にんげんを助けた私は、三匹のきょうだいを引き連れて、えっちらおっちら家へ帰っていた。
引き連れて、という言い方には若干の語弊がある。実際には私が先頭を歩いている時間より、横から体当たりされて雪へ転がされている時間の方が長かった。
後ろを確認しようと振り返れば一匹が私の尻尾へ飛びつき、それを見たもう一匹がそいつへ飛びつき、最後の一匹まで混ざって、気づけば四匹まとめて白い虎団子になっている。ようやくほどけたと思えば、今度は誰かが木の根へ前脚を引っかけて転び、後ろを歩いていた全員がそこへ突っ込んだ。
だから前を見なさいってば、と何度言っても通じない。いつもはニュアンスでなんとかなるので、今は普通に無視されてる。まったく、これだからベイビーたちときたら。楽しくなったら楽しいことだけに夢中になっちゃってさ。
いや、私もさっき泥の中を盛大に転げ回ったので、人のことはあまり言えないんだけど。
「ほらほら、ちゃんと前見て歩く!お母さんたち待ってるんだからね!」
「がうっ」
「うるるる」
「ぎゃおっ」
返事だけはいい。意図が通じているかどうかは知らない。それでも三匹が私のあとをついてくるのを見ると、なんとなく胸を張りたくなった。
やっぱり私がついてなきゃ駄目だなあ。面白いものを見つけたらすぐ遊びに行っちゃうし、呼んでもなかなか帰らないし、枝は拾うし、途中できょうだいの尻尾を噛み始めるし。
まったくもう、と鼻を鳴らす。ふんすふんす。ちょっと偉そうな気分になった直後、後ろから三匹まとめて突っ込んできて、私は雪へ顔面から埋まった。
「ぶふっ」
そんな調子で進んでいるうちに、見慣れた匂いが濃くなってくる。木々の向こうに家のある辺りが見え始めると、三匹も気づいたのか足取りが急に速くなって、私までつられて駆け出してしまった。
こういうところは身体に引っ張られている自覚がある。人間だった頃は、一刻も早くトイレに行きたいという理由でもない限り、家が見えただけで全力疾走した覚えなんてないのに、今は住処へ戻ると思っただけで脚が勝手に弾む。うおーー! 家! 好き!
帰ったよー、と声を上げるより早く、横からでかい白い塊が飛んできた。叔父虎である。ガブがころん、ヴァウもころん、ナーヤまで前脚でひっくり返され、最後に私もまとめて雪の上へ転がされた。
「うわーーーっ!」
何するの、と抗議する暇もなく、叔父虎が四匹の真ん中へ顔を突っ込んでくる。首筋へ鼻を押しつけて、ふんふん。脇腹へ移動して、またふんふん。
背中、頭、尻尾の付け根まで、やたら念入りに嗅いでいた。そのうちお父さんとお母さんまで現れ、大人三匹に子供四匹がぐるりと囲まれる。完全なる包囲。逃げ場はない。私たちは細長くなりながらなんだなんだとワニャワニャ文句を言うことしか出来ない。
右からふんふん、左からもふんふん、後ろへ回った叔父虎は背中を嗅いで、お母さんには顔を鼻先で持ち上げられ、お父さんは脇腹へ鼻を突っ込んできた。
きょうだいたちも同じ目に遭っているものの、最初こそ戸惑っていたのに、すぐ「新しい遊びか!?」とでも言いたげに大人の顔へ前脚を伸ばし始める。
なるほど。新しい遊びね……では私も参加しようとお母さんの鼻先へ両前脚を乗せたところで、そのお母さんが突然なんとも言えない顔をした。目を細め、鼻先を少し逸らし、口元まで歪めている。
うえーっ
そんな声まで聞こえた気がした。え、なに、と自分の身体へ鼻を寄せてみても、よく分からない。虎の嗅覚は優秀なはずなのに、自分自身の匂いには案外鈍いらしい。
泥の匂いなら多少する。でも、それだけなら普段と大差ない。考えている間に、お母さんは一番近くにいたきょうだいを前脚で押さえ込んだ。べろん、と大きな舌が頭から首へ滑る。続けてもう一回。さらにもう一回。
なるほど。お風呂だ。嫌な予感がして周囲を見ると、叔父虎も別の一匹を捕まえて毛繕いを始めていた。これはまずい。お父さんが余っている。お母さんか叔父虎のところへ並ばないと。私はすぐさまお母さんの後ろへ回ろうとした。一歩、二歩。そこで首根っこを噛まれる。
「うわーーー!」
遅かった。お父さんである。そのまま前脚の間へ引きずり込まれ、逃げ道を完全に塞がれた。
