side:R
死んだ瞬間のことは、案外よく覚えている。痛かったからではない。痛いと思う暇がなかった。
薄暗いダンジョンの十七階層、苔の光がぼんやりと石壁を照らしている通路で、曲がり角の先から白くて丸いものが飛び出してきた。大きさはそこらの野ウサギと変わらず、耳だけが妙に長く、鼻先をひくひくさせている。可愛いな、と思った。ダンジョンの中にいる時点で可愛いだけの生き物ではないと分かっていたが、それでも最初の感想は可愛いな、だった。次に、その額の真ん中に生えていた針のような角が目に入った。あ、こいつ即死ウサギだ、と気づいた時には、目の前が白くなっていた。
盾を構え直した記憶も、剣を振った記憶もない。胸に何かが当たったような気はするが、衝撃さえほとんど感じず、俺の人生はずいぶんあっさり途切れたらしい。あとから聞けば、即死ウサギは俺の盾と胸当てをまとめて貫き、心臓をきれいに破裂させ、そのままうつ伏せに倒れた俺に潰されて相打ちになったような絵面だったらしい。笑い話としてはなかなか良い。死体にされた俺は、しばらくネタにして笑えないけれど。
次に意識が戻った時、俺はブレナンに馬乗りになられていた。訂正する。ブレナンが俺の腰のあたりに膝をつき、両手を胸へ押し当てて蘇生術を流し込んでいた。
目を開けた途端、青白い光の向こうに、普段はあまり崩れない男の顔が見えた。髪が額に張りつき、歯を食いしばり、ほとんど泣きそうな目で俺を見下ろしている。あんな顔ができるんだなと、ひどく場違いな感想を抱いた。次の瞬間、胸の奥へ熱した鉄を流し込まれたような激痛が走り、息を吸うより先に咳き込んだ。血が口から飛び散り、ブレナンの頬へ赤い点を作った。
「リック!」
肺が膨らむ。胸の中で潰れていたものが無理やり元の形へ戻され、骨の隙間を指で引っ掻き回されているように痛む。蘇生なんて初めてだったから、もう少しこう、光に包まれて穏やかに目覚めるものだと思っていた。
実際は溺死しかけたところを乱暴に水面へ引きずり上げられて目覚めるまで頬を叩かれ続けたような具合で、俺は何度も咳き込みながらブレナンの腕を掴んだ。
「だいじょぶ、大丈夫だから。ちょっと待って。今、身体の使い方を思い出してる」
「喋るな。まだ術が安定していない」
「喋れって言ったり喋るなって言ったり、忙しいなあ」
「俺は喋れとは言っていない」
「あ、そうだっけ」
口が勝手に動いていた。俺は昔から、怖い時ほど無駄に喋る。ブレナンもそれを知っているから、いつもなら仕方のないやつだという顔で黙らせるところなのに、その時は俺の手首を掴んだまま離さなかった。
親指が脈を探すように何度も皮膚を押している。俺はぼんやりとそれを見て、ああ、心配させたなと思った。申し訳ない。今度から即死ウサギを見たら、可愛いと思うより前に盾を構えよう。そんな当たり前の反省をしながら瞬きをしたところで、頭の中へ別の人生が雪崩れ込んできた。
知らない天井、狭い部屋、光る板、夜中に食べたカップ麺、会社、電車、漫画。事故でも病気でもなく、風呂場で滑って後頭部をぶつけた間抜けな最期。
記憶はひとつずつ順番に戻るのではなく、袋の底を切った豆みたいに一度に散らばった。こちらの人生と混ざり、どれが今でどれが昔なのか分からなくなって、俺はブレナンの顔を見た。
癖のない焦げ茶色の髪、薄い灰色の目、整ってはいるが華やかとはあまり言われない顔立ち。色彩が落ち着いているから、他のやつはブレナンが美男子だと言うことを気付きにくいんだ。俺はよく見てるから知ってるけど。年齢より若く見られることも老けて見られることもない、ごく普通の二十八歳。右の眉尻には小さな傷があり、長い指には攻撃魔術を使わない術士を示す小さな蔦模様の刺青がある。腰の革袋には補助術用の触媒が六種類。追放前の勇者パーティーでは、ただ立っているだけで何もしていないと言われていた。最小の動きで最大の働きをしていたのに、見る目のないやつら。
