夏はそこで止まっている

 酒屋から戻る時、その花壇の前に叔父がいた。何も持たず、しゃがみもせず、ただ花を眺めている。僕に気づくと少しだけ横へ退いた。

「買い物だったんだね。暑いのに大変だったでしょう。高校生に大変だったなんて言うのも変か。僕は君をまだ小さい子だと思ってしまうみたいなんだ。初めて会った時の、赤ちゃんの印象が消えないから」

「叔父さんって呼んでもいいですか。母さんから弟だとは聞いたけど、名前で呼ぶのも変な気がするので」

 叔父は僕の肩のあたりを見ながら、少し考えた。

「もちろんいいよ。僕が誰かの叔父になるなんて考えたことがなかったから、実際にそう呼ばれると少し変な感じはするけど、関係としては間違ってない。ねえさんの子供なら僕は叔父だから、それで合ってる」

 僕は花壇へ目を戻した。さっき老人から聞いた話が頭に残っている。

「ここ、昔から花壇だったんですか。通った時に土が濡れてたから、誰か手入れしてるのかなと思って」

「昔は砂場だったよ。砂場っていっても草の方が多かったけどね。あっちにブランコもあった。僕はあまり乗らなかったけど、あの人は好きだった。ずいぶん高くまで漕ぐ人で、危ないからやめろと言うと、僕が怖がるのを面白がって余計に高くするんだ。結局、一度も落ちなかったけど」

 叔父の手が胸元へ上がった。服の上から、あの石の位置を確かめている。

「亡くなった友達のことですか。近所の人から、昔ここであったことを少し聞きました」

 叔父は驚かなかった。花壇を見たまま、しばらく黙っていた。

「幼なじみだった。家が近くて、同じ学校で、毎日のように一緒にいた。僕はあの人が好きだったよ。友達としてと言われると、それだけではない気がするけれど、恋人だったのかと聞かれたら、それも違う。
僕は聞かなかったからね。好きかどうか確かめて、違うと言われたら、そのあと会うたびにその言葉を思い出すでしょう。それが嫌だった。ずっと聞かないままでいられると思ってたんだ」

 公園の前を軽トラックが通り、叔父は一度道路の方へ顔を向けた。僕もそれ以上は聞かなかった。

 祖母の家まで一緒に歩いたが、叔父は妙に歩くのが遅かった。途中、用水路の中に小さな魚がいると言って立ち止まり、軒先に風鈴を吊した家の前でも足を止める。道路を蟻が列になって横切っているのを見つけた時は、かなり長いこと待っていた。僕が先へ行くと、思い出したようについてくる。

 家へ着くと、母が玄関に立っていた。叔父は母を見るなり、少し背中を丸めた。

「公園へ行ったんでしょう。別にどこへ行くなとは言わないけど、この子を巻き込まないで。昔のことまで話す必要はないから」

「僕から話したわけじゃないんだ。公園も通っただけで、水もやってない。今日は本当に何もしてないよ。何もしてないと言うと余計に怪しく聞こえるけど、そういう意味じゃなくて、ただ……」

「私は水の話なんかしてないでしょう。そうやって自分から言うから、いつまでも同じ話になるの」

 叔父は口を閉じた。母は僕から袋を受け取ると、そのまま家の中へ入る。叔父は玄関の外に少し立ってから、小さく息を吐いた。

「ねえさんに嫌われるようなことを、僕はだいたい自分から言うんだよね。言わない方がいいと分かってる時ほど、ちゃんと説明しないといけないと思ってしまうから」

 何と返せばいいのか分からず、僕は靴を脱いだ。

 

 その夜、僕は二階で寝た。祖母が昔使っていた部屋らしく、押し入れには古い布団が何組も入り、机の引き出しには未使用の年賀はがきと輪ゴムで束ねたボールペンが残っていた。一本だけ試し書きしてみたら、まだ青いインクが出た。

 田舎の夜は静かなものだと思っていたのに、実際にはいろいろな音がする。柱の中で虫が動き、遠くで犬が吠え、冷蔵庫のモーターが止まると時計の針が急に大きく聞こえる。屋根の上を何かが走り、どこからか蚊取り線香の匂いもした。眠れなくなって窓を開けると、庭に叔父がいる。

 叔父は小さな器を持って、植木の間に咲いている白い花へ水をやっていた。花の水やりというものを、夜にする意味があるのかは分からない。太陽が出てからやるものだと思っていたけれど、もしかすると夜の方がいい理由があるのかもしれないし、単なる奇行かもしれなかった。

 昼間の話を聞いたあとだったので、僕は窓際に立ったまま、しばらくその様子を見ていた。叔父は水をやり終えると、その場にしゃがみ込んで地面へ片手を置いた。土を掘るわけでも、花に触れるわけでもない。ただ手のひらを地面につけたまま、じっと動かなかった。

 五分くらいだったと思う。もっと短かったかもしれない。僕は途中で窓を閉めた。

 翌朝、そのことを母に話した。母は味噌汁をよそいながら、こちらへ顔を向けない。

「庭の花に水をやってた。昨日、公園でも水のことを言ってたから、昔からずっとああいうことをするのかなと思って」

「昔からそうなの。花に水をやるだけなら悪いことじゃないけど、あの子の場合、見てる方がいろいろ考えるでしょう。気にしなくていいよ。あれはもう、本人がやめない限り誰にも止められないから」

 それで話は終わった。

 祖母の棺へ花を入れる時、叔父は最後まで後ろに立っていた。親戚の一人が呼んでも首を振り、母が白い菊を一本渡すと受け取ったものの、そのまま茎を握っている。祖母の顔の周りが花で埋まり、いよいよ蓋を閉じるという時になって、ようやく前へ出た。

 菊を置くのかと思ったが、叔父は祖母の耳元へ顔を寄せた。何かを言ったらしい。僕には聞こえず、たぶん母にも聞こえていなかった。顔を上げた叔父はやはり泣いていない。手に持っていた菊は、最後まで棺へ入れなかった。

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