「油断した……」
べろん。
お父さんの舌はでかい。そして強い。一回舐められるたびに毛が根元から全部違う方向へ押し倒される。右頬をやられれば顔半分が左へ持っていかれ、頭を舐められると耳まで一緒にぺたんと倒れた。
「皮膚ごと持っていかれるよお、ハゲトラになるよお……」
当然、通じない。背中をべろん。脇腹もべろん。さっき自分で綺麗にしたところまで容赦なく舐め直され、最後には尻尾まで丁寧に処理された。
「洗濯機の方が仕上がりがふんわりになるよお……」
お父さんはものすごく丁寧だった。愛情だってきっと山ほどある。ただし、丁寧であることと上手であることはまったく別問題らしい。
ようやく解放された頃には泥ひとつ残っていない代わりに、全身の毛並みが壊滅していた。頭の毛はあっちへ立ち、頬はこっちへ跳ね、肩の辺りなど何方向から舐めればこうなるのか分からない。鏡がなくても分かる。身体中につむじが百個くらい出来ている。いつものお父さん仕様。
お父さんは満足そうに私の頭をもう一度舐めた。
「仕上げしないで」
また変な方向へ毛が立つ。もはや為す術なし。私は半泣きで叔父虎のところへ逃げ込み、ちょうど一匹を舐め終えたその前脚の間へ頭から突っ込んだ。
「やり直して!」
叔父虎は一度、私を上から下まで眺めたあと、鼻先でころんと転がした。そのまま舐め直しが始まる。やはり叔父虎は上手い。毛の流れに沿って舐め、耳の後ろも綺麗に揃え、頬から首へかけての境目まで丁寧に整えてくれる。
お父さんと何が違うんだろう。センスかな……。とにかく全然違う。終わる頃にはいつもの素敵な私に戻っていて、感動のあまり叔父虎の前脚へ頬を擦りつけた。これは感謝のスリスリ。
「やっぱり叔父虎よ」
何がやっぱりなのか、自分でもよく分からない。少し離れたところからお父さんがこちらを見ていたので、そっと目を逸らしておいた。
その後はご飯。今日は肉。今日も肉と言った方がいいかも。
人間たちと会って、走って、転がって、泥まみれになって、また走り、帰宅早々全身を洗濯されたのだから、お腹が空いていないわけがない。
いつも以上に美味しく感じて、夢中で食べた。満腹になれば今度はまたきょうだいたちと洞窟の前へ飛び出し、追いかけたり追われたり、途中から誰が誰を追っているのか分からなくなったり、木の根を全員で引っ張ってはじかれて飛び散ったり。叔父虎が「しかたねえなあ」って顔で根っこをむしり取ってきてくれたり。そして最後には四匹そろってお父さんの尻尾へ飛びついて罰の毛繕いを受けたりした。
楽しい。なんて愉快なハッピネス生活。人類みんな来世は異世界白虎になるといいよ。天敵のいない最強捕食種という、絶対的な勝ち組に……。
遊び疲れて洞窟へ戻る頃には、身体が勝手に床へ沈みそうなくらい眠くなっていた。
きょうだいたちはもっと早く限界を迎えたらしく、三匹とも奥ですでに寝ている。ちょうどいい。ガブの腹へ前脚を乗せ、そのまま上へよじ登った。一匹だけだと少し狭いので、隣のヴァウにも後ろ脚を乗せる。ナーヤの背中へ顎を置けば、立派な敷布団の完成である。誰も起きない。暖かいし、柔らかい。今はそれほど寒い季節でもないけれど、これはこれで気持ちがよかった。
「よいしょ」
目を閉じかけたところで、ふと思い出した。うしこしさとし……もとい、レオンハルトは元気に生きてるかな……。
フィロンが一緒だから大丈夫だとは思う。足もちゃんと固定されていたし、さっきの人間たちもかなり近くまで来ていた。今頃はもう会えているかもしれない。
それにしても、人間って毛が薄くてかわいそうだな。今日あらためて大勢を近くで見て思ったけれど、顔とかツルツルで変だった。
服を着ているからまだなんとかなっているものの、顔なんてほぼ無毛だし……。 頭にだけ突然長い毛が生えて、その下はつるつる。どうしてそんな配分になったんだろう。
しかも、形が怖い。単体で見る分にはもう慣れた。レオンハルトだって人間として考えれば普通なのだろうし、私自身も前は人間だったから理屈では分かっている。
でも虎の目であらためて眺めると、やっぱり気色悪い。