俺の頭の奥で、見覚えのある漫画の表紙が開いた。金色の装飾文字で、やたら長い題名が書かれている。『勇者パーティーを追放された俺の固有能力《伴侶強化》が、美女を娶るほど強くなる件』。
表紙中央には、ほんの少し美化されたブレナンが立っていた。実物より顎が細く、実物より目が大きく、実物の三倍くらい胸元をはだけさせている。その周りを、髪色も胸の大きさも種族もきれいにばらけた六人の美女が囲んでいた。絵師ガチャというものが本当にあるなら、あの作品は間違いなく最高等級を引いていた。俺の前世で好きだった漫画家が作画を担当していて、女の子は全員びっくりするほど可愛かった。見開きの戦闘場面にも迫力があり、ブレナンも漫画の中では、いかにも憂いを秘めた大人の男という感じで格好よく描かれていた。
内容は、まあ、うん。作画の力をもってしても普通に「なろうだなあ」としか言えなかった。追放、覚醒、ざまあ、奴隷市場で美少女購入、森でエルフを救出、敵国の姫に惚れられ、教会の聖女に迫られ、魔王の娘まで仲間になる。最後は六人全員と結婚し、伴侶が増えるたびに固有能力が強化され、世界最強になって大団円。俺は単行本を全巻買ったが、話が好きだったというより漫画家が好きだったのだと思う。特典のランダム描き下ろし目当てで同じ巻を三冊買ったこともある。ヒロインは本当に可愛かった。
その主人公が、今、血まみれの俺に覆いかぶさって必死に蘇生術を使っている。ブレナン。追放された地味な補助術士。本人も知らない固有能力《伴侶強化》を持つ男。最終的に六人の美女を娶る、筋金入りのハイパーノンケアルファ男性。俺は胸の激痛とは別の理由で息を止めた。ブレナンが顔を近づけ、俺の瞳を覗き込む。
「リック。俺が分かるか」
「分かるよ。ブレナンだろ」
「ここは」
「翡翠坑道の十七階層。俺は即死ウサギにやられて、たぶん一回死んだ。お前が蘇生した。すごいな。あとでいっぱい褒める。キスもしてあげよう」
「余計なことまで言えるなら大丈夫そうだな」
声は平静を取り戻しつつあったが、ブレナンの手はまだ震えていた。俺はその手を握り返しかけて、やめた。
前世の記憶が戻る前なら、両手で包んで頬へ押し当て、「俺を生き返らせるほど好きだった!?」と笑っていたはずだ。ブレナンは呆れながら手を引き、「そういう話ではない」と返しただろう。俺はめげずに「じゃあ、今日を第二の誕生日にして、結婚記念日も一緒にしよう」と畳みかける。そこまでが、いつもの流れだった。けれど今は、そのやり取りが急に別のものに見えた。
俺はブレナンが好きだ。初めて見た時から好みだった。背が高く、落ち着いていて、声が低く、疲れていても他人へ当たらない。戦闘中は味方と敵の位置を的確に見ていて、俺が盾を構えるより先に防御強化を重ねてくれる。飯を食う時は最後に座り、宿では扉に近い寝台を選び、俺が夜中に起きれば眠っていても気づく。
そういう男が、冒険者ギルドの隅で一人きりで座っていた。俺の幼なじみ二人が結婚を決め、パーティーを抜けた翌日のことだった。円満退団だった。俺が二人の仲を取り持った。男の方がいつまで経っても告白しないから、酒を飲ませて逃げ道を塞ぎ、女の方には「あいつ、お前が別の男と喋ってるだけで心配で死にそうな顔になるんだぞ。ヘタレだから」と教えた。結果、二人はめでたく結ばれ、故郷へ戻って宿屋を継ぐことになった。
