神獣会談

 小さな人間は、まだ泣いていた。さっきみたいな大声ではない。息を吸うたび鼻がぐずぐず鳴って、袖で顔を拭ったあとにも、目の端から勝手に涙が出ている。

 あれだけの悲鳴を上げたのだから、こっちが怖いのはまだ変わっていないと思う。それでも逃げようとはしなくなった。というより、片足を伸ばしたまま岩の下へ座り込んでいるので、たぶん逃げられない。

 なるべく牙が見えないよう口を閉じたまま、背中のフィロンへ顔を少しだけ向ける。

「迷子かな?」

 かなり小さな声で言ったつもりだった。ところが小さな人間は、びくっと肩を跳ねさせたあと、さっきまで俯いていた顔を勢いよく上げた。涙でぐしゃぐしゃの目が、今度は別の意味で見開かれている。

「し、神獣様だ……っ」

 お。知ってるんだ。なんだか急に気分が良くなった。さっきまで化け物を見るような顔で悲鳴を上げられていたので、落差がすごい。
 前足をきちんと揃え、ふんす、と鼻を鳴らす。胸の毛も心なしかいつもより立派に膨らんで見える。

「そう、私こそが神獣さま!」

 どうだ。これが神獣さまだぞ。つよつよ白虎だぞ。

「その区分で分けるなら、君たちは私たちをそう呼ぶね。しかし不思議だ。君も神獣じゃないか」

「え?」

 小さな人間が固まった。胸を張っていた方も固まった。そうだった。フィロン、この子も同じものだと言ってた。

 説明したがりの蛇は、こういう時に黙って様子を見るという選択肢をあまり持っていない。背中の上でもぞりと位置を直すと、小さな人間から見えやすいように首を持ち上げた。

「怖がらなくていいよ。難しい話ではない。この世界の人間は、私たちのように、一度ほかの世界で人として生きて死に、ここで別の身体を得たものを神獣と呼んでいるのだろう。
そして私たち同士には、ひとつ共通した特徴がある。この世界の『人間』と会話ができるんだ。だから君には私の言葉も、この子の言葉も分かる。
私のように本来なら人の言葉など話せない蛇と、この子のような白虎とも、こうして言葉で意思を通わせられる。君もそうだろう?」

 おお。子供向けに優しい説明してる! 出来るんじゃん! なんか難しいプネなんとかとか、専門用語いっぱい入れなくても出来るんじゃん!
 フィロンと話し始めたころ、知らない単語が出るたびに「それ何?」と聞けば、その単語を説明するために新しい知らない単語を二つくらい増やされた覚えがある。説明が下手なのではなく、相手によって使い分けられる人だったらしい。

 まあ、仕方ないか。私は見るからに賢そうな虎だからな……。白くて大きくて、黙って座っていれば威厳もある。
 きっと会った瞬間から教養あふれる知性派だと思われたのだろう。上方に勘違いされちゃったのかもな……。

 小さな人間はフィロンとこちらを交互に見た。口が少し開いたままになっている。何か言おうとして閉じ、また開いて、しばらくぷるぷる震えたあと、とうとう小さな悲鳴みたいな声を上げた。

「《万語理解》って、俺だけの特殊スキルじゃなかったの!?」

「名前付けてたの? かっこういいね」

「幼い頃は誰でもやることさ。街の子供もよく『我こそはアルクメネの子、ヘラクレスだ!』と叫んで木剣を振り回していた」

「ヘラクレスは知ってる。英雄ごっこだ」

「英雄ごっこ…………」

 フィロンへ言ったのに、なぜか小さな人間の方が流れ弾を受けた。別に攻撃の意図はないんだけどなあ。
 ちょっと年上の人から「そういうの、子供のころやったよね」と言われた時の感じに似ている。しかも本人はたぶん、つい昨日まで《万語理解》という名前を結構気に入っていた。顔を見れば分かる。さっきまで泣いていたのとは違う理由で、頬がちょっと赤くなっていた。

 なんだか可哀想になってきたので、話題を変えることにする。

「名前は? なんていうの?」

 小さな人間は一度鼻をすすった。泣いたせいで声はまだ掠れているけれど、さっきよりずっと落ち着いている。

「レオンハルト・アルセイン。……今は。前は、牛越聡」

「うしこしさとし。声に出して読みたい良い名前」

「その褒められ方は初めてだよ」

 ちょっと笑った。よかった。泣き止んだ。

 そこで、そういえば前世の名前を名乗る流れだったと思い出した。フィロンにはもう話しているけれど、レオンハルトは知らない。

「私はガウーワ。今はそれが名前。人間だった時は菜花火花。日本人で、平成16年に死んだよ」

「平成16年……えっと、2004年か。俺は令和33年。2051年」

「れいわ?」

 知らない。平成の次は何だったっけ、と考えても何も出てこない。平成より後だと思う。たぶん……大正より前ですよと言われたら、ちょっと自信なくなるけど……。たぶん、未来? 私が死んだあとに始まった時代な気がする。

