そのハッピーエンドに火を放て

 ベアトリーチェ・エーレンフェルトが前世の記憶を取り戻したのは、王立学院への入学を二ヶ月後に控えた春のことだった。

 その日、彼女は婚約者である王太子から贈られた本を読んでいた。異国の風習について書かれたもので、挿絵の中に見覚えのある建物を見つけた瞬間、唐突に前世の記憶が蘇ってしまった。ありきたりな異世界転生ものの始まりだ。

 彼女は最初はひどく混乱したが、自分の名前と婚約者の名前を紙へ書き出し、どうにか事情を整理した。前世で読んだ恋愛小説『ミスティック・ハーツ』。その登場人物として生まれ変わったのだと気づいたのは、昼食の支度が整う少し前のことである。

 

 よりによって悪役令嬢か、と彼女は嘆いた。

 仕方のない話だろう。原作におけるベアトリーチェは王太子の婚約者として登場し、身分の低いヒロインを敵視した挙句、その罪を暴かれて破滅する。美貌と家柄に恵まれながら、最後には何もかも失ってしまうのだから、同じ人生を送りたいと思う人間は少ない。

 

 もっとも、彼女はひとつ大きな勘違いをしていた。原作におけるベアトリーチェは、決して途中で使い捨てにされるような悪役ではない。確かに物語の序盤では高慢な貴族令嬢としてヒロインへ辛く当たるが、彼女には彼女の矜持があった。王妃となるべく幼い頃から教育を受け、国と王家のために人生を捧げる覚悟をしてきた女で、実際に公務の場では誰より有能だったのだから。

 

 物事の表面しか見ない頭の悪い人間は、物語の登場人物すら表面上の“設定”でしか理解ができない。

 最初に自分でこのキャラは悪役なので悪! と認識したら、展開で背景を見せても理解できないらしい。馬鹿だから。読書というのは最低限の知性が必要な趣味なので、畳の目を端から端まで指でなぞって数えるくらいの遊びで満足していたらいいのに。

 

 

 ……のちに王太子がヒロインへ心を寄せた際、“ベアトリーチェ”は嫉妬と傷心のあまり過ちを犯す。

 それを認め、婚約者を手放し、自らの望む生き方を選び取るまでが一連の物語として描かれていた。終盤ではヒロインとの間に友情まで芽生え、それぞれ違う男と結ばれている。二人の女が互いの人生を認め合い、ハッピーエンドを掴む。恋愛要素よりも、女同士のクソデカ感情がメイン。精神的百合作品だった。でかい感情が同性でぶつかれば男でも女でも、それって実質BLでは? それってつまり百合では? となる。なるだろう。オタクってそういうの幻覚を啜って生きてるんだから。

 

 だから本来なら、ベアトリーチェが物語上の破滅回避のためにすべきことは簡単だった。ヒロインへ嫌がらせをしなければよい。

 

 婚約者が別の女を好きになったとしても、その時点で話し合えば済むし、そもそも本来の“ベアトリーチェ”ではない彼女は王太子と良好な関係を築いている。原作では選ばなかった道を歩くのだから、結末まで同じになるとは限らない。

 

 ところが、前世の記憶を取り戻したベアトリーチェは、ヒロインと関わらないことを最優先にしてしまった。

 

 これは少々まずい考え方だ。あくまで彼女を破滅させたのは彼女自身の行いであって、ヒロインの存在そのものが害悪だったわけではない。それを混同してしまうのは意味がわからない。

 

 もっとも、本人にその自覚はなかったらしい。ベアトリーチェは今世の人生を愛していた。優しい両親、気心の知れた侍女、将来を誓った婚約者。

 公爵令嬢として何不自由なく育ち、周囲からも大切にされている。前世の記憶を得たからといって、これまで積み重ねてきたものを失うわけにはいかない。

 

 彼女は破滅を回避するために、手帳へいくつかの約束事を書きつけた。ヒロインを虐めないこと。王太子との関係を良好に保つこと。悪意ある噂へ加担せず、学院生活を穏やかに過ごすこと。最後に、どのような事情があってもヒロインとは必要以上に親しくならない、と付け加えている。最後の一文だけ、二重線で囲まれていた。テスト前に慌てて勉強するやつか、日記を二日で飽きるタイプの人間のメモのとり方だ。そもそも、物的証拠になるようなものを残す理由がわからない。書かないと覚えられないにしても、内容は薄いし、その割に誰かに見られたら不味い情報だ。

 

 

 さて、王立学院の入学式当日。原作のヒロインであるアメリィは、予定通り学院へやってきた。

 淡い金髪に青い瞳、柔らかな頬と、少し大きすぎる制服。地方の孤児院で育った彼女は、学院への入学にあたって必要なものを揃えるだけでも苦労していた。制服は寄付された古着を仕立て直したもので、鞄も孤児院の年長者が使っていたものを譲り受けている。

 

 大変だったろうが、本人はそれほど気にしていなかった。新しい学校へ通えることが嬉しくて、入学前夜には興奮のあまり眠れなかったという。これは本人から聞いたので確かなことだ。

 

 ベアトリーチェが彼女を発見したのは、入学式が終わった直後のこと。前世の知識によれば、ヒロインはここで書類を落とし、王太子に拾ってもらうはずだった。二人の最初の出会いとなる、物語でも印象的な場面にあたる。

 