俺は心から祝福したが、冒険者は一人では続けにくい。前衛一人と組んでくれるフリーの後衛なんて、そう簡単には見つからない。戦闘が出来る後衛は人気なので、常に足りていない状態だ。どうしようかなとギルドを見回したら、ちょうどそこに、えらく好みの男が一人で座っていた。
しかもそこらのやつに聞いてみれば、勇者パーティーを追放された後衛だという。本人にとってはケチがついたも同然だったのだろうが、俺からすれば、勇者パーティーに入れるほどの実力者が現在目の前でフリー。神様に感謝した。なんだかものすごく都合の良い展開になっている。しかも顔が好み。こんな機会は人生で二度とない。俺は椅子から立ち上がり、ブレナンの正面まで歩いていき、腰をきっちり四十五度に折った。
「結婚を前提にパーティーを組んでください。自分、前衛やってます!」
ギルド中が静まり返った。ブレナンは飲みかけの水を気管へ入れ、しばらく咳き込んだ。初対面の男から告白と勧誘を同時に受ける予定はなかったらしい。誰にだってないだろうけれど。ようやく呼吸を整えたブレナンは、ひどく困った顔で俺を見た。
「結婚はちょっと……パーティーを組むのは、こちらとしてもありがたい話だが」
「半分叶った! ありがとうございます!」
「話を聞いていたか」
「聞いてた。今はパーティーだけってことだろ。今後に期待してる」
「今後も期待しないでくれ」
「未来の可能性は誰にも否定できないだろ?」
「面倒だな、お前は」
そう言いながら、ブレナンは少しだけ笑った。俺はその笑顔を見て、もうほとんど結婚した気分になった。結婚の手前だな、婚約。それくらいの気持ちだった。
そこから一年、俺たちは二人で冒険をした。ブレナンの補助術は地味どころか、使われる側からすれば笑ってしまうほど強かった。剣が軽い。盾が硬い。足が速い。傷の治りも疲れの抜け方も明らかに違う。本人は「お前の調子がいいだけだ」と言っていたが、毎日一年中、調子がいいわけがない。俺が褒めると、ブレナンは少し居心地が悪そうに目を逸らす。勇者パーティーはどれだけ見る目がなかったんだろう。困ったような、照れたような顔が可愛くて、さらに褒めた。
依頼に成功すれば好きだと言い、失敗しても好きだと言った。飯がうまければ一緒に食えて嬉しいと言い、まずくても今度は俺が作るから結婚してくれと言った。
野営では肩を寄せ、寒ければ背中から抱きつき、宿で寝台が一つしかなければ迷わず同じところへ潜り込んだ。ブレナンはそのたびに「近い」「重い」「暑い」と文句を言ったが、本気で押し退けたことは一度もなかった。頬へ口づけようとすれば額を押さえて止められたが、髪や肩へ触れることまでは拒まれない。俺はそれを、いつかは可能性があるのだと思っていた。
ブレナンは優しいから、嫌でも強く言えないだけかもしれないと考えたこともあったが、考えたそばから都合のいい方へ転がした。
俺と一緒にいる時のブレナンは前よりよく笑うと、ギルドの受付嬢も教えてくれた。だったらいいじゃないか。心底嫌われてはいない。たくさん気持ちを伝えて、いつかは俺のことを好きになってもらえるよう、もっとたくさん頑張ればいい。
だが、それは前世を思い出す前の話だ。
俺自身は男も女も恋愛対象になり得るが、誰もがそうではない。原作のブレナンは六人の女へ順番に惹かれ、男へ心を動かす場面は一度もなかった。だからといって、現実のブレナンまで絶対にそうだとは限らない。それでも、可能性がゼロではないことを言い訳に、断られた求婚を続けるのは違う。
