忘れられない記憶がある。両親に手を引かれて歩いていた、あの春の日のことだ。
藤まつりの季節には町全体が薄紫の呼気をまとい、風にふるえる花房が天から垂れる光の糸のように揺れ、通りゆく人々はその下で自然と足を遅らせて顔をほころばせ、両親も例外ではなく、手をつないだまま綻ぶように互いを見つめ「きれいだねえ」と微笑み合い、きっと世界の美しさを小さな子に見せてやりたいという純粋な願いだけを胸に抱いていたのだろうが、その“善意”はいつものように柔らかく温かく、けれど確かに僕の皮膚の内側にゆっくりと刺さっていった。
自分はただその隣で見上げていた。美しいと感じるべき景色のはずなのに胸の奥がざわつき、花の影は昼間だというのに妙に濃く、藤房の重みで枝がしなり、甘さの強い香りが喉へと深く流れ込み、息が詰まりそうで、どこを見ても祝祭の色をしているのに自分だけが異物のように取り残されていた。
ふと視界の端に“野生の藤”が映った。手入れされた棚に寄りかかるのではなく、山の斜面の片隅で誰にも世話されず勝手に伸び、勝手に絡み、勝手に生きようとしている、乱暴な紫の塊。
───────そこだけが、異様だった。
藤は一本の枯れ木に巻きつき、灰を思わせる黒ずんだ幹にひび割れの走った細い軸を支えにし、今にも折れそうなその木を締めあげ絞りあげ、しがみつきながら天へと伸びていた。陽光を浴びて紫色の花はきらきらと輝き、しかし蔓の合間で枯れ木は影に沈み、黙りこくり、まるで声を奪われた死骸のように立ち尽くしていた。
その瞬間、胸の奥のどこかで、ぬるりと冷たいものが、静かに目を覚ました。
美しい、美しいと人々の声が周囲に満ちる。藤まつりの一角でみんなが陽光を浴びて笑っている。その中心で、凄惨そのものの光景が、ただ美しく完成していた。
藤は、あの木を殺した。けれどその死骸に絡みつくことで、いっそう華やかに咲き誇っている。
どうして、誰もそれを恐れないんだろう。
頭上から、両親の明るく穏やかな声が降ってきた。
「見てごらん。自然の力ってすごいね」 「ほら、あの紫、きれいでしょう」
優しくて柔らかくて、愛情に満ちた声音。自分が“正しく”育つようにと願って差し出される善意。誰よりも自分を大切にしていると信じて疑わない瞳。
それがどうしようもなく恐ろしかった。
だって、気づいてしまったのだ。あの枯れ木は、僕だ、と。
最初から枯れていたはずはない。どこかの段階で藤に巻きつかれ、動けなくなり、締めつけられ、息を奪われ、支えにされ、利用されながら朽ち、とうとう形ばかりの細い木になってしまったのだろう。けれど藤は咲き誇る。光を浴び、風に揺れ、その美しさが増すほどに、木には影が落ちてさらに暗く沈んでいく。
───────あれは自分だ、と。
───────絡みつかれる木だ、と。
善良な笑顔に巻きつかれ、正しさという名の藤に締めつけられ、「良い子」でいられるように枝を折られ、「美しい家族」であるために立ち続けさせられ、そのすべてが“善意”だからこそ抵抗できず、逃げることもできなかった。
紫の花は揺れ、風が吹くたび枯れ木は軋み、その音が胸の内側にも響いた。
ぎゅっと握られた手が痛かった。見下ろしてくる両親の笑顔を見上げることができず、藤の花に心を奪われたふりをしながら、実際には絞殺された死の残骸を凝視し続けていた。
いつか自分も、あの木のようになる。
いや、もうすでになりかけているのかもしれない。
夕陽の中で藤の色は深まり、両親は笑い、世界中が「美しいはずだ」と声をそろえているのに、自分の胸に広がっていくものはただ一つ、名のつかない恐怖だけだった。
紫の影が長く伸びて足もとを撫で、その感触がまるで藤の手のように思えて、思わず息を飲んだ。
柔らかい香りが風に乗り、ひっそりと“予感”が胸の底に根を下ろした……絡みつかれて枯れていくという、甘く静かで、美しい死の予感が。
中学三年の春、両親は掌に乗るほどの小さなあかりをそっと差し出してきた。
「これは“あかり”だよ」と母が言い、「正しいものなんだ」と父が続けた。