 ベアトリーチェは咄嗟に婚約者の腕を取り、別の方向へ歩き始めた。書類は予定通り落ちたものの、拾ったのは通りすがりの女子生徒。アメリィは礼を言い、持参していた焼き菓子を渡している。生地に少し塩を入れすぎてしまったらしいが、それでも美味しいと喜んでもらえた。

 

 こうして、悪役令嬢による最初の破滅回避は成功した。なお、アメリィは翌日からその女子生徒と親しくなり、卒業までよい友人関係を続けることになる。王太子と出会わなかったからといって、人生に何の楽しみもなくなるわけではない。主人公が出会う相手は、必ずしも攻略対象でなくてもよいのだから。

 

 

 しばらくのあいだ、学院生活は平穏だった。ベアトリーチェは学業に励み、王太子の婚約者として恥ずかしくない振る舞いを心がけた。

 アメリィも奨学生として勉強に精を出し、空いた時間には図書室の整理を手伝っている。蔵書の背表紙を綺麗にする仕事が気に入ったらしく、次第に司書からも頼りにされるようになった。

 

 問題が起きたのは、入学から三週間ほど経った頃。学院の温室で、年老いた庭師が脚立から落ちたのである。

 彼は腕を折り、頭も強く打っていた。偶然その場に居合わせたアメリィは、助けを呼びながら老人の手を握り、何度も大丈夫だと声をかけた。すると彼女の手から淡い光が溢れ、折れた骨が元通りにつながっていったという。

 

 聖魔法の発現。原作でも、ヒロインが聖女としての素質を見出される重要な事件だった。

 

 ベアトリーチェは報告を聞いて顔を青ざめさせた。温室には王太子も居合わせており、彼はアメリィの能力に強い関心を示したらしい。特別な聖魔法を持つ平民の少女。怪我人を救うために無我夢中で力を使った、心優しいヒロイン。まさしく原作通りの展開である。

 

 婚約者を奪われる。彼女はそう考えた。

 

 少し妄想が激しい。王太子はその日、予定通りベアトリーチェと昼食を共にしている。温室で起きた奇跡については嬉しそうに話したものの、それ以外に変わった様子はなかった。自分の国に聖女……になるかもしれない民がいる。王家の者なら嬉しいことだろう。

 庭師の治療費を王家で負担すると聞いて、婚約者も立派な判断ですわと答えたが、食事の味はほとんど覚えていなかったという。

 

 かわいそうな話ではある。好きな男が別の女を褒めているのだ。しかも、その女がいずれ自分から婚約者を奪うと知っているのだから、平静でいられるはずもない。もっとも、原作通りには進んでいないこの世界で、それは彼女の妄想に過ぎなかった。アメリィは怪我人を治療しただけで、今のところ王太子との恋愛になど、これっぽっちも関心を持っていない。そもそも、身分が違いすぎて同じ生き物とすら思っていなかったらしい。これも本人から聞いたことなので確かだ。

 

 

 ベアトリーチェは自分を戒めた。あの娘は何も悪くない。前世の知識があるからといって、これから起こるかもしれない出来事を理由に責めてよいはずもない。むしろ彼女の善行を称え、将来の王妃らしい寛容さを示すべきではないか。

 

 そこで、アメリィへ花束を贈ることにした。白い花を中心とした上品なもので、庭師を救った功績を称える手紙も添えている。アメリィはたいそう喜び、礼状と一緒に手作りの刺繍入りハンカチを返した。刺繍はあまり上手ではなかったが、小さな花がいくつも並んでいて、ベアトリーチェはそれを見て少し笑ったらしい。

 

 原作では、二人が最初に歩み寄る際にも手作りの品が登場する。あのときベアトリーチェは、平民の娘から贈られた安物など必要ないと突き返してしまった。のちにヒロインとの関係が改善してからも、あのとき受け取っておけばよかったと後悔する場面があったはずなのだが、前世の記憶を持つ彼女はどうやら覚えていなかったようだ。

 

 しかし、今回は違った。ベアトリーチェはハンカチを受け取り、侍女へ丁寧に保管するよう頼んでいる。

 実に喜ばしい変化だ。ハッピーエンド確定。こういう改変は大好きだ。ご都合主義やらなにやら文句をつけられることがあるが、登場人物同士が仲良くしているだけの二次創作だって、キャラクターが好きだから作られるという前提がある。素晴らしいことだ。

 

 

 ところが、翌日から彼女はアメリィを避けるようになった。廊下で顔を合わせても挨拶だけで立ち去り、王太子と一緒にいるときには、アメリィの姿を見つけるなり別の方向へ歩き始めてしまう。

 

 アメリィは困惑した。贈り物の件で何か失礼なことをしたのだろうか。高位貴族への礼状には決まった書き方があるのかもしれない。孤児院で教わった作法には限界があるので、彼女は図書室で礼儀作法の本を借り、何度も読み返したらしい。

 

 しかし、心当たりは見つからなかった。困った末に友人へ相談したところ、相手はベアトリーチェ様もお忙しいのだろうと慰めてくれた。アメリィもそれ以上は気にしないことにして、自分から近づくのを控えるようになった。

 

 

 一方のベアトリーチェは、ヒロインが接触を諦めてくれたことに安堵していた。これでよい。親しくなってしまえば、何かの拍子に婚約者を奪われるかもしれない。彼女を傷つけるつもりはないが、必要以上に関わる理由もないのだから。

 

 なかなか難儀なことである。仲良くなっても困るし、嫌われても困る。相手が何をしても破滅への前兆に見えてしまうのなら、最初から破滅するまで何もしない方が楽だったかもしれない。

 

