海の見える治安の悪い街から移動して、海の見えない治安の悪い街にたどり着いた。
俺たちは治安の良い街では逃げきれない自信があるので仕方ない。法と秩序の監視網が整っている場所では、たとえ潜伏していても即バレだ。全国が注目中の行方不明者轟陽火くんと、不審な全身大火傷少年(接触すると攻撃してくるぞ気をつけろ)のコンビには安寧がない。俺たちはもっとこう、雑音の多い街が似合ってる。今回の拠点は廃業した食堂で、厨房がまだ生きている。つまり、業務用の氷がジャンジャン作れてありがたいったらない。
居住スペースと裏口が繋がってるのも都合がいい。裏口から帰ってきた燈矢くんを見つけて、意識があるうちに風呂へ追いやる。
ふらつく足取りのまま浴室に押し込んで、水シャワーを頭から浴びせながら、バケツ5杯分の氷で全身を冷やしてやると、「なんで意地悪すんの……?」と、信頼してる飼い主に叩かれた犬のように悲しそうな顔をされた。
いや、陰惨ないじめじゃないんだ……。これ、燈矢くん視点だとやっぱりそう見えるのか? 冷やしたいだけなんだ。俺はただただ実兄の脳が煮え立つのと排尿困難の尿毒症が怖くて仕方ない。
「俺、お風呂はお湯がいい……」とか細く訴える声を、「体温を人類の平均値まで下げてからのお話だなあ」とさらりと無視して、追い氷。浴槽の中では、入れた先から水がぬるま湯に変わっていく。正確には、冷えたはずの水が体温に押されて変質していくのだ。
本当に大丈夫か? これ。 マグネ——治安の悪いお兄さん、もとい治安の悪いお姉さん——曰く「問題ない」とのことだったが、彼女も別に医者というわけではないしな……。
まあ彼女の勤勉さには信頼が置けるんだけど、それはそれとして。いくらこの世界が『個性』でしっちゃかめっちゃかだとしても、肌一枚向こうで発火してるような体温って、本当に健康と呼べる範疇なのか? 触ると熱い。ずっと熱い。しかも全身。バケツ5杯分の氷を溶かすの、普通にやばくない?
「とやくん寒い?」
「だいじょうぶ」
「ダメそうだなコレ……」
「え?」
その「だいじょうぶ」は全く大丈夫じゃないやつだ。少しでも寒くあってくれ。氷と水シャワーでそうなってくれなきゃ意味がないんだよコレ。
原作まであと何年もある。三年前よりも見違えるほど大きくなったし、事故のせいで火力が落ちたとはいうが日々の鍛錬で炎は赤より蒼い方が多いままだ。これ、何事もなく成長してれば本当に最高火力になったんじゃないですか!? 許せねえ……エンデヴァー……! 実父の損切りが早すぎるせいで……。
俺が遠い地の、一応俺のことを探してくれてるらしい父親に負の想いを馳せていると、燈矢くんは「陽火くんが赤ちゃんの時、俺が風呂にいれてあげたんだぜ。こういうアヒルいっぱいいれてさ」と、器用に炎でアヒルを作ってみせて浴槽の氷を全て溶かしていた。火力~~!
母の抵抗虚しく双子の片割れとも引き剥がされた俺には専用の子守りが着いたけど、通いだったからね。本当は夜専門での子守りも居たらしいけど情緒不安定長男筆頭に家の中に他人を入れたくない子供たちが奮闘して俺の世話を焼いてくれてた。離乳食になってて助かった。あと父さんほんとやり口狂ってる。俺が! 心が大人でなかったら! 死んでたからな!! 物理で!!!