俺がいたせいで最初のヒロインとの出会いが遅れているだけで、ブレナンの人生は本来、俺とは別の方向へ進む。そんな男に一年間、好きだの結婚しろだの言い続けてきた。ブレナンは何度も断っていた。それを俺が勝手に冗談交じりのじゃれ合いへ変え、断られている事実を軽く扱っていた。
急に顔が熱くなった。死んだばかりなのに、恥ずかしさでもう一度死にそうだ。
いや、セクハラだろ。普通に。俺が女で、ブレナンが男でも、同じことを一年続けていたら相当きつい。逆なら尚更だ。同性を恋愛対象にできない相手へ、好きになってくれと遠回しに迫り続けていた。ブレナンが柔らかく流してくれていただけで、脈は初めからなかった。ゼロだ。見事なほどゼロ。俺は蘇生術の光が消えるのを待ってから、ブレナンの手をそっと離した。
「もう大丈夫。ありがとう」
「立てるか」
「たぶん。ちょっとだけゆっくり起きる」
いつもなら、これはチャンスと腕を首へ回し、全体重を預けて「一生面倒見て」と甘ったれて言っていた。実際、足には力が入らず、起き上がった途端に身体が傾いた。ブレナンが慌てて腰を支える。反射的に抱きつきそうになり、俺は両手を自分の胸へ引き寄せた。
「悪い。壁の方、寄らせて」
「俺につかまれ」
「いや、血がつくし」
「今さらだろ」
「それもそうか。じゃあ腕だけ」
ブレナンの前腕へ手を置き、必要以上に近づかないよう気をつけた。たったそれだけで、ブレナンは妙な顔をした。眉間へ薄く皺を寄せ、何か言いたそうに俺を見たが、結局は何も言わなかった。死んで生き返った直後なのだから、様子がおかしくても当然だと思ったのだろう。その日の探索はそこで切り上げた。即死ウサギの角だけ回収し、ブレナンが転移符を使って地上へ戻った。
ギルドの治療室で神官から検査を受け、身体に異常がないことを確認してから、いつもの宿へ向かった。部屋は一つ、寝台は二つ。俺が同室を希望したのは、節約のためでも安全のためでもない。ブレナンと一緒にいたかったからだ。本人もそれを知っていた。今さら別室を取れば、かえって気を遣わせる。
俺は何も変わっていないふりをして部屋へ入り、荷物を床へ置いた。ただし、いつもブレナンの寝台へ勝手に腰掛けていたのをやめ、自分の寝台へ座った。ブレナンが外套を脱ぎながらこちらを見る。
「本当に痛むところはないのか」
「胸が少し変な感じするけど、神官さんも蘇生直後はあるって言ってたし、大丈夫」
「頭は」
「思ったより元気。むしろ生まれ変わった気分」
「冗談にしては縁起が悪いな」
「あはは。確かに」
笑い声が、自分でも分かるくらい乾いていた。ブレナンは外套を椅子へ掛け、俺の前まで来た。額へ手を当てられそうになり、思わず少し後ろへ下がる。ほんのわずかな動きだったが、ブレナンの手は空中で止まった。
「熱を見ようとしただけだ」
「あ、ごめん。びっくりした」
「……そうか」
前世を思い出したなんて説明できるはずがない。まして、お前は俺が読んでいた漫画の主人公で、これから六人の美女と結婚する予定だから、今までの俺の振る舞いは全部迷惑だったと気づきました、などと言えば、蘇生の失敗で頭がおかしくなったと思われる。
俺はなるべく普段通りに話し、夕食へ誘い、ブレナンの好きな煮込み料理を注文した。酒は飲まなかった。死んだ日の夜に酔う気にはなれない。
向かいに座ったブレナンは、食事中も何度か俺を見た。視線に気づいて顔を上げると、何でもないように皿へ目を戻す。以前なら「見惚れてる?」と笑っただろう。今回は黙ってパンをちぎった。ブレナンがそれを待っていたのかどうかは分からない。
食事を終えて部屋へ戻り、寝台へ入る時も、俺は自分の側へきちんと潜った。いつもなら夜中に寒いと言い訳してブレナンの毛布へ入る。季節は初夏で、寒いわけがないと追い出され、「しょうがない奴だな」と困ったように笑われる。毎日飽きもせずしつこかったな。冷静に己の行動を見返すと、ギリギリ犯罪というか、ほぼ犯罪だった。よく嫌われなかったな、俺。