 もちろん、本人は真剣だった。そして、そんな彼女を心配する人間が周囲には大勢いた。

 

 未来の王妃として、ベアトリーチェは多くの貴族令嬢から慕われている。幼い頃から親しくしてきた友人もいれば、公爵家との縁を求めて近づいてきた者もいた。理由はそれぞれだが、彼女たちはベアトリーチェのわずかな変化に気づいていた。

 

 

 王太子が聖魔法を持つ平民の少女へ関心を寄せている。その話題になると、ベアトリーチェ様は少し寂しそうな顔をなさる。しかも、あの平民は分不相応にも王太子と親しくなろうとしているらしい。

 

 ならば、未来の王妃のために何をするべきか。実に気の利く友人たちが、ベアトリーチェにはたくさんいた。日頃の行いの結果、原作では起こらなかった現象が起き始めていた。

 

 最初に被害を受けたのは、アメリィの教科書。机へ入れておいたはずのものがなくなり、数日後、裏庭の水路で発見された。濡れた頁は乾かしても波打ってしまい、文字が滲んで読めない箇所も多かった。買い直す余裕などないので、アメリィは使える部分を残し、友人から借りた教科書を見ながら失われた内容を書き写して対処した。

 

 次は鞄の紐を切られた。こちらは自分で修繕したものの、縫い目が少々不格好になってしまった。本人は気にせず使っていたが、友人が見かねて新しい紐を買ってきてくれたという。アメリィは何度も遠慮し、最後には自分が縫った古い紐を相手へ押しつけようとして、二人で笑った。

 

 その翌週には、運動着がなくなった。教師へ事情を説明したところ、予備のものを貸してもらえた。少し大きかったので袖を折って着用し、授業が終わると丁寧に洗濯して返している。元からついていた染みも洗われて、教師から何を使ったのか尋ねられたそうだ。聖魔法を駆使した浄化だとこたえられて、君にしかできないなと苦笑いをしたらしい。

 

 

 貧しい少女にも友人がいて、教師がいて、日々の生活がある。嫌がらせを受けたからといって、一日中泣いているわけにもいかない。授業は待ってくれないし、空腹にもなる。そもそもが孤児院育ちの平民なので、この程度は覚悟済だった。

 

 そうやってアメリィは学院生活を続けていた。もっとも、本人の努力で何とかなることにも限度がある。

 

 嫌がらせは次第に悪質になり、やがて噂まで広まるようになった。平民の身で王太子へ色目を使っている、聖魔法を利用して高位貴族を誘惑している、孤児院への寄付金を着服している。誰が言い始めたのかもわからない話が、さも事実であるかのように語られ始めた。

 

 

 

 ベアトリーチェが異変に気づいたのは、その少しあと。取り巻きの一人が、もうあの平民のことで心を痛める必要はないと耳打ちしてきたのである。

 

「ベアトリーチェ様を煩わせるような者は、わたくしたちがきちんと対処いたします。あの娘も最近は身の程を弁えているようですし、殿下へ馴れ馴れしく近づくこともなくなりましたでしょう?」

 

「対処とは、どういう意味かしら。わたくしは彼女に何かをするよう、あなた方へ頼んだ覚えはありませんわ」

 

「もちろんです。ベアトリーチェ様が直接お手を下すようなことではございませんもの。わたくしたちが勝手にしたことですから、どうぞお気になさらないでくださいませ」

 

「勝手にしたことだとしても、見過ごすわけにはいきません。今後は決して、そのような真似をなさらないで。彼女がどれほど傷ついたか、あなた方にも想像できるでしょう?」

 

 取り巻きは素直に頷いた。ベアトリーチェは、これで一件落着したと思ったらしい。やっぱり頭がよくない。

 

 だが実際、しばらくのあいだアメリィへの嫌がらせは止んでいた。ベアトリーチェも本人の様子を確認し、いつも通り授業へ出席していると知って胸を撫で下ろした。自分がはっきり注意したことで、周囲も考えを改めてくれたのだろう。

 

 

 そんな呑気な考えは、当然別の受け取り方をされていた。取り巻きたちは、ベアトリーチェ様はお優しいから、あのような平民にまで情けをかけてしまう。未来の王妃となる方なのだから、醜聞に巻き込まれぬよう気を配らなければならない。まして、本人が嫌がらせを命じたことになっては大変だ。

 次からは、ベアトリーチェ様のお耳に入れないようにしよう。そういう解釈をした。無能な味方が背中を撃ち続けていても気が付かないので、やっぱり頭が悪い女だ。

 

 アメリィへの嫌がらせは、やがて学院の外へまで広がっていった。彼女が育った孤児院へ匿名の苦情が届き、院長が寄付金を着服しているという疑惑まで持ち上がった。

 修繕費の金の動きを調べれば誤解だとわかるはずだったが、告発者はご丁寧にも、資金の一部がアメリィの学費へ流用されていると付け加えている。院長は学院へ事情を説明するため、わざわざ片道三日もかけて王都へ出向いた。

 

 アメリィは院長の顔を見た途端に泣き出してしまった。院長は彼女を慰め、昔と同じように頭を撫でた。ちょうど昼食の時間だったので、近くの食堂で一緒に食事を取ったという。

 

 院長は久しぶりの王都で料理の値段に驚き、結局二人とも一番安い煮込みを注文した。アメリィが学院の話をすると嬉しそうに聞いてくれたものの、夜には疲れて早々に眠ってしまったらしい。本当に優しい方なのよ、心のお父さまだと思っているの。とは本人の言葉なので、これも確かだ。

