァ? 誰が欲しがるかンなアホ面ァ! テメェごときの色ボケ自慢に俺を巻き込むんじゃねえ、クソボケが!」

「おりぇのー」

「聞いてねえんだよカス! その腐った脳ミソもう一回焼いてやろうか!」

 掌が光った。ボムボムと何かが素振りのように爆発する音すら聞こえる。

「すまんね爆豪くん、殴るのは電気だけにして欲しい」

「テメェもまとめて射程に入ってんだよ! さっさと離れろクソモブ!」

 親しくないからこそ助かった節がある。
 爆豪にとって俺は、上鳴のアホに巻き込まれているだけの他人だった。友人なら連帯責任で爆破されていたかもしれないが、知らない相手を本気で吹き飛ばすほど理性がない訳ではないらしい。切島と瀬呂が上鳴を引き剥がし、俺は巻き添えを免れたが、上鳴だけは爆豪に頭を掴まれた。

「いつまで色ボケてやがる! 歩けボケナス!」

理人、おりぇの」

「うるせえ!」

 爆発音。

 その日から、個性を使いすぎた上鳴とは校内で極力接触しないようにした。人目のある場所で俺を見つけると何を言うか分からない。本人の尊厳を守るためであり、俺の尊厳もついでに守るためである。上鳴本人にも、賢い時に説明した。

「俺がアホになってる時、そんなヤバいこと言ってんの?」

「言ってる。俺の部屋に来た回数と、キスした場所と、抱きついて寝たことまで報告された」

「うわあああああ!」

「だから放課後まで引きずってる日は近づかない。賢くなったら連絡しろ」

「見捨てんなよぉ!」

「見捨てるんじゃなくて守ってる。主にお前を。これって愛だろ? 喜んで受けいれとけ」

 上鳴は両手で顔を覆い、その場へしゃがみ込んだ。翌日から多少は個性の使い方を抑えるかと思ったが、ヒーロー科の授業は恋人の都合で加減出来るものではない。上鳴が頑張れば頑張るほど、頭がスパークしてアホになる日々だ。全体的にはパワーアップしているらしいが、持って生まれた個性由来のデバフは完全にはなくならない。今日もヘロヘロのぐにゃぐにゃのアホになっている上鳴が、優しいクラスメイトにより搬送されているのを発見。見つからないよう廊下の角へ隠れたのだが、一瞬遅かった。

理人!」

 アホが半端に人間に戻った。
 目が合った時点で逃げても追ってくる。アホのくせに俺を見つけた時だけ足が速い。障害物を避ける知能はないので、机へ腰をぶつけ、椅子を倒し、それでも一直線に近づいてきた。

「電気、止まれ。いま喋るな」

理人、ひひ」

「喋るなよ」

 俺は両手で上鳴の口を塞いだ。
 上鳴は嬉しそうに目を細め、その手の上から何か言おうとした。音は潰れて聞き取れない。これなら被害は出ないと思った。

 甘かった。

 上鳴は俺の手首を掴んで口元から外し、教室に残っていたA組の前で、突然はっきりと言った。

「えっちした!」

 教室が静まり返った。
 普段ならウェイしか言えない状態で、なぜその一文だけ発音が明瞭なのか。

 耳を疑う余地もなかった。主語はない。しかし、上鳴が俺の手を握り、俺だけを見ながら言っている以上、誰と何をした話なのかは全員に伝わった。

 芦戸が口元を覆った。瀬呂が天井を見た。切島は聞かなかったことにしようとする顔をしていた。八百万は視線を逸らし、耳郎は上鳴を殺しそうな目で見ている。峰田だけが反応するより早く、障子に視界を塞がれていた。存在を隠されていたと言った方が正しいか、あれは峰田への配慮ではなく、俺への配慮な気がする。

 俺は上鳴の胸倉を掴んだ。

「オラァ!」

 顎へ拳を入れ、意識を落として黙らせるつもりだったが、上鳴は少しも揺れなかった。

 拳を打ち込んだ俺の手首だけが痛い。毎日ヒーロー科で殴られ、吹き飛ばされ、地面へ叩きつけられている男と、道具を作るのが本業の俺とでは、鍛え方が違いすぎた。

「ひひ、理人

「無敵のアホってヤバすぎるだろ!!」

 アホは俺に抱きつこうとする。意識を落とせない。力でも負ける。口を塞いでも自力で剥がされる。逃げれば追ってくる。次に何を言われるか分からない。

 押し倒されて斜めになる視界、教室の奥に爆豪がいた。

 机へ座り、こちらを見ていた。眉間には深い皺があるが、今のところ爆破する気配はない。頼れば確実に怒られる。しかし、他に上鳴を一撃で黙らせられそうな人間はいなかった。

「たすけて大・爆・殺・神ダイナマイト!!」

「くだらねえ事で呼ぶなザコ!!!!」

 爆豪は怒鳴りながら立ち上がり、迷いなく上鳴に殴りかかり顔面を爆破した。

 教室の窓が揺れる。
 煙の中から上鳴が後ろ向きに倒れ、床へ大の字になる。さすがヒーロー科、気絶させる加減まで完璧だった。髪の先が少し焦げているが、呼吸はしている。ようやく静かになった。

「助かった。ありがとう爆豪くん」

「次からテメェで処理しろ! テメェらのクソしょうもねえ事情で俺の手ぇ煩わせんな! あと廊下でやれ、邪魔だ!」

「ごもっともです」

 助けてと言ったら助けてくれるので、大・爆・殺・神ダイナマイトは優しい。

 おそらく、あまり親しくないからこその慈悲だった。俺に対する気遣いでも、上鳴への友情でもない。ただ、目の前で騒いでいるものが邪魔だった上に、名指しをされたので破壊しただけである。

 助け方が『破壊』なので、今回に限っては適材適所だった。

 

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