生きるべきか、死ぬべきか。
たぶんそんな感じの二択だったと思う。正確な文言はもう忘れた。シェイクスピアだっけ、ゲーテだっけ。海外の偉い作家の何かだった気がする。なんだっけ、忘れた。この言葉を思い出した時も、人生の岐路、みたいな大げさな言い方をするほどのものでもなくて、もっと雑で、もっと投げやりで、自販機のジュースを選んでる時になんとなく浮かんだみたいなもんだった。ジュースは値上がりしすぎてて買えなかったので、公園の水道で水を飲んで終わったけど。
高卒の俺は、卒業までに仕事先が決まらなかった。
というより、決まるわけがなかった。進路指導の先生は「就職希望ね」とチェックを入れたあと、求人票の束を机の上に置いてくれたけど、俺はそれをまともに見なかった。見なかったというか、見られなかった。文字が多すぎて、どれもこれも俺には関係なさそうに見えた。
募集要項のどこにも俺が入れそうなもんはなかった。散々暴れ散らかしていたヤンキー共はあっさりと仕事を得ていたから、やっぱりああいう人種の方が長生きするんだろうな。
大学に行く金は出してもらえなかった。
奨学金は借金だからダメだ、というのが親の方針だ。親の方針、という便利な言葉でまとめられたが、実態はただの拒否だったと思う。理由を聞いても、返ってくるのは「借金する人生なんてろくなもんじゃない」「お前には向いてない」「働け」の三点セット。会話というか、奇声に聞こえる。奇声の無限ループ。じゃあ働き先をくれ、と言いたかったが、言えるわけもなく。きっと俺の声は彼らには奇声に聞こえているんだろう。
後に残る選択肢は、引きこもりニートだけだった。
普通の家庭なら、そこに一時避難という名目がつくのかもしれない。でも、前にも書いた通り、うちの親はちょっと気が狂っているので、それはできない。
家にいると怒鳴られるし、外に出ると「どこ行くんだ」と言われる。存在しているだけで罰金が発生するシステムみたいな家だった。
生きるべきか、死ぬべきか。
その矢印が、ぐーっと、目に見えるほど「死ぬべき」の方へ傾いていったのは、たしか卒業式が終わってから少し経った頃だったと思う。証書は机の引き出しに突っ込んだまま、一度も開いていない。どうせ紙だし。
高校の時の長期休みで、家に痛くないという理由だけで稼いだ60万のうち、55万が親に徴収されたのもこの頃だ。あるのがバレてしまったのが悪い。三年間隠していたのに。これで俺の一人暮らしの夢も潰えた。
そんな時に、駄菓子屋のばあちゃんから紹介されたのが今の会社だった。
紹介、と言っても大げさなものじゃない。いつものように水を買えなくて、店先のベンチに座ってぼーっとしていたら、「あんた、卒業したんだろ」と声をかけられた。それだけだ。
履歴書を書けとも言われなかったし、将来の夢を聞かれたわけでもない。ただ、「働く気あるなら、話だけ聞いてきな」と、メモ用紙に書かれた連絡先を渡された。
学生時代、俺は無限にパシらされていた。カバンを取りに行かされ、タバコを買いに行かされ、意味のない用事を押し付けられて走らされる。そういう役回りだ。駄菓子屋であれ買ってこいこれ買ってこいというのもあった。全て俺の財布から買ったけど、盗ってこいという命令だけはなんか嫌で誤魔化していた。
ばあちゃんとの縁で仕事が手に入ったなら、それだけで御の字だ。人生ってそういうもんだろ。能力じゃなくて、たまたま誰と話したかで決まる。
紹介先は、古めの家業の手伝いだと思っていた。帳簿付けとか、倉庫整理とか、せいぜい農家の事務とか。その延長線上に、自分が入れる場所があるはずだった。
なのに今、俺は上場企業のIT会社で働いている。
何度思い返しても、ここだけ現実感が薄い。会社のビルはでかいし、入口は自動ドアだし、社員証はICカードだし、トイレは綺麗だ。床はツルツルしたタイルで端っこが光ってる。俺の人生にそんな床、存在しなかった。
最初にやらされた仕事は、本当に簡単なものだった。“文字が読めて、パソコンが打てればいい”。それだけ。ファイル名を整えるとか、データをコピーするとか、メールを転送するとか。中学生の職業体験みたいな内容だ。正直、これなら俺でもできた。
さすがにこれだけじゃダメだろと勉強会に参加して、少しずつ用語を覚えて、分からないなりにメモを取って、言われた通りに手を動かしているうちに、いつの間にか「仕事」になっていた。自分で言うのもなんだけど、なんか、まるで普通の人みたいに働いている。
面接の時のことは、今でもよく覚えている。
あまりにも想像の外にある規模の会社だったから、どうせ落ちると思っていた。緊張する気力すらなくて、「志望動機」を聞かれた時、適当に取り繕うのをやめた。