 

 往復六日と滞在費を費やした結果、院長の疑惑は晴れた。よかった、よかった。ちなみに、告発者については特に調査されなかった。学院側としても、根拠のない苦情に毎回付き合っていては仕事が進まない。誤解が解けたのだから、それで十分という判断だったのだろう。だからこの世に悪がのさばる。

 

 ベアトリーチェはこの件を知らなかった。耳が遠い。詰まってんのか。

 その頃、彼女は王太子との、特に拗れてもいない関係改善に励んでいた。夏の茶会では二人で庭園を歩き、秋の祭典へ向けて衣装を新調し、誕生日には手作りの刺繍を贈っている。王子は元々、別に他者に目移りしていたわけではない。最初から彼女を大切にしており、近頃は以前より表情が明るくなったと喜んでいた。

 

 恋人同士が仲睦まじいのはよいことだ。ただ、婚約者を信じることと、ほかの女を警戒することは両立しないのだろうか。

 

 ベアトリーチェは相変わらずアメリィの動向を気にしていた。王太子と同じ授業を受けていないか、図書室で隣り合わせになっていないか、聖魔法の研究で王宮へ招かれていないか。本人へ話しかけることは避けながら、周囲へは頻繁に様子を尋ねている。その度に取り巻きたちは、あの娘なら心配ありませんわと答えた。

 

 万事順調だった。

 

 そして秋の終わり、アメリィが王家の管理する聖遺物へ不正に接触したという疑惑が持ち上がった。

 問題となったのは、学院の創立記念祭で展示される予定だった宝珠。王家が代々保管してきた貴重な聖遺物で、今回に限り聖魔法の研究資料としても使用されることになっていた。アメリィは、その保管室へ許可なく立ち入ったと疑われたのである。

 

 本人は、教師に頼まれた資料を取りに行っただけだと説明した。しかし、その教師は彼女へ用事を言いつけた覚えがないと証言している。入室記録に記された署名も偽造されたもので、何者かが許可を装って保管室へ入った可能性が高かった。

 

 調査は難航した。アメリィは聖遺物に残された魔力の痕跡を調べても構わないと申し出たが、どういうわけか検査の予定が何度も延期されている。関係者の証言にも食い違いがあり、調査を担当した役人が交代することまであった。

 

 犯人は誰か。目的は何か。そもそも本当に不正があったのか。調べれば調べるほど、問題は複雑になっていった。事情を知る者が一斉に口を閉ざし、事情を知らない者が熱心に騒ぎ始めたのだから、当然の結果かもしれない。

 

 

 ベアトリーチェの取り巻きたちは、アメリィを学院から追放するために証拠を偽造していた。王家の聖遺物に関わる不正ならば、いくら聖魔法の才能があっても見逃されるはずがない。そう考えた彼女たちは、保管室への出入りを管理する下級役人まで買収している。

 

 しかし、計画には問題があった。アメリィは聖魔法の使い手として、すでに王家から注目されていたのである。聖遺物に残された痕跡を調査すれば、彼女の無実が証明される可能性も高かった。何より、アメリィ自身が調査に協力的だったため、いつまでも疑惑を引き延ばすことが難しくなっている。

 

 困った取り巻きたちは、さらに大きな事件を起こすことにした。

 

 アメリィの私室から禁術に関する書物が発見され、王子に渡す予定の菓子から精神作用のある薬草が検出された。続いて、アメリィが聖魔法を利用して王太子を誘惑し、ベアトリーチェを陥れて王妃の座を奪おうとしていたという告発状まで提出されている。

 

 実に豪華な罪状だ。ここまでやったら処刑不可避。ちなみに、アメリィは王太子へ菓子を贈る覚えはなかった。禁術の書物についても、見たことすらない。そもそも聖魔法を利用した精神干渉など、彼女が使える術式には含まれていなかった。

 

 しかし、証拠は揃っている。誰かが揃えたのだから、当然といえば当然なのだが。

 

 アメリィは正式に拘束された。学院の一室へ閉じ込められ、友人との面会も制限される。孤児院へ手紙を書きたいと頼んだものの、調査が終わるまでは許可できないと断られてしまった。彼女は仕方なく、借りていた図書室の本だけでも返してほしいと申し出たらしい。

 

 司書は後日、返却された本の間から小さな栞を見つけた。押し花を紙で挟んだ手作りのもので、裏には貸してくださってありがとうございましたと書かれていたという。なかなか律儀な娘だった。正ヒロインらしい真っ直ぐさを持ち合わせている。

 

 

 ベアトリーチェが事件の全容を知ったのは、創立記念祭の前夜のことだった。彼女は取り巻きたちを問い詰めた。すると、そのうちの一人が泣き出してしまった。自分たちはベアトリーチェ様のためを思って行動したのだと、誰も頼んでいないことを白状したのである。無能な味方がついに自爆した。

 

「あなた方は、自分たちが何をしたのかわかっているのですか。無実の人間へ罪を着せ、それをわたくしのためだと言うなんて。もし本当に彼女が処罰されてしまったら、どう責任を取るつもりなのですか?」

 

「ですが、あの娘をこのまま放っておけば、いずれ殿下のお心を奪われてしまいます。ベアトリーチェ様がずっとお心を痛めていらしたことは、わたくしたちも存じておりますもの」

 

「だからといって、こんなことをしてよいはずがありません。あなた方は間違っています。お願いですから、今すぐ真実を話してください」

 

