■■市は十四日、現在の白楡ヶ丘地区の町名を、来年四月から旧称の「猋田桟(ひょうでんたな)」へ変更すると発表した。市議会で同日、町区域および町名変更に関する議案が可決された。高度経済成長期の宅地造成に伴って姿を消した地名が、半世紀以上を経て正式な住所として復活することになる。市によると、旧地名への変更を求める声は数年前から地域住民の間で上がっていたが、本格的な動きにつながったのは、白楡ヶ丘神社の再整備に伴って進められた地域史料の調査だったという。古文書や土地台帳、近隣の旧家に残されていた日記などから、現在の白楡ヶ丘一帯が古くは「猋田」「猋田桟」「猋田棚」などと記され、少なくとも江戸時代以前から「ひょうでんたな」に近い呼称で呼ばれていたことが確認された。「白楡ヶ丘」という名称が定着したのは昭和後期の大規模宅地開発以降で、不動産販売の際に新興住宅地としての印象を高める目的から採用された名称だったとみられている。市は昨年から住民説明会と意向調査を重ね、最終調査では対象世帯の82・7%が旧地名への変更に賛成した。珍しい漢字を使用することへの懸念もあったが、郵便、登記、行政システムなどで使用可能であることを確認し、住所表記には当面「猋田桟(ひょうでんたな)」の読みを併記する。住民票や各種公的証明の住所変更については市が順次案内する方針だ。
町名復活の動きと並行して進んでいるのが、長く途絶えていた地域信仰の調査である。白楡ヶ丘神社では老朽化した社殿の建て替えが昨年完了し、常駐する神職が置かれた。再建工事の際、社務所や氏子宅に分散していた古文書の整理が始まり、そこから現在ではほとんど知られていなかった土地神についての記録が相次いで見つかった。古い祭礼帳には「跋罸」「魃々」「ばつばつ」など複数の表記が残り、読みについても確定していないものの、村人から親しみを込めて「ばつばつさま」と呼ばれていた神格が存在したと考えられている。記録によれば、この神は猋田桟周辺に暮らす人々を外から来る災いから守り、盗人や乱暴者、村へ害をなす者を遠ざける存在として信仰されていた。祭礼の日には村人総出で食物や酒を供え、子供も参加して舞ったという記述が複数残っている。神社の新しい宮司を務める三枝伊織さん(32)は「現在の感覚から見ると非常に素朴な民間信仰ですが、暮らしている場所を皆で守りたいという願いがそのまま形になったのでしょう。特定の家だけで守っていた神ではなく、村全体が共有していた存在だったことが史料から見えてきました」と話す。
調査には神社関係者だけでなく、地域の若い住民も参加している。二十代から四十代を中心とする有志約30人が「猋田桟郷土資料会」を立ち上げ、古写真のデジタル化や古文書の撮影、地域の高齢者への聞き取りを進めてきた。仕事や子育ての合間を縫って集まった資料はすでに数千点に及び、今年の秋祭りではその一部を神社境内で展示する予定という。近年、同地区では子育て世帯の転入が相次ぎ、一時は休止状態にあった町内会行事も徐々に復活している。長く途絶えていた祭礼も昨年から再開され、神社の再建、郷土資料の整理、旧町名復活を求める動きがほぼ同時期に進んだ。市文化振興課は「行政主導で旧地名を復活させたのではなく、新しく移り住んだ人たちを含めた地域側から、自分たちの住んでいる土地の歴史を知りたいという声が強くなったことが大きい」と説明する。
資料整理には、民間信仰史を専門とする歴史学者の鹿倉惟臣氏(68)も参加している。鹿倉氏は猋田桟の旧家に生まれ、高校卒業まで現在の白楡ヶ丘地区で暮らした。国内各地の村落祭祀や在地信仰について長年研究してきたものの、自身の故郷に独自の地域神信仰が残されていたことは今回の調査まで知らなかったという。「まさに灯台下暗しとはこのことです。全国の山村を歩いて、忘れられた神や祭りを調べてきた人間が、自分の育った土地にこれほど面白い信仰が眠っていたことを知らなかった。研究者としては少々恥ずかしい話ですが、それ以上に嬉しい驚きでした」と笑う。鹿倉氏によれば、「猋」の字は犬が群れ走る様子を表す古い漢字であることから、地名の成り立ちと土地神信仰の関係を指摘する声もある。ただし現時点で両者を直接結びつける史料は見つかっておらず、「面白い一致ではあるが、ここは慎重に調べる必要がある」としている。一方、明治初期に記された村誌には「山のものを敬いて村境を守らしむ」と読める一節があり、さらに古い信仰が後世の土地神伝承へ取り込まれた可能性もあるという。
地域で特に関心を集めているのが、かつての祭礼の姿だ。残された記録には、祭りの日になると子供たちが境内を走り回り、落ち葉や花を蹴り上げながら輪になって踊ったとの記述がある。振り付けや楽曲は伝わっておらず、現在復活した祭りでは一般的な盆踊りや子供向けの催しが行われているが、資料会では今後、周辺地域に残る民謡との比較も進める予定という。また、古い家々から見つかった祭礼帳には「外より悪しき者入り来たらざるよう」「子ら安く遊べるよう」「家々息災なるよう」といった願文が繰り返し記されていた。三枝宮司は「何百年経っても、親が子供の安全を願う気持ちは変わりません。昔の祭りをそのまま再現するのではなく、今ここに暮らす人たちが土地を大切に思える祭りへ育てていきたい」と話している。
町名変更については、住所変更の手間などを理由に慎重な意見もあった。「読めない」「書くのが難しい」といった声も説明会では少なくなかったという。それでも最終的に高い賛成率となった背景には、地域史の調査を通じて「白楡ヶ丘になる以前からここで暮らしてきた人々とのつながりを残したい」という意識が広がったことがある。新住民の一人は「引っ越してきたときは、きれいな住宅街だなというくらいの印象でした。しかし何百年も前からここで子供を育て、祭りをしてきた人たちがいた。今の私たちと変わりないなと思ったら、親しみがうまれました。難しい名前ですけど、覚えてしまうとむしろ愛着があります。それに、犬が三匹で猋と読むのはなんだか可愛いですしね」と語る。地元小学校では来年度から地域学習の一環として猋田桟の歴史を取り上げる予定で、神社や郷土資料会と連携した授業も検討されている。
来年四月一日の町名変更後、「白楡ヶ丘」の名称は正式な住所から姿を消す。一方で、旧白楡ヶ丘自治会は名称を「猋田桟自治会」へ改め、秋祭りも「猋田桟秋まつり」として継続する方針を決めた。半世紀前、宅地造成とともに新しい名前を与えられた町が、住民の世代交代を経てさらに古い名前へ戻っていく。「昔へ戻るというより、昔からあったものを今の人間が拾い直す感じですね」と鹿倉氏は話す。「信仰も地名も、忘れられればなくなります。ただ、誰かが思い出して名前を呼べば、また地域の中へ戻ってくる。猋田桟という地名も、ここから新しい歴史を重ねていくのでしょう」
新しくなった神社の境内ではこの日も、学校帰りの子供たちが遊んでいた。大人たちが古文書を広げて話し込む横を、数人の子供が笑いながら走り抜ける。何が楽しいのか、落ち葉を踏み散らしながら、その場で何度もくるくると回っていた。

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