「平成の次だよ。平成が終わって、令和になった」

「へえー。未来人じゃん。2051年って車飛んでた?」

「飛んでないよ。でも運転手がいなくても車が走るようにはなってる。自動運転」

「未来じゃん!」

 車が自動で走るの!? すごい! 私もみたかったな、それ。たのしそう。でも冷静に考えたら、私が何事もなく生きたとしても、普通に寿命で死んでる可能性がある年だ。どっちみち、私を自動で運んでくれる車には乗れなかった可能性が高い。
 私の方が先に死んだけど、生まれ変わったのはレオンハルトの方が先みたいだから、そこらへんはランダムなのかな? そもそも転生ってなあにという話ではあるけど。

 レオンハルトが「菜花火花」ともう一度確認するように呟いている横で、背中のフィロンも首を伸ばした。自分の番だと思ったらしい。

「私はルキウス・アエミリウス・フィロン。死んだ年については、こちらへ来てから正確に数える方法がなかったから断言はできないが、ウェスパシアヌスが九度目、ティトゥスが七度目の執政官であった年だったと思う。当時は────」

「長い長い長い」

「情報が長いです」

 レオンハルトと声が揃った。フィロンが止まる。背中の上なので顔は見えないけれど、たぶん今ちょっと不服そうにしている。情報が多いと言うより、ひとつひとつの単語が長くて、長いとしか言えなかった。ウェスなんとかさんとか、だれえ……?

「名前と年代をいうところじゃないのかい?」

「年代の表現が長いんだよ。何年って言ってよ」

「だから、そのように言っているんだよ」

 駄目だった。フィロンの中では今のが何年かを言ったことになるらしい。レオンハルトが涙の跡の残った顔で少し考え込んだ。

「もしかして、西暦とかがなかった時代かな。ウェスパシアヌスとティトゥスって、たしかローマ系の……なんか偉い人だった気がする」

「西暦ってキリストの誕生日からだよね? じゃあキリストより年上?」

「いや、たぶんキリストよりは後」

「あれ?」

 世界史、うろ覚え。イエス・キリストがいつ生まれて、ウェス……なんとかさんがいつ皇帝だったかなんて、一度も使わなかった知識である。そもそも高校でちゃんと覚えていたかも怪しい。フィロンはキリストという名前に反応した様子もなく、背中で静かにしている。知らない人の名前が突然出てきた時の顔なのだろう。

「つまりフィロンが一番昔で、次がガウーワで、俺が一番後か」

 自己紹介はなんとか終わった。前世の死亡年代だけで千九百年以上ばらばらの三人が、よく分からない異世界の山の中で、虎と蛇と子供になって集まっている。改めて考えるとなかなか変な状況だったけれど、今さら異世界転生そのものへ驚く時期でもない。

 それよりレオンハルトの足である。伸ばしたまま動かしていない左足へ目を向けると、フィロンも同じことを考えたらしい。背中から降り、前足を伝って地面へ移った。するすると雪の上を進み、レオンハルトの足元まで行く。

「触れるよ。痛む場所を見たい。無理に曲げなくていいから、そのままでいなさい」

「……はい」

 さっきまで神獣様だ特殊スキルだと騒いでいたのに、怪我の話になるとフィロンの声が変わる。レオンハルトもそれを感じたらしく、素直に返事をした。フィロンが足の周りを見ている間、邪魔にならないよう少し横へ移動する。

 そこから、どうしてこんなところにいるのかを聞いた。最初は「村から来た」とだけ言っていたけれど、詳しく聞けば聞くほどおかしい。
 外国から使節団と一緒に来た。神獣がいると聞いた。会ってみたかった。大人たちが寝てから一人で家を抜けた。雪山へ入った。鹿みたいな魔獣に襲われた。逃げた。猿の声に騙された。崖から落ちた。朝まで一人だった。聞いているうちに、前足がむずむずしてきた。

 

「う~~ん……。不良!」

 