「……わたくしたちが罪を認めれば、父も兄も処罰されてしまいます。ベアトリーチェ様は、わたくしたちの家族まで不幸になっても構わないとおっしゃるのですか?」

 

 ベアトリーチェは答えられなかった。友人たちは皆、彼女のために行動したのだという。無実の少女を陥れたことは許せないが、だからといって大切な友人の家族まで処罰されるのは忍びない。彼女は悩んだ末、父親へ助けを求めることにした。

 

 公爵は娘の話を聞き、ひどく難しい顔をした。友人たちの行動は許されない。しかし、いまさら真実を公表すれば、ベアトリーチェ自身の立場まで危うくなる。未来の王妃が嫉妬に駆られ、周囲を利用して聖女候補を陥れた。そのような噂が広まれば、たとえ本人が直接関与していなくとも、婚約の継続は難しくなるだろう。そもそも、相手は聖魔法を使うといえどただの孤児の平民だ。娘と、娘の友人たち。比べるまでもなく価値が違う。

 

 公爵は慎重な男だった。何より、娘を愛していた。自分の家族を守るためならば、多少の犠牲を払うことも厭わない。そういう種類の愛情を持った父親だ。

 

 彼は一晩考えた末、王家へある提案をした。アメリィの聖魔法は貴重だが、今回の事件では禁術への関与も疑われている。本人の無実を証明するには時間がかかり、学院内に留めておくことにも危険が伴う。ならば、ひとまず王国の保護下から外し、第三国へ身柄を移して調査を続けるのはどうか。

 

 実質的な国外追放。

 ベアトリーチェは反対した。彼女は何も悪いことをしていないのに、どうして追放されなければならないのか。そんな結末は望んでいないし、無実の人間を犠牲にして自分だけが助かるなど到底受け入れられない。

 

 公爵は娘の言い分を認めた。ただし、王家へ真相を知らせれば、友人たちは処罰される。事件を隠蔽した親族も同様だ。ベアトリーチェ自身は罪を免れるかもしれないが、彼女の婚約者は王太子であり、周囲の悪意に気づきながら止められなかったという責任を問われる可能性がある。

 

 そして、肝心のアメリィはどうなるのか。禁術への関与が疑われている以上、すぐに釈放することは難しい。国外追放という形式を取れば、少なくとも彼女の命は守れる。落ち着いた頃に改めて調査を行い、無実が証明されれば帰国を許可すればよいのだから。

 

 公爵はそう説明した。娘は長い時間、何も言わなかった。

 翌朝、ベアトリーチェは父親の提案を受け入れた。彼女はアメリィの身柄を第三国へ移すための書類へ署名し、王太子にも協力を求めている。婚約者は最初こそ難色を示したものの、ベアトリーチェが涙ながらに事情を説明すると、最終的には彼女の判断を尊重した。

 

 王家としても、これ以上の醜聞は避けたい。学院も、重大な事件を長引かせるわけにはいかなかった。取り巻きたちの実家は娘の罪を隠そうとし、公爵家はベアトリーチェの立場を守り、王太子は婚約者の願いを叶えようとした。

 

 それぞれに守るべきものがあり、失いたくない人間がいた。そうして、アメリィは国外追放を言い渡された。

 

 めでたし、めでたし。平民娘の犠牲で、多くの貴族が救われた。ちょっと失敗しちゃったけどね! というカスのエンディングが完成だ。

 

 

 バカ野郎が。そうは問屋が卸さない。言い回しが古いか? 仕方ねえだろ、古い人間なんだからよ。そもそもだ、なぜヒロインが追放されなければならなかったのだろう。

 

 悪役令嬢を幸福にしたいのなら、別にヒロインを不幸にする必要などない。婚約者を奪われることが心配なら話し合えばよいし、悪事を働きたくないのなら働かなければ済む。少なくとも、無実だと知っている少女を追放する書類へ自分から署名する必要はなかったはずだ。

 

 それなのに、周囲の人間は誰も彼も彼女を守ろうとする。ベアトリーチェ様は悪くない。あの方はお優しいから、こうするしかなかった。婚約者としての立場も、友人たちの将来も、家族の名誉も守らなければならないのだから。

 

 実に親切な話だ。ところで、その親切な人間たちは、どうして一度もアメリィへ話を聞きに行かなかったのだろうか。

 

 まあ、平民の娘が一人いなくなったところで、困る人間などいないと考えたのかもしれない。実際そうだった。孤児院の子供たちや友人たちが悲しんだとしても、王家や公爵家にとっては些細な問題でしかない。

 

 追放が決まった日、アメリィは自分の荷物をまとめた。学院から貸与されていた教科書は返却し、私物については持ち出しを許されたが、検査のために一度すべて広げる必要があったらしい。鞄の底から小さな針箱が見つかり、係官はこれも必要なのかと尋ねた。

 

 アメリィは頷いた。もともと紐が切れやすい鞄なので、針と糸がないと困るのだという。係官はしばらく考え、針箱を返した。

 

 ほかに持ち出しを許されたのは、数枚の衣服と手紙、それから孤児院で撮影した古い写真だけだった。入学の日に持参した焼き菓子の包み紙まで取ってあったらしく、さすがに不要だろうと差し出したところ、本人は少し恥ずかしそうに受け取り、今も持っている。

 こんなものでも記念になるのだという。これからたくさん勉強をして、友人を作り、良い仕事に就いて孤児院へ恩を返す。そんな未来を夢見ていた頃の、気持ちの欠片なのだそうだ。

 

 

 