おぼえてるよふゆちゃんが手を滑らせて俺を沈めたよね……とか、なつくんが寝返りで俺のこと圧死させかけたよね……と俺の死亡フラグ回避ログを語り合っていると、燈矢くんは「陽火くんは記憶力がいいな」と素直に褒めてくれた。
赤ん坊の頃からの記憶が鮮明に残ってるガキ、気色悪いものなのに全肯定だ。優しいんだよな、俺にとってだけは。
今日も『かつて人だったもの』の黒灰を頭から浴びて、血まみれの財布を何個も回収してきた俺のお兄ちゃんは思い出と変わってしまった容貌で優しく笑う。全くもって世界はせつない。
「とやくん動ける?」
「だるい」
「がんばって起きて布団に行きます」
「んー……」
浮力に勝てずに力尽きてるところを鼓舞しながらなんとか引き上げて、びしょ濡れの身体にタオルを被せて連行する。濡れたまま布団に転がり落ちたのを拭きながらドライヤーで髪を乾かしてやると、うつ伏せのまま「俺、赤ちゃんみてえ」とくすくす笑っていた。
俺に優しいけど、普通に残虐性はある。火力がどれだけあるか確かめる為だけに人を殺して帰ってくるし、自分という存在があるせいで弱体化していないか不安だった俺がそれをみて安心してしまったのがバレて、「陽火くんが喜んでる!」という殺伐成功体験を積ませてしまったために俺の知らないところでも最低でも一日一殺はしている凶悪犯だ。まあ原作の荼毘もこれくらいは攻撃性たかかっただろ、たぶん。
でも、俺の知ってる『おじさん曇らせシーン』の【荼毘】とは、やっぱり何かが違う。
俺との会話で少し子供っぽくなるのは、身内への甘えがあるから、と言えば説明はつく。でも身長はあと20cmくらい伸びるんじゃないか? いや、今16歳だけど、ここから? 成長ホルモンってどうなってるんだ? そもそも燈矢くん、生殖器の喪失による男性ホルモンの供給不足とか、そういう方向の懸念が俺はずっと心配。薬局襲って回収したけど、適量ってあるじゃん。適量わかんねえよ。燈矢くんはもともと小柄で、成長も遅かった。それは本人の体質的な問題でもあり、家庭環境でもある。で、このままで……本当にいいのか? 医者……! 医の心得ありし者……!!
絶対どこかに支援者がいたろ、原作開始までに。医者系のやつ。絶対にいる。俺が出会えてないだけで、この世界にはフラグなんてものは存在しないのだから、見逃しただけなんだ……!
「陽火くんがいて良かった、死ぬまでいっしょな。約束したもんな」
9歳の弟に16歳の兄が言うような言葉じゃないんだよなあ……。
たいしたことのない言葉なのに、じっと返事を待つ姿は裁きの言葉を待つ受刑者みたいにシリアスだ。また勝手にメンがヘラってる。
「俺は嘘つかないよ、死ぬまで一緒にいてやるから」
「うん」
燈矢くんは瀬古杜岳で焼けた13歳の時で、実質的成長は止まってしまったのかもしれない。
俺は心配です。本当にこのままでいいのだろうか。無事に原作までに、おじさんを曇らせられるくらいになるのだろうか。俺という足枷付きな上に、俺の存在のせいで原作でいたはずの支援者と出会えないなんて笑えない話だ。
そんな微妙な状態で雲らせられるほどエンデヴァーは弱くない。焦凍だって最高傑作だ、このままだと軽くいなされて終わる……なんて最悪のオチになってしまう。
ケロイドまみれの身体と無理やり皮膚をつなぎ止めるための無骨な金具。欠損した肉体の部位。重すぎるだろこの世界、燈矢くんには是非、エンデヴァーに「ざまあみやがれ」と啖呵を切ってほしいんだ。だってそれくらいないとあまりにも酷いだろ。可哀想だろ、俺にとっては優しい兄ちゃんだったんだぞ。
うつ伏せからひっくり返して、なんにも無くなってしまった燈矢くんの股間を眺めながら「いたわしい……」と呟くと、「陽火くんそこばっかみてえっちだ」と笑われた。ほんとそういう意図は無いです。