「おやすみ」
明かりを消すと、すぐ隣から寝返りの音がした。
「リック」
「ん?」
「眠れそうか」
「うん。疲れたから」
「何かあったら起こせ」
「ありがと。おやすみ、ブレナン」
「……おやすみ」
好きだよ、を付けなかったのは、たぶんパーティーを組んで以来初めてだった。言い終えた瞬間、胸の奥がきゅっと縮んだ。自分でやめたくせに、自分がいちばん寂しい。俺は本当にブレナンが好きだった。前世を思い出したからといって、その気持ちまで消えるわけではない。むしろ今の方がずっと好きだ。
紙の上に描かれた“主人公のブレナン”は台詞と絵でしかないが、こちらのブレナンは眠る前に窓の鍵を二度確かめ、苦い薬を飲む時だけ眉間へ皺を寄せ、朝は機嫌が悪く、甘い果実酒を飲むと少しだけ口数が増える。
一年かけて知ったものは、記憶が戻ったくらいではなくならない。なくならないからこそ、もう押しつけたくなかった。好きなのは俺の都合だ。ブレナンが俺を好きになれないことは、ブレナンの落ち度ではない。俺が諦めれば済む。今までの一年分は取り消せないが、これ以上増やさないことはできる。
そう考えれば簡単だった。簡単なはずだった。翌朝、目を覚ますとブレナンがこちらを見ていた。自分の寝台に横になったまま、枕へ頭を預け、薄暗い部屋の中で俺の顔をじっと見ている。目が合った途端に視線を逸らされた。
「おはよう」
「……ああ」
「早いな。よく眠れた?」
「普通だ」
「俺も。死んだ次の日にしては絶好調」
「その言い方はやめろ」
「ごめんって」
俺は笑いながら起き上がり、着替えを持って洗面所へ向かった。いつもなら寝起きの悪いブレナンへ覆いかぶさり、無理やり抱きしめて「うるさい、重い」と剥がされてから一日を始める。今日はしなかった。扉を閉める直前、背後で寝具が大きく軋んだ。振り返らなかった。
その後の数日、俺は意識して距離を取った。急に冷たくするつもりはない。仲間としては今まで通り大切だし、ブレナンの補助術を信頼している。
飯にも誘うし、冗談も言うし、怪我をすれば心配する。ただ、好きだと言わない。結婚を迫らない。身体へ触れるのは必要な時だけにする。肩へ顎を乗せたり、腰へ腕を回したり、髪を勝手に撫でたりしない。
やってみれば、自分が今までどれほど触っていたのかよく分かった。依頼の報酬を受け取った時、酒場で隣に座った時、通りで人とすれ違う時。俺は近くにいることを確かめるように、無意識にブレナンの袖を掴み、肘をぶつけ、背中を押していた。それを全部やめると、二人の間には人一人分ほどの空間が生まれた。まあ、適切な距離感と言えるだろう。
ブレナンは最初、何も言わなかった。死の衝撃が残っていると考えているようだった。時々こちらを窺い、いつもより丁寧に補助術をかけ、宿へ戻ると体調を聞いた。俺は明るく答えた。
「元気だよ。今なら即死ウサギとも仲直りできる」
「和解を求めていない相手に歩み寄るな。ちゃんと殺せ」
「俺たち、身体でぶつかり合った仲なのに」
「一方的に蹂躙されただけだろ」
「為す術なく即死」
くだらない軽口を言ってピースすると、ブレナンは深くため息をつく。そこまでは以前と変わらない。俺が冗談を言えばブレナンは呆れ、俺が笑えば、ブレナンもわずかに口元を緩める。ただ、そのあと俺が何も続けないと、笑みはすぐに消えた。
十日ほど経った頃、俺は三人目の仲間を探そうと提案した。二人組は動きやすいが、どちらかが倒れた時に弱い。今回、俺が死んだあともブレナンが本来専門とは少しずれている蘇生までしてくれたから助かったが、即死ウサギがもう一羽いたら終わっていた。