 こうして、アメリィは学院を去った。最後まで自分の無実を訴えていたものの、ベアトリーチェを恨むような言葉は残していない。

 そもそも彼女は、誰が自分を陥れたのか知らされていなかった。王太子の婚約者が事件に関わっている可能性についても、正式な説明を受けていない。ただ、学院での生活が終わってしまったことと、孤児院の子供たちへ会えなくなることを悲しんでいた。

 

 国境へ向かう馬車の中では、何度も窓の外を見ていたらしい。護衛の一人が気の毒に思ったのか、道中の宿場町で焼き菓子を買ってきてくれた。アメリィは礼を言い、一枚だけ食べて残りを包み直している。護衛たちへ分けようとしたところ、職務中だからと断られたそうだ。

 

 

 翌日の夕方、馬車は山賊に襲われた。国境に近い山道で、二十人ほどの武装集団が一行を包囲した。護衛は抵抗したものの、相手は地形を知り尽くしており、弓を射かけられた馬が暴れたことで隊列が崩れてしまう。馬車は谷底へ落ち、御者と護衛の遺体が発見された。

 

 しかし、アメリィの姿は見つからなかった。捜索は続けられたが、山道には獣も多く、日が暮れると谷底まで降りることが難しくなる。数日後、彼女のものと思われる衣服が血に染まった状態で発見されたことから、生存の可能性は低いと判断された。

 

 王都へ報告が届いたのは、その翌週。ベアトリーチェは知らせを聞いて倒れた。

 

 数日のあいだ寝込んだ彼女は、目を覚ましてからも食事を受け付けず、何度も自分を責めたという。アメリィは何も悪いことをしていなかった。自分が前世の知識を持っていたからこそ警戒し、周囲の人間がそれに気づき、取り返しのつかない事件を起こしてしまった。

 

 あのとき、父親の提案を受け入れなければ。友人たちの罪を正直に告白していれば。そもそも、ヒロインを恐れなければ。

 

 考えれば考えるほど後悔は深くなり、彼女は何度も泣いた。

 

 王太子は婚約者を慰めた。事件の責任は彼女だけにあるわけではない。直接罪を犯した人間は別におり、ベアトリーチェ自身は最後までアメリィを救おうとしていたのだから、必要以上に自分を責めるべきではない。亡くなった少女の分まで幸福に生きることこそ、彼女にできる償いではないか。

 

 罪のない人が死んだにしては御立派な慰め方だった。おかげでベアトリーチェは少しずつ立ち直り、翌年には無事に学院を卒業している。

 事件に関与した取り巻きたちも処罰されたが、公爵家への責任追及は行われなかった。彼女が事件を指示した証拠はなく、父親の提案も正式な手続きを経て承認されていたため、これ以上問題を大きくする必要はないと判断されたらしい。

 

 

 数年後、ベアトリーチェは王太子と結婚した。夫婦仲は良好で、二人の子供にも恵まれている。王妃となった彼女は孤児院への支援や貧困層の教育に熱心に取り組み、多くの国民から慕われるようになった。アメリィの命日には毎年白い花を供えている。ちなみに、アメリィの好きな花は黄色い花だ。せめて好きな色の花にしてやれよと思う。

 

 実に美しい結末だ。悪役令嬢は前世の知識を活用して破滅を回避し、愛する婚約者との幸福を手に入れた。途中で些細な犠牲は出たものの、本人は深く反省しているし、その後は善行を重ねている。何より、彼女が幸福になれたのだから、大団円と言っていい。

 

 

 問題は、終わったはずの物語に続きがあったことだ。

 

 アメリィは死んでいなかった。馬車を襲った山賊たちは、金品と人間を奪うつもりで国境近くに潜んでいた。貴族の娘らしき女が護衛付きで移動していると知り、身代金をせしめようとしたところ、予定外の抵抗に遭って少々派手な仕事になってしまったらしい。馬車を谷底へ落としたのも山賊たちの仕業だったが、肝心のアメリィはその前に引きずり出され、頭領のところへ連れていかれていた。

 

 身長は二メートルを優に超え、奪ったもので飾り立て身なりのよい大男だ。貴族の馬車を襲えば時折こういう上等な衣服が手に入るらしい。もっとも、本人に似合う大きさのものは滅多にないため、仕立て直しには相当な金を使っていたそうだ。

 

 頭領はアメリィを見るなり、すっかり気に入ってしまった。何しろ、とんでもない上玉だった。

 貴族の女も商家の娘も散々さらってきたし、今回のように馬車を襲って積まれた宝石を根こそぎいただいたこともあるが、こんな女は見たことがない。

 金糸を束ねたような髪に、宝石を嵌め込んだようにきらめく青い目。肌は白く、頬にはほんのり赤みが差して、唇なんて紅を引いてもいないのに熟れた果実みたいな色をしている。

 こりゃあ王宮の奥にでも囲われているべき代物だ。頭領はこれまで女には穴が空いていればそれでいいと美醜についてさほど細かいことを気にしたことがなかったが、このときばかりは、部下の誰かが触れようものならその腕を叩き折ってやろうと決めた。

 泣き顔まで滅法可愛かったものだから、ますます手放す気が失せる。最初は自分の寝床へ連れ込んで、とびきり贅沢をさせて飼ってやろうと考えていたのだが、彼女が泣きながら護衛たちを治療してほしいと懇願したことで、少し事情が変わった。

 

 頭領の男は配下へ、まだ生きている人間がいれば連れてこいと命じた。アメリィは怪我人の手当てを始め、山賊たちは、あの女は何をしているのだろうと不思議がった。

 攫われた身で、襲った相手にまで治療を施す。逃げようともせず、負傷者を見つけるたびに顔を青ざめさせて駆け寄っていくのだから、世間知らずにもほどがある。

 

 実際、アメリィはずいぶん世間知らずだった。頭領が彼女の食事に肉を一皿追加させたときには、山賊にも親切な人がいるものだと感心していたし、寝室を与えられた際には、自分より怪我人たちを暖かい部屋へ移してほしいと頼んでいる。

 

 そこで頭領は思った。なんて可愛い女なんだろう!