 前足をびしっと向ける。レオンハルトが目を丸くした。

「私とフィロンが気のいい虎と気のいい蛇だったから助かっただけで、こんなにちっちゃいのに脱走しちゃだめじゃん。まだほぼ赤ちゃんみたいなものでしょ」

「ガウーワ、ガウーワ」

「なぁに」

「君は少し勘違いしているみたいだが、彼が特別小さいわけでも、私が細いロープなわけでもないんだ。君が大きいんだよ」

 …………。何を言ってるんだろう。レオンハルトまで、ちょっと申し訳なさそうな顔でこちらを見上げた。

「俺、一応今世で十歳だから。言われるほど小さくはないと思う」

「そんな……私はまだ豆柴くらいのサイズの、小さく可愛い赤ちゃんでは……?」

「そもそも君の種族はね、大きいんだよ」

 フィロンが医者みたいな声で事実を告げた。

 がーん。

 知らなかった。いや、白虎が大きいこと自体は知っていた。お父さんもお母さんも叔父虎もすごく大きい。けれどそれは大人だからだと思っていた。
 きょうだいの中では別に一番大きいわけでもないし、お父さんの隣へ並べば今でもちっちゃい。お母さんに首の後ろを咥えられるし、叔父虎の前足で普通に転がされる。

 でも人間から見たら。さっきレオンハルトが悲鳴を上げた理由を、今さら別方向から理解した。

 私って巨大白虎だったんだ……。豆柴じゃなかったんだ……。衝撃のまま自分の前足を見る。肉球は見えないけれど、確かになかなか大きそうではある。前世の虎成獣と同じくらい! とは言えなくても、それより一回り小さいくらいの、人間の子供に取ってみたら脅威のサイズ感だったんだ……。

 …………まあいいか。家族間で見てちっちゃくて可愛かったら問題ないな。
 お父さんから見れば今でも子供だし、お母さんにも舐められるし、ガブたちと並べば普通にきょうだいである。人間基準で巨大だろうと、家へ帰れば可愛い赤ちゃん。問題なし。

 立ち直って顔を上げると、レオンハルトが妙な顔をしていた。さっきまでとは違う。怖がっているわけでも、足が痛いわけでもなさそうだ。眉を少し下げて、何か非常に恥ずかしいものを思い出した人の顔をしている。

「どうしたの?」

「……転生者って、こんなにいるんだなと思って」

 レオンハルトは膝のあたりへ視線を落とした。怪我をしていない方の足の靴先で、雪をほんの少しだけ削る。

「今まで、俺だけだと思ってた。この世界で前世の記憶があるのも、他の人にない特別な能力があるのも。それで、俺が主人公なんだろうなって……ずっと」

 最後の方はずいぶん小さい声になった。なるほど。《万語理解》って名前まで付けて、神獣が出てきたから自分の物語が始まったと思って、夜中に抜け出して山まで来たわけか。
 そう考えると、さっきの英雄ごっこが今になって二発目を撃ち込んでいる気がする。からかうのはちょっと可哀想だった。

「仲間がいるのはいい事じゃん」

 右へ首を傾げる。レオンハルトは黙っている。今度は左へ傾げる。まだ黙っている。もう一度右へ傾げたところで、とうとうレオンハルトが顔を上げた。

「なんでそんなコテンコテンするの」

「なんとなく」

「……そっか」

 主人公じゃなくなったら困ることでもあるのかな。主人公じゃなくても牛越聡で、今はレオンハルトで、怪我をしたら痛いし、一人なら怖くて泣く。
 こっちだって菜花火花だったし、今はガウーワで、ノミとダニが怖いし、お父さんに毛繕いされれば毛並みはめちゃくちゃになるけど気持ちいい。フィロンだって昔は長い名前のお医者さんで、今は白いロープである。

 そのくらいでいい気がする。もっとも、それを口に出したらフィロンから「白いロープではないよ」と訂正されるので言わない。
 レオンハルトはまだ少し恥ずかしそうだったけれど、さっきみたいに泣いてはいなかった。フィロンはその横で、怪我をした足を見ながら何やらぶつぶつ言っている。

 しばらくして、フィロンがレオンハルトの足元から顔を上げた。さっきから足首のあたりをぐるぐる回ったり、少し離れて全体を見たりしていたけれど、どうやら観察は終わったらしい。もちろん触診なんて出来ない。蛇なので。舌はあるけど、さすがに舌で押して痛いところを探すつもりはないようで安心した。