二人の声音はいつものように優しかった。善意だけでできている人の声だった。これも幸運を呼ぶ置物とか厄除けの石の延長なのだろうと受け取って部屋に置いたが、不思議なことに“あかり”が家に来たその日から、家の空気が少しだけ軽くなり、息を吸うたび胸のつかえがほんのわずか緩むようになった。
たとえば、勉強。
間違ったノートの取り方はだめ。
字の癖は直さなきゃだめ。
問題集は決められた順番通り、ページも絶対に飛ばしてはいけない。
たとえば、友達づきあい。
選ぶ相手を間違えてはいけない。
不真面目な子に近づいてはいけない。
賑やかすぎる場所もだめ。
手をつなぐのは“正しい相手”とだけ。
たとえば、食べ物。
夜のお菓子はだめ。
味の濃いものは心を乱すからだめ。
脂の多い肉もだめ。
外食は祈りの届かない食べ物だから極力避ける。
たとえば、服。
派手な色は謙遜に欠けるからだめ。
ロゴの多い服は欲の象徴だからだめ。
袖が短すぎても長すぎてもだめ。
正しさを忘れない格好をしなくてはいけない。
たとえば、祈り。
指先の角度を間違えてはいけない。
声を出しすぎてもいけない。
心を込めすぎてもいけない。
“正しい形”で祈らなければならない。
家には数えきれないほどの「してはいけない」が積もり、それらは否定とは呼ばれず、全部が“正しさ”という名札を下げていた。
“あかり”が家に来てしばらく経った頃、夕食の湯気の向こうで母がふとつぶやいた。
「ねえ、最近、ちょっと厳しくしすぎてたかもしれないね」
怒っているわけでも反省して泣いているわけでもなく、ただ他愛ないおしゃべりの途中にぽつりと落ちた言葉で、その声音は湯気よりもやわらかく、父も箸を止めて「うん……まあ、その、息子が息苦しいのは良くないからね」と珍しく目を伏せていた。
“あかり”のせいなのだ。
この光が家に満ちてから、両親はほんの少しだけ変わった。
その変化はどう見ても善い方向で、家全体がやっと呼吸を覚えたみたいに、固く閉じていた胸郭がふっと息を吐き、新しい空気が入っていくような変化だった。
自室に戻ると机の上では小さく灯る《あかり》が部屋の空気を微かに揺らし、そのすぐ横で自分の“ひかり”──個性で滲み出る濁りを抱いた光が震えていた。
痛みや苦しさをどこかに押しつけるしかできず、ダメージを処理しきれず滞留し、受け止めきれなくなったぬいぐるみがまた今日も音を立てずに壊れ、綿が吹き出し、縫い目が裂けて形を失っていく。
かつて家は藤の蔦のように僕を締めつけ、巻きつき、枝を折り、生きたまま殺されていくような場所だった。だが今は違う。息ができるようになった。
灯りの下で、壊れたぬいぐるみの影と、綿に宿る“ひかり”が並んで揺れている。
その光の違いが、ますます胸に刺さった。
どうして、自分の光はこんなにも濁っているんだろう。
もし同じ色だったら、両親をもっと喜ばせられたのだろうか。
もっと“正しい子”になれたのだろうか。
外から聞こえる両親の笑い声は柔らかく、穏やかで、昨日より今日、今日より明日と、日ごとに人間らしい温度へ近づいていくように感じた。
それでも……自分の“ひかり”だけは、今日もかすかに軋んだままだった。世界は美しい、美しいはずだ、そう教わってきた。なのになんで、ずっと濁ってるんだ。
……どうして僕は正しくなれないんだろう、握りつぶした“あかり”は、火傷の痛みすら与えてくれず消えた。胸に大穴が空いたような、苦しくて悲しい気持ちが身体を内側から食い尽くす。部屋中の人形が、ぬいぐるみが、鈍く光る。
僕だって“あかり”に救われていたんだ。だから、これが無くなったら、こうなる。
きっと両親は僕のドジを、昔のように強く叱りつけたりはしないだろう。火傷の有無を気にして、自らの“あかり”を分け与えてくれるだろう。
ぐしゃぐしゃと、人形たちの悲鳴が聞こえる。ただしくなりたい。善人になりたい。枯れ木にはなりたくない。与える側になりたい。“あかり”が欲しい、“あかり”になりたい。
記憶が塗り替えられていく。あの藤の花は、“あかり”と同じ色をしていた。
そんな気が、した。