まず細い。ひょろ長い。そのくせ二本足だけで立っている。四本使えば安定するのに、なぜか二本だけでふらふら歩き、残った二本は胴体の横でぶらぶらさせている。
手というものは便利なのは知っているけれど、歩いている姿だけ見ればものすごくバランスが悪い。顔も平たいし、耳は小さく、鼻も短い。尻尾にいたっては最初から存在しない。尻尾がないのは本当に変だ。二本足なら尻尾があった方が安定するのに。あれでどうやって走ってるんだろう。いや、前世の私も普通に走っていたけれど。
一人ならまだいい。今日みたいに何人もまとまって立っていると、本当に怖い。
細長い生き物が全員二本足で直立し、同じ方向を向いてこちらを見ている。人間だった頃の感覚を抜きにして考えれば、ちょっとしたホラー。
私が前世であれだったという事実まで、なんとなく嫌になってきた。
そういえば、帰ってからあれだけ嗅がれて毛繕いされたのも、人間臭かったせいなのかもしれない。お母さんなんて本気で吐きそうな顔をしていたし、たしか「おえ」みたいな声まで出していた。
「……そんな臭かったのかな」
レオンハルトにも近づいたし、さっきは人間の群れのそばで雪と泥の中を転げ回った。かなり匂いが移っていても不思議ではない。そこで、ふとフィロンのことが頭に浮かんだ。
「……あ」
眠気が少し引っ込む。フィロン、大丈夫かな……。レオンハルト探し隊と会った時、うまく逃げられるかな……。
私は当然みたいに「フィロンと一緒にいるよ」と教えてしまったけれど、そこで一つ重大なことに気づいた。
待って。私、フィロンが蛇だって言ったっけ。
言ってない。たぶん言ってない。フィロンという名前の、人間の身体に詳しい誰かがいるとしか伝わっていないはず。向こうだって、まさかそのフィロンが蛇だとは思わないだろう。
人間だった頃の私だって、知らない人から「フィロンと一緒にいます」と聞いて、現地へ行ったら蛇がいたところで「ああ、この方がフィロンさんですねどうぞよろしく」とはならない。まず蛇だな、と思う。普通に蛇だな、と思う。
「…………」
やばいかもしれない。しかもフィロン、人間相手には前科ならぬ被害歴がある。
昔、人間に会いに行ったらそのまま食べられかけたって言ってた。今日会った人たちは、少なくとも私を見ていきなり武器を振り回すような人たちではなかったので、そこまで無茶苦茶ではないと思いたい。
でもレオンハルトを探して藪を抜けたら、本人の隣に知らない白蛇がいるのである。フィロンが自己紹介するまで待ってくれるかな……。
というか、フィロンが喋ったら喋ったで余計にびっくりしないかな。
逃げるだけならフィロンは得意なはずだけど、フィロンがレオンハルトを置いてさっさと逃げるかということで、たぶん逃げない。
まず説明責任を果たそうとしそう。なんかこう……難しい話を交えながら……なんとかがなんとかで、なんとかして……って感じに、テツガクをまぜて……。あれ、本人なりにわかりやすく噛み砕いて説明しているつもりなんだよな……。
あんな細くて弱そうな白いロープ、貴重なタンパク源だって食べられないかな……。いや、さすがに救助へ来たその場で「蛇だ、食おう」とはならないだろう。ならないよね。ならないと思いたい。
「……迂闊なことしちゃったかな……」
きょうだいの背中へ顎を乗せたまま、目だけを開ける。洞窟の天井がぼんやり見えた。いつもならどこかの隙間から声が返ってきたり、白い頭がぬるっと覗いたりするのに、今日は何もない。
下敷きにしているガブが寝返りを打ち、私の身体もぐらりと傾いて、そのまま二匹の間へずぼっと埋まった。暖かい。眠い。それなのに、一度気づいてしまった心配だけはなかなか眠ってくれない。
フィロン、大丈夫かな。レオンハルトを探していた人たちと、ちゃんと話せるかな。最悪、得意の隙間逃げでどうにかしてほしい。
でもその前に攻撃されたら嫌だなあ。「フィロンは蛇です」くらい言っておけばよかった。
今日はフィロンのいない洞窟の天井を見上げながら、遅すぎる反省をした。
……ほんとに、迂闊なことしちゃったなあ。

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