「骨を傷めている可能性が高いね。少なくとも、ここで無理に立たせるのはやめた方がいい。ガウーワ、頼みたいものがあるんだが」

「なに?」

「この脚と同じくらいの長さで、なるべく真っ直ぐな枝を二本。それから柔らかくて切れにくい蔓があれば何本か欲しい。太すぎないものがいい」

「そういうの得意~~!」

 任せろ。山育ちを舐めてもらっては困る。最近ようやく一人で遊びに出ることを許され始めた程度の山育ちではあるけれど、それでも人間よりは山に詳しい。たぶん。少なくとも真っ直ぐな枝を探すことに関しては、足を怪我して岩の下へ座っている十歳児より圧倒的に有利だった。

 フィロンから、折れて尖っているものは駄目、腐って簡単に曲がるものも駄目、と追加で言われたので、その辺りだけ覚えて藪へ入る。こういう時の鼻と目は便利である。
 人間だったころならホームセンターへ行って「良い感じの棒はどこですか」と店員さんに聞くところだけど、今はホームセンターがない代わりに森がある。品揃えはものすごい。ただし全部セルフサービス。

 少し探すと、雪の重みで折れて落ちていた枝の中から、長さのちょうどよさそうなものが二本見つかった。一本は途中に細い枝が残っていたので前足で押さえて噛み折る。もう一本も転がして並べ、大体同じ長さになったところで口に咥えた。
 蔓は棒ほど探しやすくなかったけれど、木の根元に絡んでいたものを何本か見つけ、引っ張ってみる。ぶちっ。これは駄目。別のやつ。ぐいぐい。切れない。採用。

 全部まとめて咥えて戻ると、レオンハルトがちょっと引いた顔をした。

「……早くない?」

「そういうの得意だって言ったじゃん」

「本当に得意だったんだ……」

 褒められた。たぶん褒められたので、枝をフィロンの横へ置いて鼻を鳴らす。ふんす。

 フィロンは枝を一本ずつ見て、蔓にも身体を寄せた。手があれば実際に曲げたり引っ張ったりしたかったのだろうけれど、残念ながら白い蛇である。それでも特に文句はなかったらしく、「十分だよ」と言われた。

「レオンハルト。少し大変だが、脚を固定しておこう。このまま動かさず助けを待てるならそれでもいいが、いつ見つけてもらえるか分からないし、君は昨夜からここにいる。怪我したところを余計に動かさないためにも、添え木をしておいた方がいい」

「添え木なら分かる。……でも、誰がやるの?」

「君だね」

 レオンハルトが黙った。

 フィロンを見る。蛇。こっちを見る。虎。

 もう一度フィロンを見る。やっぱり蛇。こっちを見ても、やっぱり虎である。前足は大きいし爪もあるけれど、結び目を作ることにはまるで向いていない。

「……俺?」

「残念ながら私には手がないし、ガウーワには前足しかないからね。頑張ってくれ」

「頑張ってね」

「他人事だなあ!?」

 他人の足なので、そこはどうしても他人事になる。でも助ける気はいっぱいある。気持ちだけなら両手で支えてあげたい。両手ないけど。

 フィロンの指示で、まず外套の裾に入っていた飾り用の布を一部使うことになった。さすがに高そうな外套を破るのはためらったらしく、レオンハルトは何度か裾を見たけれど、最終的には諦めて短剣を抜いた。細長く切ったものを何本か作り、枝が直接脚へ強く当たらないよう余った布も挟む。

「脚は今の位置から無理に動かさなくていい。形を直そうともしないで、そのまま両側へ枝を置くんだ。膝の上と足首の下まで支えられる位置にして」

「う、ん……痛っ……」

「急がなくていい。痛みが急に強くなる動かし方は避けなさい。まず枝を置くだけでいいよ」

「……これで、いい?」

「いい。その位置なら大丈夫だ。次に布を通そう。強く締めすぎる必要はない。枝がずれず、脚が余計に動かない程度で十分だよ」

 フィロンの声はずっと落ち着いていた。普段、昔の人の名前ひとつから知らない話を延々と増やしていく白蛇と同じとは思えない。こういう時だけ急に頼もしい。医者だったというのは本当なんだなあ、と少し失礼な感想が浮かぶ。

 レオンハルトは半分泣きながら、自分の脚の下へ布を通した。そこが一番大変そうだった。ほんの少し持ち上げるだけでも痛むらしく、息を止め、途中で「いってえ~~……っ」と情けない声を漏らしている。

 見ている方まで足がむずむずする。骨折したことはないけれど、捻挫なら前世で一度ある。あれだって痛かった。ましてや骨となると想像だけで嫌だ。骨折を適当に放っておくと、変な形のまま骨がくっつくことがある、と昔どこかで聞いた覚えもある。体育の授業だったか、テレビだったか、病院の待合室で読んだ漫画だったかは忘れた。

