世界で一番超絶可愛い俺のザングース

(かみさまがしんだのでしにます)

 ザングースの世界は、全部、主人で出来ていた。悲しいも嬉しいも楽しいも腹立たしいも、全部主人ありきのものだった。それ以外を知らなかったし、それ以外を必要としたこともなかった。生まれたときからずっと愛されて、可愛がられて、うるさいくらい構われて、幸せに生きてきた。ザングースにとってのかみさまは、主人だった。

 ザングースは人間の書く文字をある程度読むことができる。主人がいろいろ教えたからだ。店の名前。食べ物の名前。自分の名前。主人の名前。だから、いま目の前に刻まれている文字も読めた。一番自信を持って読める字だった。カインカイン。主人の名前。カイン。石の十字架に書かれている。知らない字じゃない。間違えるはずがない。何度も見た。何度も聞いた。何度も呼ばれていた名前だった。

 石の十字架は、墓石だ。

 ここは、墓場だ。

 知らないはずがなかった。ここには来たことがある。主人と一緒に来たことがある。墓参りってやつに、一緒に!

 うわあああん。うわああああああ。ああああああああ。ああああああああああああああああああああああああ。うわあああああああああん。あああああああああああ。いやだ。いやだ。いやだ。こんなのいやだ。帰りたい。かえして。返してくれ! 返してください! こんなことありえない。あってはいけない! 助けて。帰ってきて! いやだ。怖い! どうしてこんなこと。おかしい。だめだ! こんなことゆるされない! おねがいします! かえして!

 何者かが背中に抱きついた。細くて柔らかい腕だった。欲しかった重さではない。欲しかったにおいでもない。ザングースは構わず喚き続けた。誰かが何かを言っていた。聞こえなかった。耳に入らなかった。泣いて、喚いて、墓石へ爪を立てて、黒いコートへ顔を押しつけて、それでも主人のにおいは薄く残っているだけで、どこにも主人はいなかった。だからまた喚いた。返してくれと、帰ってきてくれと、何度も何度も頼んだ。良い子にするから。もう尻尾で叩かないから。腹を触られても怒らないから。ポフレなんかいらないから。何もいらないから。全部いらないから。お願いだから、主人だけ返して。

 モンスターボールの開く音がした。ぱかり、と乾いた音がして、赤い光がザングースの身体を包んだ。嫌だと暴れるより先に身体がほどけて、光になって、狭い球体の中へ吸い込まれていく。最後まで墓石から眼を離せなかった。主人の名前が遠ざかる。黒いコートが遠ざかる。泣いている女の顔が遠ざかる。やがて蓋が閉じた。

 トン。

 トン。

 トン。

 それきり、ザングースは二度とボールの外へ出なかった。

 残されたのは、泣き顔の女性ひとりだった。友人の最愛のポケモンをどうにかして慰めたかった。抱きしめてやりたかった。大丈夫だと言ってやりたかった。けれど何ひとつ大丈夫ではないことを、彼女自身がいちばんよく知っていた。主人を返してやることはできない。どれだけ泣いても、どれだけ願っても、墓の下に眠る友人をもう一度この子の前へ連れてくることはできない。その事実だけは、どんな言葉でもどうにもならなかった。

 だから彼女は、ザングースの入ったボールをボックスのいちばん奥へ預けた。削除もせず、誰かへ譲ることもせず、そのままにした。いつか自分から出てきたくなる日が来るかもしれないと思った。来ないかもしれないとも思った。それでも、せめて中では苦しくありませんようにと願った。主人と暮らしていたころの夢を見ていますように。毎日うるさいくらい可愛いと言われ、腹を撫でられて怒って、ポフレで機嫌を直して、夜になれば同じ家で眠っていた、あのどうでもいい幸せな日々の続きを見ていますように。

 そう願って、彼女はパソコンの電源を切った。

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