「早く家から出たいです」
本心だった。就職したいとか、成長したいとか、社会に貢献したいとか、そんな綺麗な言葉は一個も浮かばなかった。ただ、あの家に戻らずに済むなら何でもよかった。
普通なら、そこで空気が凍るはずだ。面接官が眉をひそめて、困ったように笑って、「それは志望動機とは言えないね」と言われて終わる。そう思っていた。
でも、返ってきたのは、
「あー、そういう人もいるよね。じゃあ寮、用意しとくか」
だった。
いやいや。そんなまさか。
俺が言葉を失っていると、さらに追い打ちが来た。
「家庭環境が悪いと、あらゆるデバフかかるからなあ……寮が空くまで、ホテル生活にしようか」
そう言って、ホテルの利用券を渡されて、今日はもう帰っていいよ、と返された。面接官は若い男だった気がする。胸の前に小さな炎がちらちらと灯っていて、あれって熱くないのかなとどうでもいいことを考えていた。あとになって、あの人が社長だと知ったけど。
……いやいや。そんなまさか。ホテルのベッドで、自分に起こったことを理解できずに大の字になった。夢にしては長すぎた。
しかし、だ。まさかまさかで、就職が決定した。まさか。
食事をしようとホテルを出て、やっぱり頭が追いつかなくて、駅のベンチに座り込んだ。これは夢かもしれないと思った。もしくは、なにかの詐欺。あとから多額の請求が来るやつ。でも、請求先は実家だし、それはそれでいいか、と考えてしまったあたり、だいぶどうかしていた。
さすがに出来すぎていると思って、「駄菓子屋のばあちゃん、実は社長の祖母なんじゃないか」と疑った。でも、そういう訳でもないらしい。社長とは知り合いだが、血縁ではない。
後から聞いた話だと、社長が欲しかった人材は“悪さしそうにない普通の人”だったらしい。
よかった。駄菓子屋で万引きとかしないで。そこそこ善良で、本当によかった。
そうして俺は、死ぬべきか、生きるべきか、の二択から、よく分からないまま生きる、という第三の選択肢に滑り込んだ。
仕事帰りに猫を拾ったのは、偶然だ。
特別な理由も、運命的な演出もない。雨上がりの路地で、段ボールが少し濡れていて、その中で小さく鳴いていた。それだけだ。
三毛猫のメスで、痩せていて、目だけがやたらと強かった。抱き上げたら暴れるかと思ったのに、案外おとなしくて、俺の胸元に額を押しつけてきた。
この猫、今日の晩メシどうするんだろう。考えたのは、それだけ。
寮で猫を飼えるのかという不安は、拍子抜けするほどあっさり解決した。
「外飼いしなければいいよ」
それで終わりだった。俺が一応確認したことで、なぜか正式な許可が出て、掲示板に貼り出され、説明会まで開かれた。結果、犬や猫を飼い始める人が増えた。世界って、こういうふうに回ることもあるらしい。
良い子にしていられれば、オフィスに連れてきてもいい日を作ろう、なんて話も同僚たちはしていた。うちのお猫様は猫も犬も嫌いだから無理だろうけど。想像しただけで、シャーって言ってる顔が浮かぶ。
子供の頃、暑っ苦しいって振り払われていた俺の手のひらを、この猫は気に入った。
役に立たない個性は、手のひらをぼんやりあったかくするだけのものだ。そんなもんでも、喉を鳴らしながら、何度でも撫でろと催促してくる。意味なんてあったのか、この個性も。そう思えたのは、たぶん初めてだ。
休日はパンを焼く。趣味、というものがわかったのはこの頃だった。俺の個性はパン作りにちょうどいい。
毎回どう考えても一人分じゃない量が出来上がって、最初は全部自分で食べていたけど、同僚に見つかった。
「そこはおすそ分けしてくれる流れじゃない?」
「食べたい食べたい食べたい」
喚くように言われて、仕方なく持っていったら、ちゃんと「うまい」と言って食べてくれた。社交辞令じゃないやつ。そういうのは、なんとなく分かる。
喋るのは今でも苦手だ。複数人での会話は、相変わらずタイミングが掴めない。
でも、分からないことを聞いたら、ちゃんと教えてもらえる。失敗しても、怒鳴られない。存在しているだけで罰金が発生しない。
それだけで、ずいぶん楽だった。
夜、猫が腹の上で丸くなって、パンの発酵を待ちながらソファに沈む。
窓の外は静かで、明日の仕事の準備も、もう終わっている。
ふと、思う。
ああ、今、俺、生きてるな。
派手な幸福じゃない。成功でもない。
でも、ちゃんと朝が来て、働いて、帰ってきて、猫にメシをやる。それを繰り返している自分が、ここにいる。
生きるべきか、死ぬべきか。
あの矢印は、今は、ぐっと、生きるべきの方に寄っている。
明日の猫のご飯代を、俺が稼がないといけないからだ。
明日も生きていなきゃいけない理由が、ちゃんと出来たから。
