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ドアが閉まったあと、病室に残ったのは、点滴が落ちる規則正しい音だけだった。
ポタ、ポタ、と一定の間隔で鳴るそれが、やけに大きく聞こえる。さっきまで確かにここにあった声が消えた分だけ、音が増えたみたいだった。撫でたはずの手のひらが、まだ温かい気がして、無意識に指を握る。髪の感触が残っている。
あの子は、あんなふうに触れられるのを、どれくらい我慢していたのだろう。
ベッドには誰かが腰をかけていた痕跡だけが残っていて、部屋が急に広くなった。さっきまでの声が、静かな病室に溶け込んでいる。
甘える、なんて言葉を、あの子の口から聞く日が来るなんて思わなかった。胸の奥が、温かくなるのと同時に、きゅっと痛む。物分りの良い、優しい子。あの子にどれだけ負担をかけていたのか、反省と後悔がぐるぐると胸の奥で丸くなる。
その空気を切るように、ドアが軽く開いた。
「はーい、お薬ですよー」
明るい声と一緒に、看護師が入ってくる。先日紹介された、新人の子だ。先輩看護師の付き添いが終わり、独り立ちしたばかりで気合いが入っているのだろう。いつもより明るい口調でワゴンを押しながら、慣れた動きでこちらを見た。
「さっきいらっしゃったの、陽火くんですね」
「ええ……」
「心配ですよね」
雑談みたいな調子だった。だから最初は、深く考えずに頷いた。
「吐血して運ばれて、二日も意識が戻らなかったんですから」
言葉の意味が、すぐに繋がらない。
「……え」
「ストレス性の出血で、かなり危険な状態だったんですよ。身体もメンタルも限界だったみたいで。今は落ち着いてますけど、無理させたらまた─────」
吐血。
危険。
二日間、意識がなかった。
ついさっきまで、笑って、甘えて、また来ると言って出ていった背中が、頭の中でひどく遠くなる。
「……それ、どういう……」
声が、途中で震えて、続きを形にできなかった。意味が頭の中で形にならない。
「……あっ、すみません! ご家族にはもうお話が通っているものだと……」
開けたままのドアから素早く入ってきた医者の、個性由来の吹き出しが『おい』『待て』の言葉を大きく揺らしている。
入れ替わりにやってきたベテラン看護師の言葉も、病室から引きずり出された新人看護師の声も、ずっと、遠くにあって聞こえなかった。
