深夜寒中水泳訓練の通達が来たが、無理すぎて見なかったことにした。暫く現実逃避をしたあとに、通信販売でミスって買った花柄の着物を寝巻きにしている魔界之小路先生(俺は心の中でロマンティックおじさんと呼んでいる)に「なにか仕事ありますか?」と聞くと、「よくぞ聞いてくれたね! 採点作業がほらこんなに!」と紙の束を出してくる。生徒数に反して多すぎるだろ。詰め込み勉強は如何なものかと思う。
「作文の宿題を出したら、みんな張り切ってしまって」
「うわホントだコレ全部原稿用紙だ……。才能に満ちているな、どくたま達は」
「教師として嬉しい限りだよ」
子供たちが頑張って書いたものだからしっかり読みたいけど、それはそれとして授業の準備もあるから頼んでいいかい? というわけで、ドクタケ忍術教室の教員補佐ボランティアを勝手にやっている俺は、深夜寒中水泳訓練を無視して「未来あるどくたま達のために……」という理由をつけて正々堂々サボることにしたのだった。
後方で子供の世話してる方が楽だし安全で最高。いつか何食わぬ顔をして正規雇用されないかなと思いつつ点数取りとして魔界之小路先生を手伝っていたら、いつのまにか俺の部屋なるものも用意されてたし月末には魔界之小路先生から手渡しで給料袋が渡されるようになった。
たぶんこれ、いい感じに勘違いされてる気がする。一応雇用形態としては戦忍だけど、前線に行くの嫌なんだよなあ。忍術学園からは警戒されてるし、最近はタソガレドキとかドクササコともぶつかってるし。給料が良くて福利厚生がしっかりしてるから退職する気はさらさらないが、もう少しのんびりと生きたいものだ。とっくに没落した我が家の家訓、『強いものには逆らうな 長いものには巻かれとけ 命あるだけ有り難し』を胸に今日も俺は生き延びるのであった。
……と思っていたが、やっぱり首領直々の命令を無視したのはやりすぎだったらしく、普通に呼び出しをされた。叱られ発生である。普段はそこそこ要領よく生きていたのだが、慢心が仇となったか。
「来たな、影鬼」
「は、こちらに」
本名とはかすりもしないドクタケ忍者特有の偽名もすっかり慣れ親しんだ。初めの頃はちょっとダサいと思ってたけど、俺よりやばい名前がいるしな。
叱られるのが嫌すぎで現実逃避をしていると、八方斎様が振り返る。なに、違和感。俺がいない間になにがあった。
「あれ、八方斎様メイク変えました? 目元がハッキリして意志の強さが際立っていますね」
「貴様には愛と正義の『愛』を担当してもらう」
「確かに常に胸には愛と正義を抱いて生きている自認がありますが……」
なに? 終わりなのか、この国の忍者隊は。
叱られの発生よりヤバそうなものの気配を察知して戸惑う。八方斎様も普段とは違うカリスマ性のようなオーラが出ている。なにが起こったんだ……たった1回サボっただけで、いや、訓練招集サボったの20回目くらいだけど……。
「これを見るがいい」
「……これは」
八方斎様に促されて進むと、敷かれた布団の上に若い男が寝かされていた。頭に巻かれた包帯からは血が滲んでいる。ドクタケ忍者ではない。俺はこの男を知っている。
「土井、半助」
「いいや?」
月の灯りに反射する八方斎様の広い頭部も、いまやいつもの面白要素が無い。脈絡のない否定に、次の言葉を待つ。なんて頼りがいのあるワイルドな雰囲気なんだ……いつもこうなら未来を託してもいいかもしれない……!
「こやつは『天鬼』、我らがドクタケ忍者隊の軍師にて貴様の伴侶よ。一部記憶を失ってしまったが、貴様の最愛の者だ。看病し付き添い、良いようにしてやれ」
「……ああ、そうでした。我が最愛の伴侶をお助け下さり感謝感激雨あられ!」
「はっはっはっ」
「ははは」
わははー! と笑い合い、俺は『天鬼』と2人きりに部屋に残されたのであった。
待ってわからん。八方斎様は以前から説明を省きがちだったが、それにしたってわからん。なに? 天鬼? ええ……? 土井半助じゃん……。
小さな文机と布団が2組(うちひとつは俺のものだろう、敷かれていない)。多くの書物が並ぶ本棚と、いままで見たことない『愛と正義』が書かれた掛け軸。天鬼に改名させられている土井半助。愛と正義の『愛』担当。伴侶?