原作のブレナンは、追放された翌朝には町を出て、聖都へ向かう途中で最初のヒロインと出会っていた。つまり、本来なら一年前に済んでいるはずの出会いだ。ところが現実のブレナンは、ギルドで俺に捕まり、そのまま聖都とは反対方向を一年も旅している。俺がブレナンを横から掻っ攫ったせいで、原作がかなり狂っている。
考えてみれば、俺が前世を思い出すより前から、筋書きは外れていた。原作では名前すら出なかった俺がブレナンに声をかけた時点で、ここはもう、漫画とまったく同じ世界ではなかったのかもしれない。
世界が必ず原作通りに動くとは思わない。それでも、ブレナンが本来得るはずだった幸せを、俺が邪魔している可能性はある。いずれヒロインの誰かと出会えば、ブレナンはそちらへ惹かれるだろう。結婚すればパーティーを抜けるかもしれない。その時、俺一人では冒険者を続けられない。後衛をもう一人入れておけば、ブレナンが抜けても困らないし、三人なら探索の安全性も上がる。合理的な話だった。俺はギルドの依頼掲示板を眺めながら、できるだけ軽い調子で切り出した。
「なあ、そろそろもう一人くらい仲間を増やさない?」
「……なぜだ」
「この前みたいなことがあると、二人じゃ危ないだろ。前衛は俺一人で足りるから、治癒ができる後衛がいいかな。ブレナンに補助と蘇生を全部任せるのは負担が大きいし」
隣にいたブレナンは、しばらく何も言わなかった。俺は掲示板から目を離し、横を見る。ブレナンは無表情だった。元々、表情の大きい男ではない。ただ、顔色が少し悪いように見えた。
「俺では足りないのか」
「そういう意味じゃないって。ブレナンがいるから今までやってこられたんだし。ただ、何かあった時のためにさ」
「何かとは」
「俺がまた倒れるとか、お前が抜けるとか」
「俺が、抜ける?」
妙に低い声だった。俺は言い方を間違えたらしい。追放されたばかりの頃のことを思えば、仲間から抜ける前提で話されるのは気分が悪いだろう。慌てて手を振る。
「今すぐって話じゃないよ。将来のこと。ブレナンにも都合とかあるだろ。ずっと俺と二人でやるって決まってるわけじゃないし」
「……そうだな」
「だから、今のうちに気の合いそうなやつを探そうかなって。俺が死んだ時、お前一人で全部やらせただろ。あれも悪かったし」
「死んだお前が気にすることではない」
「生き返ったから気にしてるんだよ」
冗談のつもりだったが、ブレナンは笑わなかった。掲示板の前を離れ、そのままギルドの出口へ向かってしまう。俺は慌てて追いかけた。
「怒った?」
「怒っていない」
「怒ってる人ってだいたいそう言うんだよなあ」
「本当に怒っていない。少し考えたいだけだ」
「分かった。勝手に決めないから安心して。俺はいつだってブレナン優先だからさ」
無意識に伸ばしかけた手を引っ込める。ブレナンはそれを見ていた。俺は誤魔化すように腰の剣を軽く触り、先に扉を開けた。
それから数日、ギルドで仲間募集の情報を見るようになった。いきなり加入させるつもりはない。性格や戦い方が合うか確かめる必要がある。受付嬢に相談すると、何人か候補を挙げてくれた。その中に、赤毛の若い女魔術師がいた。セシリア。漫画の二人目のヒロインと同じ名前で、外見も少し似ていた。
原作では没落貴族の娘で、火炎魔術の才能を持ちながら制御できず、ブレナンの補助を受けて覚醒する。まさか本当に本人かと思ったが、話を聞けば出身地も年齢も違った。こちらのセシリアは鍛冶屋の三女で、得意なのは火炎ではなく治癒魔術だった。単なる偶然らしい。