 

 ところで、この男は女に好かれようとした経験がほとんどなかった。欲しいものがあれば奪えばよいし、嫌がる相手は黙るまで殴れば黙る。これまでの人生では大抵それで何とかなってきたので、急に恋をしたところで適切な振る舞いなどわかるはずもない。

 

 まずは部下に相談した。すると、女は花を贈られると喜ぶらしいという話が出た。男は山から花を集めてこさせ、部屋いっぱいに敷き詰めた。アメリィは驚いたが、摘み取ったばかりの花を寝室に山積みにされては虫も集まるし、湿気もひどい。翌朝、彼女が困った顔で寝具を干しているのを見て、男は花が嫌いだったのかと落ち込んだ。

 

 次は菓子を贈ることにした。山賊の手元に菓子など滅多にないので、わざわざ麓の町まで部下を走らせている。持ち帰ったものを味見したところ、ひとつ気に入ったものが見つかった。男はそれをすべてアメリィへ贈った。

 

 残念ながら、彼女は一度に菓子を四十個も食べられなかった。ほかの女たちにも分けてよいかと尋ねると、男は少し考えたあとで、好きにしろと答えている。

 

 翌日、アメリィは男へ礼を言った。それから二人は少しずつ親しくなった。彼女は自分の身に起きた出来事を話し、男はその度に腹を立てた。学院で受けた仕打ちのことも、故郷へ帰れなくなったことも、誰かに聞いてもらえるだけで少しは気が楽になるものだろう。

 

 男はアメリィの話を聞くたびに、王国の貴族どもを皆殺しにしてやると息巻いた。アメリィは困った。そんなことは望んでいないし、もう誰かが傷つくところを見たくない。自分が無事に生きていられるだけで十分なのだから、危険なことをしないでほしい。そう訴えると、男は少し黙り、彼女を喜ばせる方法を考え直したという。

 

 なかなか涙ぐましい努力だ。部下の腕を折るより笑顔を作る方が難しい男が、嫌われまいとして必死に頬の筋肉を動かしているのだから。

 

 

 やがて二人は結婚した。あまりに簡単な話に聞こえるかもしれないが、何しろ相手はヒロインである。どれほど粗暴で邪悪な男でも、一度恋に落ちてしまえば、彼女の前では情けないほど従順になった。

 アメリィもまた、誰より自分を大切にしてくれる男を愛するようになっていた。元々が恋愛を主軸に据えた物語のメインヒロインなので、向けられた愛情には惜しみなく応えるし、好きな相手の影響を受けやすいところもある。その性質が、よりによって極悪非道の山賊頭領に適応されてしまったわけだ。自分だけに優しい殺人鬼だ、女ってこういうの好きなんだろ。美しい相思相愛だぞ、祝福しろよ。

 

 それから山賊たちの生活は少しずつ変わり始めた。頭領が妻のために清潔な家を建てさせたので、山の住居にも水道が引かれた。怪我人の手当てをするための施設が作られ、食料を保存する倉庫が増え、部下の子供たちへ読み書きを教える者まで雇われている。

 

 無論、山賊をやめたわけではない。むしろ規模は拡大した。頭領は以前より精力的に仕事へ励むようになり、妻がいればどんな怪我をしても治してもらえるものだから、無茶な襲撃まで増えていった。アメリィは夫を心配したが、彼が仕事を楽しんでいることも知っていた。

 

 やがて彼女は、夫がもっと安全に仕事をできる方法を考え始めた。

 わざわざ兵士と戦わなくても、相手が自分から門を開けてくれればよい。国境を越えるために偽造した通行証を使うより、正式な許可を得られる立場になった方が便利だろう。

 

 彼女の聖魔法は、人の傷を癒すだけのものではなかった。人間の心に働きかけ、恐怖を和らげ、他者への親愛を育てる。なんとここにきて、かつて捏造された『聖魔法を利用して人を惑わせる』禁術が完成した。実際、本人曰く「そういう使い方があるって聞いた時に、やってみたらできるかな? って思ったの。できちゃった」と言っている。あーあ。できちゃった。禁術。

 

 聖女としての能力を本格的に研究していれば、いずれ国家の重要な役職に就いていたかもしれない。もっとも、本人には学問としての関心があまりなかったらしい。大好きな夫と子供たちが健やかに暮らしてくれれば、それで十分に幸福だったのだろう。

 

 

 山賊たちは、そんな彼女を奥様と呼んで慕った。頭領は妻が考えた方法を次々と採用した。最初は周辺の村を、次は街を、やがて小さな島国まで手中に収めている。

 相手を殺さずに従わせる方法があるのなら、そちらの方が効率的だ。もっとも、抵抗した者はいつも通りの処理がなされている。

 

 

 

 ここで、もう一度ベアトリーチェの話へ戻ろう。彼女はアメリィが亡くなったと信じ、長い年月をかけて罪を償おうとした。王妃となり、二人の子供を産み、恵まれない人々へ手を差し伸べ、立派な人生を送っている。