頭を抱えたくなってるところで、文机に置かれた手紙に気がついた。
影鬼へ、風鬼よりと丁寧に宛名と送り主が書かれてる。書くな。忍者が証拠残すな。読んだら破棄しろの指示の後に書かれているかくかくしかじかの暗号を読み解いて、小さく折りたたんで手紙を飲み込む。
『土井半助が記憶喪失になったので洗脳してドクタケ忍者隊の軍師『天鬼』にすることにしました。ふぶ鬼は忍術教室で友達と仲良くやっていますか、最近教室でのことを父に話してくれなくなりました。親離れ子離れといいますが些か早すぎると思うのですが、先生からみたらこれは普通のことでしょうか。なにぶん一人息子なため手探りで子育てをしている状態、夫婦でよく話し合いをしていますが───────』わかった! わかった! あとで三者面談しような! とりあえず必要な情報は上一行だけだったので良しとする。そもそも俺、ボランティアで正職員じゃないんだ。ごめんな。俺、立場的にはあんたの後輩でしかないんだわ……。先輩の風鬼さんのことを「ふぶ鬼くんのお父さん」って呼ぶといろいろスムーズにすすむから利用してるだけで。
土井半助が記憶喪失、洗脳、軍師、愛と正義の『愛』担当。手紙と同じように並べられている本では無いこと無いこと描かれている絵入本が並べられている。全員が美化されてるが、恥ずかしくないのかな。良い大人たちが……。
なるほどね、愛と正義で行くのね。とりあえず必要な情報なので読み込むと、同じような絵入本で別の物語もあった。一応見ておくか……と開いて、閉じた。
初めは反発していた若い2人、しかし反発し合う2人の距離は何故か次第に縮まっていく。初めから意識していたのは、敵意ではなかった。それを人は恋と呼び、愛と名付けられた感情~ドクタケズ・ラブ~ 愛を誓った2人を引き裂く、忍術学園の魔の手。 To be continued.
たすけてパパ!!!!!!
ひぃ、咄嗟に死んだ親父に助けを求めてしまった。生まれてこの方一度たりとてパパなんて呼んだこと無かったのに。誰だよこれ描いたやつ、絵が上手すぎるだろ……。これ? これを基本設定にして伴侶だと押し通すの……?
気分的には禁書とかの類だが、設定を固めるために読み直した。はあ……なるほど……なんとかします……。最初に出会った頃は反発していた、なるほど関係的に敵対と言ってもいいからな……。
『一目見て意識してきたが、話しかけることが出来なかった。それが好意だと気づかなかった』で行こう。意識していた、敵なので。話しかけることは出来なかった、敵なので。好意だと気づかなかった、警戒なので。よしよし嘘は無い。嘘を練るときは真実を混ぜるというのは昔ながらの製法だ、絶対に違うということを入れない限りなんとなく話は繋がる。そういうものだ。
俺は土井半助のことを警戒していたので、完璧な敵対には至ってない。出会っても愛想笑いと会釈でやり過ごしてきたし、忍たまにちょっかいを掛けられた時は殺さずに「未熟だぞ、習い直してこい」と簀巻きにして門の前に転がしてやるくらいの親切さも見せた。殺すのは容易いが、教師たちの報復が怖かったからだ。教科担当の土井半助がアレなら実技担当の山田伝蔵はどうなっちゃうんだよ。よわよわのガキを殺した程度でそんな化け物に報復される可能性なんて考えたくもない!
俺の生存戦略を勝手に優しさだと誤認してくれてるみたいで、土井半助からも愛想笑いをしたら笑顔が返ってくるし会釈をしたら会釈が帰ってくるという関係だった。あとどくたまと忍たまが関わってる時の連絡事項も全て魔界之小路先生に押し付けていたし、こう考えるとなんで俺なんだろう。くノ一が黒戸カゲ先生(既婚女性)しかいないからか……? どくたま以外の忍者が概ね結婚してるから……? 福利厚生が手厚いことにより家庭を築いてる忍者が多い事の弊害が全て俺に……? 若くて顔の良い男が、俺しかいないせいで……。
「う……」
「!、大丈夫か?」
「お前は……」
苦痛の声を上げて薄く目をあけた土井半助、いや、天鬼に駆け寄る。布団を跳ね除けようとした手を握って、大丈夫大丈夫と優しく声をかける。
「無理をするなと言っただろう、これも忘れたか?」
「……」
「ああ、いいんだ。何を忘れたっていい。……お前が生きていてよかった」
ぐすぐすと鼻を鳴らして、流れる涙はそのままにしておいた。天鬼の頬を何度も撫でる。暗がりに慣れた俺の目には、不思議そうな顔をして俺を見つめる表情がよく分かる。