「骨って変なふうにくっついたら大変なんでしょ? 処置は早い方がいいよ。がんばれ! がんばれ!」

「分かってるけど痛いんだよ~~……っ」

「もう一本通せばかなり安定する。そこまで出来ているなら大丈夫だよ。ただ、足先が冷たくなったり、痺れたりしたらすぐ緩めること。きつく縛りすぎてはいけない」

 べそべそしながら二本目を結ぶ。途中で蔓も使う予定だったけれど、フィロンが布だけで足りそうだと言ったので、結局そちらは予備になった。せっかく取ってきたのに。でも医療行為に「せっかく取ってきたから使おう」はいらない。料理で余ったネギじゃないんだから。

 最後の結び目を作るころには、レオンハルトの鼻がまた真っ赤になっていた。涙も復活している。声を上げて泣くほどではないけれど、鼻をすすりながら必死で布を引っ張り、結び終えたところで両手を雪の上へついた。

「いってえ~~……っ。もうやだ……」

「よく出来たね。少なくとも、さっきよりは動きにくくなった。あとはなるべくそのままにしていよう」

「えらいえらい。よくがんばった!」

「……子供みたいにいうなよ……」

「十歳は怪我したら泣いていい年齢だよ」

 前世で十歳なんて小学生である。校庭で転んだだけでも保健室へ行くし、骨を折ったら普通に大事件だ。中身が何歳だったのか知らないけれど、今の身体が痛いものは痛いのだから仕方ない。

 とはいえ、本人が夜中にこっそり脱走しなければ九割くらい起きなかった事件でもあるので、そこまで優しく慰める気にもなれない。

 添え木のついた足を前へ伸ばしたまま、レオンハルトは涙を袖で拭った。フィロンが横から結び目を確認し、こっちからもなんとなく覗き込む。手のない元医者と前足しかない元会社員に囲まれ、結局いちばん怪我をしている本人が自分で自分を治療している。

「がんばれ! がんばれ! あとちょっと!」

「もう終わっただろ……いってえ~~……っ」

 終わったあとまで応援されながら、レオンハルトは鼻をすすった。
 さっきまで自分をこの世界の主人公だと思っていた十歳児は今、山の中で虎と蛇に見守られながら、自分で巻いた添え木を抱えてべそをかいている。

 とりあえず今のところは、痛い足を自分で固定できただけでも十分よくやったと思う。しかも山の中で、一人で。そこは素直に褒めてあげてもいいところだろう。

 頑張った頑張った! えらいえらい! というわけで、かわいいベビトラによる褒め褒めダンスを特別に披露してあげることにした。前足を交互に出して、右へふりふり、左へふりふり。尻尾もついでに揺らしてあげる。大サービスである。

 ところが、せっかくの渾身の舞を前にしたレオンハルトは、感動するどころか、心底恨めしそうな目でこちらをじっとりと睨んできた。

「うぜ~~……」

 失礼な。こんなにかわいい虎の赤ちゃんが、わざわざ怪我人を励ますために踊ってあげているというのに。普通ならありがたさのあまり拝んでもいいところである。私は褒め褒めダンスをぴたりと止め、代わりに前足で雪を一度ぱしんと叩いた。

「自業自得のくせに生意気~~」

「喧嘩しない。二人とも大人だろう」

 少し離れたところから飛んできたフィロンの声に、私とレオンハルトはほとんど同時に振り返った。大人扱いされたことへの異議だけは、どうやら完全に一致したらしい。

「まだ十歳!」 「まだ赤ちゃん!」

「仲がいいね」

 違う。

 少なくとも私はそう言おうとしたし、たぶんレオンハルトも同じことを言おうとした。けれど、また二人揃って否定したら、それこそ仲良しの証拠として扱われそうな気がして、私は寸前で口を閉じた。

 隣を見ると、レオンハルトも何とも言えない顔で黙り込んでいる。どうやら考えたことまで同じだったらしい。いや、違う。これは仲がいいのではなく、単に目の前に同じ敵がいるだけだ。敵というのはもちろん、何でもかんでも微笑ましいものとして処理しようとするフィロンのことである。

 ……ただ、さっきまで一人で山の中を歩いていた十歳の子供が、こうして悪態をつけるくらいには元気そうなのを見ていると、まあ、少しくらいならうざがられてもいいか、とは思う。

 だから私は何も言わず、もう一度だけ右へふりふり、左へふりふりと身体を揺らしておいた。レオンハルトと違って私も大人側なのでね、受け流してあげることも可能です。

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