 

 一方、追放されたヒロインも幸福になった。自分を心から愛してくれる夫と出会い、その妻となり、山の中で暮らしていた頃には想像もしなかったほど多くの人間から慕われている。

 

 悪役令嬢もヒロインも、それぞれ別の場所で幸福を手に入れたのだから。こんどこそハッピーエンドだ。

 

 

 ただし、もうひとつだけ問題が残っていた。ヒロインを愛した男は、妻を傷つけた人間たちをまだ許していなかった。

 

 そもそも、彼は人間が誰かを傷つけること自体を悪いとは思っていない。自分だって散々やってきたし、今後も必要があれば遠慮なく続けるつもりでいる。だが、それは自分の妻を傷つけてよいという話にはならない。なんなら、この山賊たちのルールの中で最も重い罪は『俺様の妻チャンを悲しませた罪』だ。これは弁護人を呼ばれることもなく即処刑となっている。

 

 俺の可愛い妻チャンを追放した国の貴族どもを、いつか必ず皆殺しにする。頭領はそう誓い、妻へは内緒で部下を各国に潜り込ませるようになった。アメリィが夫の復讐心を知ったときには、もうよいのだと諭している。いまは幸福なのだから、過去のために危険なことをしてほしくない。彼女が望んだのは、夫が無事に帰ってきて、子供たちと一緒に食卓を囲む、ごくありふれた日々だった。

 

 男は妻の願いを聞くなり、二つ返事で頷いた。妻が嫌がるなら仕方がない。あの国の貴族どもを一人残らずぶち殺してやるつもりだったが、最愛の妻チャンがもういいと言うのなら、まあ、いいか。実際、彼にとっては復讐よりも妻の笑顔の方がずっと大切だったので、昨日までの殺意など綺麗さっぱり忘れてしまった。なんとも聞き分けのよい夫である。部下が同じことを言えば、その場で首を捻じ切られていただろう。

 

 ところが、そんな父親のもとへ息子がやってきた。

 

「親父、お袋を嵌めた連中をこのまま許しちゃおけねえだろ。お袋はもういいって言うだろうが、俺は嫌だね。そんなやつらが何食わぬ顔して幸せに暮らしてると思うと、腹が立ってしょうがねえ。俺に任せてくれよ。親父の代わりに、きっちり落とし前つけてきてやるからさ」

 

 父親は感激した。なんという親孝行な息子だろう。まだ若いというのに母親の受けた屈辱を忘れず、父親に代わって仇を討とうというのだから、これほど立派な後継者もあるまい。しかも顔は妻にそっくりときている。どうなってんだ俺の人生、勝ちすぎじゃねえか。

 

「おめぇ……! なんていい息子なんだよ! よっしゃ、好きにやってこい! 金でも人でも、必要なもんは全部親父が用意してやっからよ! あの国ごと欲しいってんなら、そいつもくれてやらあ!」

 

 こうして父親の全面的な支援を取りつけた息子は、母親には勉学のためと説明し、かつて彼女が追放された王国へ向かうことになった。母親は離れて暮らすことを寂しがったが、本人があまりに楽しそうなものだから、最後には納得して「野菜も食べて、健康に気をつけるのよ」といいながら認めてくれた。理解あるオ母チャン……。ちなみに父親は、妻に見つからないよう大量の武器と資金と人材をせっせと先回りして送っている。息子の初めての国落としなのだから、多少荷物が多くなるのも仕方あるまい。  

 

 

 さて、この息子には少々変わったところがあった。母親譲りの美貌と聖魔法、父親譲りの頑健な肉体と凶暴性。

 

 山賊どもから若様と慕われ、次期頭領として大いに期待されているのだが、それとは別に、誰も知らないはずの物語について異様に詳しかった。誰も語らない登場人物の思考や内面すら知っている。不思議なことだ。

 

 王太子の名前も、学院で起きた事件も、追放されたヒロインが本来どのような人生を送るはずだったのかも。彼が好んで読む本の中には『ミスティック・ハーツ』という、こちらの世界では誰も知らない小説まであった。

 

 当然だろう。そもそも、その小説を書いたのは彼なのだから。

 

 自分が考えた最高のヒロインを勝手に悪女扱いされ、愛情を込めて書いた物語をぐちゃぐちゃにされた挙句、知らないところで改悪二次創作のような展開が進んでいたのだから、そりゃあ腹も立つ。

 

 しかもベアトリーチェは、原作では終盤にかけて内面が掘り下げられ、ヒロインと友情を結ぶはずだった準ヒロインだぞ。誰だよ、俺のベアトリーチェをあんな女にした奴。

 

 まあ、改悪されたおかげで父親と母親が出会ったのだから、そこだけは感謝してやってもよい。お袋が親父と結婚しなければ、こうして生まれてくることもなかったわけだし。

 

 

 そんなわけで、悪役令嬢に転生した女がヒロインを追放し、山賊に攫われたヒロインが頭領と恋に落ちて、めでたく夫婦になりました。

 

 そして生まれたのが俺ってワケ。そして今持ってる【転生した私がミスハーの悪役令嬢に!? 前世知識で無双します!】がこの世界ってワケ。

 

 許せねえんだわ………………。こんな世界…………。作者に同人誌送り付けてくる読者レベル100じゃねえか、他所の作家が許しても俺は許さねえタイプの作者だからよ……。見ないという選択を剥奪されてんだわ、これ……。落とし前、付けさせなきゃ気が済まねえよ………………。

 

 

 

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