いったいどれくらいの洗脳が完了しているのかは分からないが、俺が今ここに呼ばれたということは初期設定は済んでいるんだろう。俺は天鬼にとって、『覚えてはいないが伴侶だった男』だ。恋しく想い愛し合い、祝福されたつがいだ。
「すぐに来れなくて悪かった、まずは身体を休ませてくれ。大丈夫、俺が守ってやる。また子守唄でも歌ってやろうか?」
「そんなものを、私はねだっていたのか」
「ああ、眠れない夜は」
「覚えていない」
「構わないさ、何度忘れてもいい。何度でも俺が思い出させてやるよ」
握っていない方の手が布団から伸びて、俺の涙を拭っていく。土井半助の時は見たこともなかった表情だ。こいつ半眼になるだけでだいぶ怖い顔になるんだな。
「お前……あなたは、私の伴侶なのか」
「そうだよ」
「覚えていない」
「それでもいいさ。初めから俺が君を意識して、片想いからはじまったんだ。また同じことを繰り返せばいいんだ」
敵対していて怖かったので常に意識しておりました。事実です。
「私はあなたを、好いているのか」
「そうだと嬉しいなあ」
「そうか。……そうか、よかった」
天鬼の口元がもにょもにょと動いて、下手くそな笑顔になる。まるで何年も笑っていない人間が思い出したように動かした表情だ。小さく良かった良かったと繰り返されるが、いったい何が良かったんだ。言ってくれ。今後の動きが変わるから! 設定擦り合わせないとダメなの! いま気持ち的には綱渡りしてる感じだから! お前というライオンの前でタップダンスしてるんだよ俺は!
「──────私には、伴侶がいるんだ。相思相愛の。ああ、嬉しいな。覚えていないけど、私はまともだ。人を愛せるし、人から愛されるような大人になれた。愛と正義を知る、当たり前の人間に……」
土井半助の半生に何があったのかは知らないが、天鬼になって穴ぼこにされた記憶の中になにか辛いことがあったのだろう。まともで当たり前の人間になんてなれないと思ってしまうような辛いことが。
よくある事だ、可哀想にね。そう同情するより先に、キタキタキタ!! と心の中でガッツポーズを決めた。付け入る隙!!! たすかる!
「君は充分に素晴らしい人間だ。だから好きになったんだ。俺がどう口説いたかも忘れてしまったかな、俺が好きになった天鬼のことを夜が明けるまで語ってしまおうか」
「……頼んでもいいだろうか」
「もちろん、でも眠くなったら寝るんだよ。大丈夫、俺たちにはたくさん時間があるんだから」
自分の分の布団も引っ張り出して横に並べて、灯りもない闇の中で無いこと無いこと架空の恋物語を騙る。好きになったのは俺の方、初めてのデートは峠の団子屋、実はちょっとだけ反対された二人の関係、最後はみんなに祝福され祝言をあげました。めでたしめでたしの柔らかな話。
握り続ける手がだんだんと眠そうにゆっくりとした脈になっていく。半覚醒くらいだろうか、俺は心を込めて優しく愛情いっぱいに呪いを吐いた。
「俺の事を全て忘れたとしても、俺は君を愛しているよ」
返事は寝息で返ってくる。これくらいのタイミングが、いちばん嘘を真実に塗り替えるんだよな。
これでも忍者なので、使えるものは全部使わせていただきます。俺は天鬼の伴侶、愛情深い情人、もう何年も前から恋をして皆に祝福されて実った関係。
最後はどうするんだろうな、八方斎様は忍術学園関係者に俺を殺させるって感じで終わらせるつもりだろうか。それとももしかして、天鬼に生徒を殺させて後戻り出来なくさせるとか? 今日の八方斎様は一味違った、それくらいのことはしてくれそうな顔をしている。アイメイク濃いと強そうに見えるからかも。
外部要因でのこのザマなので、いつ天鬼が土井半助に戻るかはわからない。夜は基本眠らないようにして見張り続けて、日中は八方斎様にお任せしていいだろう。突貫で作り上げた設定の共有もしなくてはならない。突然忙しくなってしまったが、まあ深夜寒中水泳訓練をサボった罰として粛々と受け入れるつもりだ。
翌日、天鬼に「私はあなたをどう呼んでいたんだ」と聞かれて「だーりんって呼んでたよ」と適当言ったら本当にそれになりかけた。八方斎様、いけそうです。半眼でだーりんと呼んでくるめちゃ強忍者(催眠掛け中の敵)、死ぬほど怖いけどなんとかなりそう。
「ごめん嘘、普通に影鬼って呼んでたよ」
「……騙さないでくれ、私は影鬼のことを信用しているのだから」
どすっとじゃれ合うみたいな拳で肩を叩かれる。何かしらの選択を間違えていたらグサッとクナイだったろう。いけそう……いけそうです……!! 俺、伴侶役頑張らせていただきます! 押忍!!