それでも、ブレナンと年齢が近く、きれいな女性だった。性格も穏やかで、受け答えがしっかりしている。俺は少しだけ安心した。原作のヒロインでなくても、こういう人と仲良くなれば、ブレナンは幸せになれるかもしれない。
元々の目的とはズレてしまったが、なんとなくお見合いおじさんのような気持ちになった。ブレナンには、こういう人が似合うよ。俺みたいなのじゃなくて。ちゃんと“主人公”として輝くためには、やっぱり俺じゃ駄目なんだよなあと、何度目になるか分からない考えが頭へ浮かんだ。
俺はセシリアと試験的に簡単な依頼へ行く約束をし、宿へ戻ってブレナンへ報告した。ブレナンは窓辺の椅子に座り、補助術の術式を書き直していた。
「候補の人、見つかったよ。セシリアっていう治癒術士。今度、三人で薬草採取に行ってみないか」
「女か」
「うん。二十六歳。経験もあるし、前のパーティーは解散しただけで揉めたわけじゃないって」
「そうか」
「会ってみないと分からないけど、話しやすい人だった。ブレナンとも合うんじゃないかな」
羽根ペンの先が止まり、紙の上へ墨が丸く滲んだ。ブレナンはそれを見下ろし、ゆっくりペンを置いた。
「俺と合う必要があるのか」
「そりゃあるだろ。仲間になるかもしれないんだから」
「お前が気に入ったなら、それでいいんじゃないか」
「俺だけのパーティーじゃないんだから、お前の意見もいるよ」
「二人のパーティーでは、なくなるんだな」
「今はまだ俺とブレナンの二人だろ」
当たり前のことを答えたつもりだった。ブレナンは椅子から立ち上がり、俺の横を通って部屋を出ていった。新しい仲間を入れたくないなら、そう言ってくれればいいのに、はっきり反対することもない。追放の経験があるせいで、自分が入れ替えられると不安になっている可能性もある。俺はそこまで考え、胸が痛んだ。
言い方が悪かった。代わりを探しているわけではない。少なくとも、今すぐは。ブレナンがヒロインと結ばれて旅立つまでは一緒にいるつもりだった。ただ、それを説明するには未来の話をしなければならない。
その晩、酒場から戻ってきたブレナンへ謝った。
「新しい仲間の話、嫌だったならごめん。お前を追い出したいわけじゃないから」
「分かっている」
「ほんとに?」
「ああ。お前はそういうことをしない」
「ならいいけど。俺、考えなしに喋るからさ。傷つけてたら言って。俺ってちゃんと反省して糧にできるタイプだからさ」
「……傷ついてはいない」
「そっか」
ブレナンは俺を見た。何かを待つような目だった。俺は続きの言葉を探したが、思いつかなかった。以前ならここで「俺の愛を伝えきれなくてゴメン。傷ついたなら抱きしめて治す」と言い、返事を待たずに飛びついた。それをしないと会話が不自然に途切れる。
俺たちの一年間は、俺の軽薄な好意を中心に形を作っていたのだと今さら気づいた。
好きだと言い、流されてくれて、また言う。その繰り返しで間を埋めていた。俺がやめた途端、二人の間には使い方の分からない沈黙が残った。
「じゃあ、風呂入ってくる」
「ああ」
着替えを持って部屋を出た。廊下を歩きながら、これでいいと自分へ言い聞かせた。気まずさはそのうち消える。仲間としての距離に慣れればいい。俺が勝手に始めたことを、俺が勝手に終わらせただけだ。ブレナンは何も失っていない。むしろ迷惑な求婚から解放された。落ち着けば、せいせいするはずだった。
そう思っていた俺は、ブレナンがその夜、ほとんど眠れずにいたことを知らなかった。俺が死んだ日から、ブレナンの中では、まるで別の物語が始まっていた。

※コメントは最大3000文字、5回まで送信できます